Bー3 砕け散った楽園で

「わあ! きれいな空!」

 そんな状況なんて露知らず。ソーティアは空の青さに歓声を上げていた。

「次の織物の素材はこれね!」

 青い空に見下ろす大地。山のはじめのほうなのに、ここまでも美しいなんて。奥に行ったらどんな光景が待っているだろうと、考えるだけでわくわくした。ソーティアの心は弾んでいた。

 さらに進んで、空を見る。太陽は中天に差し掛かっていた。

「もっと登ってみたいけど……。さすがに帰らなきゃね」

 大きく伸びをして、山を降りようと足を動かした、刹那。

 恐ろしい気配を、感じた。

「……ッ!」

 はっとなって咄嗟に左に避けたら、魔法素マナの流れが見えた。

「ちっ、逃がしたか」

 声に振り向くと、そこには赤毛の若い男がいた。

「呪われたイデュールの民めが。人間の地に入るんじゃない!」

 その瞳はどこまでも冷たかった。イデュールを、人間と同じような存在とは見なしていない瞳だった。

 男は、言う。

「おまえなんて、この世には要らない。……消えてくれないか」

 ソーティアは怖くて、何も言えない。答えられない。頭はただ混乱するばかり。

 すると苛々したのか、男が大きな声を上げた。

「消えろと言っているっ!」

 何の前触れもなく、振り下ろされる剣。再び魔法素マナの動きが見える。剣に魔法素マナの流れが見えるということは、この剣は魔法剣だろうか。だとしたら、相当に珍しいものである。

 考えている余裕などなかった。何はともあれ死にたくはない。魔法素マナが相手ならば避けきれないことはない。ソーティアは相手の剣を避けると、呪縛が解けたかのように脱兎のごとく逃げだした。

 恐怖による硬直は解けていた。ただ「生きろ」と心が叫び、その叫びに従って身体が動いた。

「逃げるなっ!」

 怒鳴る声。

 追いかけてくる気配はするが、この山ならば土地勘がある。きっとうまく撒けるはずだ。捕まえられるもんか、とソーティアは心の中で舌を出した。

 他のみんなが捕まったって。自分だけは逃げのびてみせる。

 ソーティアの白い姿は山並みに消えた。


  ◇


「イデュール殲滅万々歳! 飲めや歌えやさぁ騒げ!」

 瓦礫となった、かつての楽園を背に。開けた空き地で男達が酒盛りをしていた。

「イデュール一人、捕まえたっ!」

 男の一人がうつむいた少女を引っ張り出してきた。おお、と声が上がる。

「どうやって捕まえたんだよ?」

「とある家から逃げ出してきたのをほら、一網打尽さ。もう一人女の子がいたんだが、そいつは逃がしちまったよ。二兎を追うものは、っていうし、流石に二人は捕まらんかった。まぁ、とっくに誰かが殺したろうなあ」

 男が少女を小突いた。

「ほら戦利品。名を名乗りたまえよ」

 少女は今にも泣きそうな顔で、小さく答えた。

「ルーシア……。ルーシア・レイです……」

 その瞳から涙がこぼれ落ちた。ひとつ、ふたつ。止まらない。それを見て周囲の男たちが冷やかす。

「ありゃりゃ、泣いちゃったぜ。泣かすなよー」

「勝手に泣いてんだろって。ほっとけよそんなガキ」

「そのガキどうすんの?」

「え? グローリィの辺りにでも売り飛ばすさ。ガキで、少女。こりゃ高く売れるよなー」

「あ、なら俺殺さなきゃよかったかも!」

「え? お前少女殺したの?」

「イデュールうぜぇしさ。てめぇは頭いいなあ」

「そっちがバカなだけなの。さ、宴会を続けようぜ!」

「ンだと、てめえ!」

 乱闘が始まった。それを遠くに見ながらも、ルーシアは泣いていた。

 助けてほしい、と強く願う。

 だが、そんな時に颯爽と駆けつけてくれる王子様なんて、夢物語に過ぎないのだ。

 ルーシアは、絶望した。


  ◇


「はぁっ、はぁっ……。一体何なんですか……」

 息を切らしながらも麓の町にたどり着いたとき、ソーティアは異変に気づいた。

 立ち上る異臭、人の絶えた町。赤い液体のかかった屋根や壁。

 壊された、楽園。

「えっ……? うそ……」

 転がる死体は、首のない体は。昨日まで遊んでいた友達のもの。

 さっきの追手、ここの惨状。近くで宴会の楽しげな音が聞こえる。

 ソーティアは頭を抱えた。

 わたしたちは。呪われしイデュールの民は。粛清されたの?

 今まで、ひっそりと守り続けてきた楽園は。壊されてしまったの?

 ソーティアの膝ががくがくと震え、耐え切れず、くずおれる。

「ルーシア、姉様っ!」

 呼んでも、答える声はない。赤い瞳が絶望に染まる。

――わたしの家族まで、殺されてしまったの?

 ソーティアの喉の奥から、声にならない悲鳴が漏れた。

(コロサレル)

 確信した。

(ここにいたら、殺される!)

 恐怖が背筋を這い上り、ソーティアはその場から逃げ出した。

 死にたくなかったし、何よりも。全て壊されたこの場所に、留まっていることが苦痛だったのだ。


 奪われた平和、たくさんの幸せ。それは、これまで迫害される運命さだめを無視していたがゆえの、災いか?

 いっときでも、たったいっときでも。わたしたちは幸せに溺れていてはならなかったのだろうか。

 そもそも、幸せとは、一体なに――?

 ソーティアには、分からなかった。彼女はまだ、たった十四歳の少女である。

 その日から、彼女の逃亡生活が始まった。

 彼女は何度も、心の中で問うた。

――幸せの地は、いずこ。

 壊されたあの場所以外で、自分が幸せになれる場所なんてあるのだろうか。

 未来には、絶望しか見えなかった。


  ◇

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