Bー2 引き裂かれた平和

 パッタン、パッタン。はたを織る音がする。ルーシアとシーフィアが、一緒に並んで機を織っていた。織り上がっていく模様は美しいグラデーション。イデュールの民にしか作れない、『イデュール織』が少しずつ仕上がっていく。

「ルーは何を織っているの?」

 シーフィアが話を振ってきた。お空、とルーシアは答える。

「青空じゃないんです。夜の、青と黒の境目みたいな、あの素敵なお空」

 そこには、黒から徐々に青になっていく模様が描かれていた。時折星みたいな白や黄色が輝いている。これもまた滅多に見られない景色だった。ルーシアは、幼い頃に見たこの光景をずっとずっと覚えていた。

 彼女は興味を抱いて、姉に問う。

「シーフィア姉様は?」

「見てごらんよ」

 シーフィアがすっと動いて、妹の視界の邪魔にならない場所に行った。

 ルーシアは手を止めて、姉の機に近づいて行った。

 驚きの声を上げる。

「あれっ? これって……」

 そこには、青い空と、それよりもずっと青い何かが描かれていた。空より青いそれの上には、魚が跳ねていたり、真っ白な鳥が舞っていたりしていた。魚がいるってことは水だけど、川ってそんなに青かったっけ、とルーシアは首をかしげる。

「これ、なんですか?」

 問えば、シーフィアはうふふと笑った。

「本で見たのよ、ルー。川をたどっていった果てには、青い青い海があるって。銀の魚と白い鳥が、その上にいるって。それはそれは、美しいんですって」

 ルーシアは、信じられないものを見る眼で姉を見た。

「……姉様が、想像して、織ったの?」

 そうよ、とシーフィアは得意げに胸を張る。

「エルドキアの辺りまで行かないと、海は見られないもの。自分で想像するしかないでしょ?」

「すっごい想像力!」

 心底感嘆したようなルーシアの声に、シーフィアは満更でもなさそうだった。嬉しそうな顔して微笑んでいた、その時。

 声が、上がったのだ。緊迫した、声が。

「助けて! 敵襲、敵襲よ! 外の人だ! 楽園がばれた!」

 どたどたと荒々しい足音、激しい剣戟の音、飛び交う悲鳴、断末魔の叫び声。

 何か、大変なことが起きたらしい。湧きあがってくるのは恐怖。

「ね、姉様……」

 蒼白な顔で、ルーシアが姉にしがみつく。

「怖い……。怖いよっ!」

 そんな妹を抱き締めて、シーフィアが囁く。

「叫ばないでっ! 居場所がばれたら殺される! 今はとにかく、逃げましょう!」

 シーフィアは、決然とした顔で妹の手を引っ張った。

「今までなんにも起こらなかったのがおかしかったのよ。時が来たの。これで楽園は終わりよ!」

 再び上がる断末魔。場所が近い。

 怖くなって、ルーシアは思わず泣き出してしまった。湧きあがる恐怖を、どうにも出来なかった。彼女はまだ、たった十二歳なのだ。こんな事態に立ち向かうすべなど持ってはいない。

 泣きだす妹をシーフィアがなだめる。

「泣かないの! 泣いたらばれるって、どれだけ言ったら……」

「そこにいるのか!」

 シーフィアの声を遮るように、大きな声がした。

 ばれてしまった。わたくしが、泣きだしたから。

 ルーシアは固まったまま、動けない。

 声は、叫ぶ。

「女の子だな! 命だけは助けてやるから、今すぐに出てこい!」

 もう、助からないのだろうか。ルーシアは絶望した。そんな中、シーフィアが目に覚悟を浮かべて、言ったのだ。

「いいこと、ルー。声のした方の逆側に裏口があるわね。そこから走って逃げるわよ。あたしの後ろにぴったりくっついてくるのよ。悪いけど、あんたが捕まってもあたしは助けに行かないわ。自分のことは自分で守るの!」

 自分以外、省みず。生き残ること、ただそれだけをひたすらに思って。

「守るのは自分の命だけよ! さあ!」

 シーフィアが走りだし、裏口の戸を勢いよく開け放った。その後を、必死でルーシアはついてくる。

「裏か! 追いかけろっ!」

 たちまち追手が迫りくる中、逃げた。逃げて、逃げて、逃げて。生き残ることだけを、ただひたすらに考えた。だが、追手は迫ってきて。


 追手を撒いて逃げきった時、シーフィアの後ろにルーシアはいなかった。


  ◇

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