10-Bー2 わたしのふるさと

 冬の道を歩いて、歩いて。イルヴェリア山脈のふもとに着く。この山を登った先に、カディアスの里はあったはずだった。進むたびに強まる懐かしい気配。ソーティアの胸は高鳴った。

「みんな……元気でしょうか」

 大好きな姉と妹、そして里の人たち。

 彼女たちとまた会えるかもしれない、と思うと期待で心が弾んだ。

 ソーティアは冬の山を登る。険しい場所もあるにはあるが、慣れた道だから怖くはない。

 そうやって進んでいると、やがて、

「ここが……」

 急に目の前が、開けた。目の前の光景が昔見た景色と重なる。

 山脈の中にある盆地、そこがカディアスの里である。

 かつて人間たちに滅ぼされたその場所には、新しい建物が建っていた。復興しているという証である。

 盆地の入り口には大きな木柵があり、門番のような人がいた。

 ソーティアは恐る恐る入り口に近づき、フードを取った。

「あの……中に入りたいのですが」

 入り口を守っていたイデュールの男性は、おお、と頷いた。

「我らの同胞ですね、どうぞお入りください! 人間たちによる迫害で辛い目に遭われたでしょうが、ここでならもう安心出来ますから」

「ありがとうございます!」

 ぺこりと一礼して、ソーティアは里に帰還する。

 懐かしの里は、少し風景が変わっていた。当然だろう、一度壊されてまた立て直したのだから。けれど空気は変わらなかった。

 町の中をきょろきょろしながらも、ソーティアは姉と妹を捜す。そこへ。

「新しい子がやってきたって聞いたんだけど……どこかしら?」

 懐かしい声を発する人物が、通りかかった。相手はイデュールの民の証である白髪に赤眼。でもその顔は、何度も見てきた大好きな人の。

 ソーティアの顔が、喜びに彩られる。

「姉さ、ま……?」

「あなたが新入りさん……って、ソーティア!? ソーティアじゃないの! これまでどこ行ってたのよ……。お姉ちゃん、心配したのよ?」

 ソーティアに気付き、イデュール娘が走ってくる。彼女――シーフィア・レイはぎゅっと妹を抱きしめ、優しい声で言った。

「とにかく……お帰りなさい、ソーティア。あたしの可愛い妹……生きてて良かった……!」

「ただいま……姉様」

 二人は互いを抱きしめあった。

 里が滅ぼされたあの日。姉妹とはもう二度と会えないと思っていた。けれどこうしてまた会えた。

 ソーティアの胸に幸せが広がり、彼女は思わず嬉し涙を流した。


  ◇


「え? あなた、人間なんかと一緒にいたの!?」

 ソーティアの話を聞いて、シーフィアが驚いた顔をした。

 ええ、とソーティアは頷く。

「アリアさんとヴェルゼさん。行き倒れていたわたしを助けてくれたのです。あのお二方と……サルフさんがいたから、わたしは生きてこられた」

「駄目よソーティア!」

 シーフィアは厳しい顔をしていた。

 彼女はソーティアの両肩を掴んで、恐ろしい顔をした。

「駄目よソーティア、人間なんかと一緒に過ごしていては。人間たちが、あたしたちイデュールにした仕打ちを忘れたの? あなたはもうずっとここにいなさい。人間のところに戻っちゃ駄目!」

「でも……アリアさんたちは違います! アリアさんたちがいたから、今わたしは生きているのです」

 悪い人間ばかりしかいないわけではないと、わたしはアリアさんたちから教わりました、とソーティアは姉の眼を見つめる。

「いいえ違うわ。その人間は、あなたを利用しようとしていただけよ」

 厳しい顔で、シーフィアは首を振る。

 彼女はソーティアに指を突きつけてまくし立てた。

「いいこと? 人間がイデュールに優しくするのは、イデュールを騙して利用するため。あたしたちは魔法が見えるし魔法転写だって出来る。確かに利用価値はあるかもね? ――使い捨ての道具として、ね!」

