10-Aー9 傷痕を残せ
次の日の朝。何かの焦げるにおいでアリアは目を覚ました。
「……なぁにぃ?」
目をこするアリアの頭に、いきなり水がぶっかけられた。
「ふぇっ!? 何よいったい!?」
驚き、アリアは目を覚ます。
焦った顔をしたヴェルゼが、水のしたたる桶を手に立っていた。
「町に、火が。神木が燃えてる。みんな倒れてる。姉貴、水の
「……は?」
慌てて着替え、外に出る。
出た先には、阿鼻叫喚の光景が広がっていた。
燃える村。倒れる人々。変なにおいが漂っている。気付く。これは毒だ!
「毒と言えば……イヅチたちから貰ったのがあったよな。出せ早く!」
「う、うん!」
人形使イヅチたちを助けた時、お礼に貰ったオルファ香。焚けばどんな毒も解除出来るというそれが、こんなところで役立つとは。
アリアは慌てて小瓶を取り出し火をつける。清浄な香りが漂っていき、異様なにおいを吹き飛ばす。
「ああっ、もう! 何なのよ!」
わけが分からないまま、水の
そして見た。
「エルナスの木が……燃えてる!」
これは一大事だ。水の魔法をぶっぱなし、強引に炎を消す。勢いで枝が数本折れたが、緊急事態だ、仕方ない。
神木のそばで、アルテアを見つけた。
「おかあ……アルテアさん! 何がどうなっているの!」
「何者かが町に火をつけたようだ! 事前に特殊な魔法を仕込まれていたようで、町全体に広がっている。ここは消えたから、アリア、君は他の場所を!」
「分かったわ! アルテアさん、無事で!」
彼女の無事を確認し、アリアはひた走る。
次に目指すはカルダンの家。大親友にして大切な人である彼は無事なのか、それが気になる。
到着する。カルダンの家も燃えていた。井戸から汲んだ水を懸命にかけているカルダンと目が合った。アリアは問答無用で水の魔法をぶっぱなす。家の炎は消えたが、焦げくさいにおいがする。お礼を言うカルダンをそのままに、次の家に向かう。
走って、火を消して、また走って。何度も繰り返し、ヴェルゼともはぐれながら、ようやく炎が見えなくなって。アリアは激しく息を切らし、地面に膝をついた。途中、倒れている人を何人も見かけたが、これは毒によるものか煙によるものか。
「お見事」
ぱちぱちぱち、と空々しい拍手が聞こえた。
見上げた先にいたのは、白い髪に赤い瞳の、
「――シドラッ!」
「僕もいますけどね、アリアさん」
双子。
忘れもしない、因縁の相手。
エルナスの町に行けば、また彼らと出会うと思っていた。しかし会わなかった。それは、このためなのか。
「やっぱり。怒りや絶望の方が、心に深く根付くんだ」
「ですね。ヴェルゼの奏でたあの音も……最後はとても暗かったですし」
シドラの言葉にフィドラが返す。
アリアの心に、暗い感情が生まれた。湧きあがりそうになる憎しみを、懸命に抑える。
恨んだり憎んだりするのはヴェルゼの役目だ。だから自分くらいは、明るく穏やかでいたい。そういった感情に身をゆだねない。
懸命に自分を抑えるアリアに、シドラは言う。
「ほぅら、これで忘れられなくなっただろう?」
このまま、何事もなかったら。終わった町の因縁と一緒に、シドラたちのことを忘れようとしていた。そんなアリアの心を見透かすように。
「ボクたちは何度でも証明する」
疲労で動けないアリアを見下ろしながらも、シドラが言う。
「ボクたちの存在を。イデュールだって、この世に傷痕を残すことが出来るんだってことを。忘れられちゃあ困るんだよ。だから最後にはとっておきの憎しみを」
「そこまでだ」
固く冷たい声がした。
凍えきったその声の主は、大鎌をシドラたちに向けていた。
嘲笑うようにシドラが言う。
「おやおや、弟くんは遅れてのご参戦。姉さんに置いてかれて悔しくないの?」
「黙れ」
静かな声にこもるのは、確かな怒りと燃え盛る憎悪。
次の瞬間。
斬撃。それは容赦なく。確実に相手の命を刈り取るために。避けたところに追撃。どこまでも冷えた漆黒の瞳で。ヴェルゼは冷たい殺人機械と成り果てた。それすらも避けられたところに、
「――させないッ!」
割り込んだのは、白いワンピースの少女。胸に咲く巨大な薔薇が、毒々しい色を見せた。彼女に咲く薔薇が
シドラに命を救われたとか言っていた少女、ローゼリアだった。
「シドラたちはあたいが守る。そのためなら何だってするよ」
そんな彼女を見て、ヴェルゼが舌打ちをした。
「そこをどけ」
「どかないよ」
ローゼリアの赤い瞳には、確固たる意志。
「どうしてもそこを通るって言うんなら、あなたの姉さんに被害が及ぶよ」
はっとなってヴェルゼは振り返る。
魔力と体力を使い尽くして動けないアリアの首に、ぶっとい薔薇の棘が迫っていた。これを刺されたら確実に死ぬだろう。
「…………分かったよクソ野郎」
すっとヴェルゼは引き下がる。するとアリアに迫っていた薔薇の棘も引っ込んだ。
それでいいんだよとローゼリアは微笑む。
「シドラたちにはね、まだやるべきことがあるんだ。そう簡単には殺させないさ。それじゃあ……またねっ!」
胸に咲く薔薇が、脈打つように大きく動いた。それに彼女は一瞬だけ苦痛の表情を見せたが、澄ました顔で引き下がる。
その場にはもう、シドラたち双子はいなかった。
完敗だ、とアリアたちは思う。
奴らを前に、どうすることも出来なかった。
奴らの思い通りになるのは癪だけれど、彼らは一生、忘れられない存在になるだろう。
息を切らすアリアたちを呼ぶカルダンの声が、遠く聞こえた。
◇
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