Bー7 終 幸せの地はここに

「さようなら、ソーティア嬢。また会える日を心待ちにしています」

 その三日後。二つに分かれた道を前に、サルフが手を振った。

「もう春が来ました。あなたにとっての春でもある。冬の間に、傷は癒えたでしょう? ――進みなさい」

 ぽんと背中を押された。不覚にも涙が出てくる。寂しかった。胸が張り裂けそうなほどに。思わず彼の名を呼んだ。

「さ……サルフ、さん……」

 サルフは穏やかに微笑んで、ソーティアの頬を挟み込むようにした。

 優しい声が、小さく囁く。

「私に休暇をくれた礼に、あなたには私の名をあげましょう。私の名は……エルエンシス・サルフリーザ。故郷の村ではエンシスと呼ばれていました」

「エルエンシス・サルフリーザ……?」

「この名を言えば、私と分かる人もいることでしょう。……楽しかったですよ、貴女と過ごせて。ほんとうによかった」

 彼が浮かべたのは、最高の笑顔。

 サルフは北へ続く道の方を向いた。その笑顔のままで、言う。

「別れは引き伸ばさないものですよ、ソーティア・レイ。これ以上ここにとどまる必要はないですね。もう春が来ました。春は出会いと別れの季節。互いに、前へと進むのです」

 ソーティアにいっときの休息と幸せをくれたひとは、いなくなる。

 春が来たから。春が来たから、別れなければならない。

「わ、私っ!」

 ソーティアは、去りゆく大好きな人の背中に向かって叫んだ。

「頼まれ屋アリアに行く! そこで、あなたとの再会をずっと待ってる! だから……!」

 サルフが後ろを振り返って、微笑わらった。いつも通りの、穏やかな変わらぬ笑顔で。ソーティアに優しい日々をくれた、あの笑顔で。

「わかっていますよ、ソーティア嬢。いつかはきっと戻ってきます。再び休息が必要になったら、そのときに」

 サルフはもう、振り返らなかった。

 彼を見えなくなるまで見送ったあと、ソーティアもまた、目の前の道を進んでいった。自分の道。自分だけの道。今は一人で歩む道だけれど、サルフが平和をくれたから。幸せをくれたから。歩いていける。


――冬は明けて、春が来る。

 サルフのくれた喜びとあたたかさ。胸に秘めて、絶対に忘れない。


  ◇


「……ってわけなのです」

 ソーティアはそう締めくくった。

「予想外に、辛い道を歩んできたんだな」

 頼まれ屋アリアの店の一室で。アリアに乞われて、ソーティアは身の上話をしていた。ヴェルゼは素直に頭を下げる。

「……あの時は邪険にして、悪かった」

 ソーティアはいいえと首を振った。

「いまさらです。私は居場所を見つけられた。あなたたちにはとても感謝しているんですよ」

――幸せの地は、いずこ。

 その答えを探していた自分はもういない。

 サルフに約束した通り、今やソーティアはしっかりとした頼まれ屋アリアの一員。そこでの日々は、とても幸せだった。そこは、彼女にとっての「幸せの地」になった。

 サルフが、そこに至るまでの道を教えてくれたから。

「いつかまた、会えればいいわね」

 アリアがつぶやいた。

 あなたを救った、サルフという人に、と彼女は続ける。

 ソーティアは、強くうなずいた。

「恩返し、するのです。私を本当の意味で救ってくれた人だから」

 店の窓から、空を見上げた。季節は十二月。雪の降る季節だ。春にはまだ遠い。

 思った。

 いつかまた、サルフに会えるだろうか、と。

 あれから音信一つないけれど、いつか。


――幸せの地は、今、ここに。


 彼に伝えたいことが、感謝したいことが、抱えきれないくらいある。

 サルフ。

 エルエンシス・サルフリーザ。

「……あなたは今、幸せですか?」


【完】

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