10-B-3 わたしの願いは

「……と思うの」

「……はいかがでしょう?」

 話し声に、ソーティアは目を覚ました。

 今いる場所はシーフィアの家だ。いつか姉妹全員が揃う日を夢見た彼女がソーティアとルーシアの分の部屋も作っており、その部屋にソーティアは泊まっていた。

(何……? 何のお話……?)

「……ええ! 今こそ!」

「我らイデュールだって!」

 やたらと騒がしい。

 音を立てないように慎重にソーティアは歩く。

 深夜だというのに灯りの漏れている部屋があった。ソーティアは壁に耳をつけてみる。

 今度はしっかりと声が聞こえた。

「……よね、そうよね! 決行は明日にしましょうか。やられるばかりのイデュールじゃないってこと、証明しなくちゃね!」

 熱のこもった、シーフィアの声。

「ええ、賛成ですぞ! 人間が我らの里を焼いたように、今度は我らが人間の里を焼いてやるのです! イデュール万歳!」

 初老の男性の声が、歓声を上げる。イデュール万歳、と他の声も唱和した。

 まさか、とソーティアは青い顔をした。

 姉たちは、人間の里を焼こうというのか。かつて自分たちがやられたように。

 気が付いたら、飛び出していた。

「駄目です、駄目! そんなことをしては、駄目!」

「ソーティア!?」

 寝間着のまま部屋に飛び込んできたソーティアを見て、シーフィアが驚いた顔をした。

 ソーティアは必死で訴える。

「話、聞こえました! 今度は人間の里を焼いてやるって! でも駄目、駄目です! そうしたら今度はわたしたちが、里を焼いた人間と同じになってしまいます!」

 何がいけないの、とシーフィアの目が鋭くなる。

「やられたらやり返す、それのどこがおかしいの。ねぇソーティア、あなたは人間を恨んでないの? ルーシアの話を聞いても恨まないの?」

 はい、とソーティアは頷いた。

「ルーシアの話は確かに悲しいお話です。でも恨みには繋がりません!」

「そう……」

 可哀想な妹、とシーフィアは再び言った。

 彼女が手を振れば、場にいたイデュールの者たちがソーティアの腕を拘束する。

「悪いけれど、あなたにはしばらく閉じ込められていてもらうわね。洗脳されてる子の言葉なんて聞かないわ。この話を聞いたあなたが、勝手に人間の里に行ってこのことを伝えるなんてされたら困るもの」

 いいこと、とシーフィアは言う。

 瞳に宿るは消せない憎悪、遠い日の絶望。

 ソーティアの言葉なんて届かなかった。届くわけがなかった。

 それほどまでに、この姉は――

「人間なんて邪悪な種族、滅ぼしてしまえばいいのよ。今回の襲撃はその第一歩なの。邪魔しないでよ」

 救いようがない。

 幾ら言葉を連ねても、そんなものこの姉には届かない。

 イデュールの者たちに連行されながらも、明確にそう、ソーティアは悟ったのだった。

 シーフィアは、悪い人じゃないけれど。

 もう彼女は、止まれない。何も知らなかった遠い日のようには、戻れないのだ。


  ◇


 連れて来られたのはひとつの部屋。鍵がついているその部屋に、ソーティアの荷物も投げ込まれた。

 ソーティアを連行したイデュールの一人が、申し訳なさそうな顔をした。

「邪魔されちゃ困るってだけなんだよ。だからあんたを悪いようにはしねぇよ。必要なものがあったら何でも言ってくれ。自由以外はくれてやる」

 そういって部屋に鍵が掛けられ、ソーティアは閉じ込められた。

 部屋にはランプがあった。ランプに火を点けると、真っ暗だった部屋がほんの少し明るくなる。この部屋に窓はあるらしいがはめ殺しの窓であり、外に出られないようになっていた。

 部屋の真ん中で膝を抱えて、ソーティアは物思いにふける。でも、幾ら考えてもこの状況を何とかする方法は浮かばなくて。そうしているうちに眠ってしまい、朝が来た。

 扉を開けられ、食べ物を渡され。食べ終わったら食器を専用の穴に置く。しばらくすると回収される。

 囚人みたいではあるが、囚人よりも遙かにましな暮らし。

 何もできないまま陽が落ちる。時間はあっという間に過ぎて夜になる。

 この夜に、イデュールの民は人間を襲う。そしてソーティアはその事実を知りながらも、何もできずに閉じ込められているだけ――

「……そんなのは、嫌です」

 呟いた時、その手が何かに触れた。

 何だろうと、ランプの明かりを頼りに眼を凝らす。それは、魔法の紋様の描かれたカードだった。そしていつかもらった炎の指輪も目に入る。

 忘れてはいない。七月に出会った、双頭の魔導士のこと。不思議な彼らの残した不思議なアイテムのこと。

 魔法のカードは彼らを呼び出し、炎の指輪は、魔法を使えない者でも魔法を使えるようにする。そうだ、これがあれば。

 双頭の魔導士に頼れば、こんな部屋なんて簡単に抜け出せるだろう。一回きりしか使えないこれで、そんなちゃちなことを頼んでも良いか迷うところだけれど。

 はめ殺しの窓から明かりが見えた。松明を持ったイデュールたちが動き始めている。どうやら迷っている暇はないようだった。早急に動かなければ、計画は実行されてしまう。

 それでも、ソーティアは迷った。

 何のためにカディアスに戻ってきたのか。それは姉妹の無事を確認し、皆でまた幸せに過ごすため。ソーティアはアリアたちのいるリノールに帰るけれど、でも皆とまた会って、楽しく笑えたらなと思って故郷に帰った。

 もしも、もしも。ソーティアが双頭の魔導士を呼び出して彼らの魔法でイデュールを止めたら、その瞬間、イデュールたちは敵になる。その瞬間、ソーティアのカディアスでの居場所はなくなる。そんな風になるために、この町に来たわけではないのに。しかし。

 これをこのまま見過ごして良いのか? ソーティアの心が問い掛ける。

 アリアならば絶対に動く。たとえそれが故郷の人々と敵対することになろうとも。自分の信念のためならばどこまでも進む……アリアはそういう人だった。

「わたしは……」

 迷う、惑う、混乱する。こういう時、アリアならば絶対にイデュールを止める。それは分かっていても、自分はまだそこまで強くないから。見過ごすのを正しいとは思えないけれど、けれど止める勇気がない。止めた時向けられるであろう、大好きな姉からの罵倒が怖い。

「わたし、は……」

 思い出すのは頼まれ屋での日々とサルフとの日々。人間たちとの温かい交流。そうだ、人間は邪悪なだけの存在じゃない。だから無差別に殺していいわけじゃない。シーフィアは間違ってる、間違ってるんだ、だから。

 大きく息を吸い込み、叫んだ。

「……お願いッ! リーヴェさん……ルーヴェさんッ!」

 決めた、決めた。戦うことを、抗うことを。自分が愛していたのは今の姉じゃない、今のイデュールじゃない。そして自分がなりたかったのは、アリアみたいに明るく真っ直ぐな人なのだ。ここは迷うようなところではない!

 想いを込めて、魔法のカードを抱き締めた。するとそこから光があふれて――


  ◇

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