 シーフィアの赤い瞳に浮かぶのは、諦念と憎悪。ソーティアは知る。姉はもう、人間にはこれっぽっちの期待もしていないのだと。姉にとって人間は絶対悪であり滅ぼすべき存在であり、それは決して覆らないのだと。

 それでも、とソーティアは訴える。

 それでも、それでも。自分は人間というものを信じてみたかった。アリアたちやサルフのくれたあの優しさを、偽りだなんて思いたくなかった。だから、思いよ届けと言葉を声にする。

「中にはちゃんといるんですよ! イデュールでも、きちんとした仲間として扱ってくれる人が! アリアさんもヴェルゼさんもサルフさんも、わたしのことを心配して助けてくれました。あの優しさは嘘じゃない――嘘なんて言わせません!」

「嘘よ」

 シーフィアの言葉はにべもない。

「人間に善人なんて存在しない、ええ絶対に。ああ、可哀想なソーティア。あなたはそのアリアとか言う人間に洗脳されてしまったのね。でももう大丈夫よ可愛い妹。あなたはずっとここにいなさい。あなたはあたしが守ってあげるから」

「姉様……!」

 ソーティアの顔に絶望が広がる。

「何で……どうして……分かってくれないの、ですか……」

「ならば教えてあげるけど」

 シーフィアの瞳は冷たい。

 彼女は一度大きく息を吸って、吐きだした。


「ルーシアは、死んだわ。人間に殺されて」


「…………!」

 思わずソーティアは息を呑む。

 ルーシア。大切な妹。今もどこかで生きていると、ずっと信じていた。

 淡々とした声でシーフィアは続ける。

「あたしたちがイデュールの町を復興させている途中のある夜のことだった。いきなりあたしの家に何かが投げ込まれたの。それを見たあたしは悲鳴を上げたわ。それは……ルーシアの、死体だった」

 その声に怒りと絶望が混じる。

「ルーシアは最近まで生きていたらしい。死体はまだ新鮮だった。でもね、その身体には無数の暴力の痕があって……実に酷い有様だったのよ。あの子の歯は全て折られて足の腱も切られて立てないようにされていた。どれだけの絶望を味わったのかしら。あたしは……見ていられなかった」

 だから人間は悪なのよ、と静かな声で言う。

「分かったでしょソーティア。これが人間なの、こんなことするのが人間なの。あたしはあなたがそんな目に遭っていないようでとても安心した。でも……人間のもとに戻るのはやめなさい」

 その瞳から涙が伝った。

 ぎり、と奥歯を噛み締めてシーフィアは言う。

「ルーシア……ちっちゃくて可愛いあたしの妹! 生きてて欲しかったよ。あんなことになるなんて思わないじゃ……ないの……」

 泣く姉を前に何も言えず、ソーティアは立ち尽くすだけだった。

 だが、それでも。

(人間は絶対的な悪じゃない)

 その想いが消えることはなかった。

 一部の人が邪悪なだけで。善い人もいるのだとソーティアは知っている。

 シーフィアは、前に出会ったシドラみたいだなとソーティアは思う。

 救われなかったイデュール。だから世界に復讐しようと、姦計を張り巡らせて人の心に傷を与える。シドラは人間の善性なんて信じていないからあんなことが出来る。シーフィアだって、いつシドラのように人間への復讐を始めるのか分かったものではない。

(わたしが、珍しいだけなんだ)

 それを痛感した。

 救われたイデュール。数少ない存在。だからこそ、救われたことのなかったイデュールの抱く歪みが見えてくる。

 ソーティアは天を仰いだ。

(アリアさん……ヴェルゼさん……。わたしは、どうすれば良いのでしょう)

 頼まれ屋には帰る。それはもう絶対だ。交わした約束を破るつもりなんてない。それでも。

 この状況を放っておくわけにもいかなくて。でも、何をどうすれば良いのかも分からなくて。

 ソーティアは、ただただ途方にくれた。


  ◇

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