9-4 迷える魂を導いて

「ヴェルゼを待っている間、何もしないのもなんだかなぁ」

 アリアはぼやく。

 ねぇ、とシヅキたちを振り返った。

「もう一回、さ。あいつの様子を見に行かない? 偵察くらいなら問題ないでしょ!」

 大切な弟が動いているのに、自分だけ動かないというのは癪だった。動かなければ、と心の声がする。

 そうね、とシヅキも頷いた。

「今なら、さっきよりもよく状況が理解出来ているでしょうし。いいわ、行きましょう」

 そうと決まれば迅速だった。

 アリアたちは再び、例の丘に着く。

 そこにいたのは黄金の男と、魂を抜き取られたイヅチ。何度見ても変わらない。彼はまるで人形のように、焦点の合わない目をしている。そんなイヅチを見て、男は満足げな表情をしていた。

 耳を澄ませば、声が聞こえた。

「ふふ……くっくっく。何て、何て無様なんだイヅチ。人形使が人形になる……これほど滑稽なことはないな? ああ……ようやく。俺はお前に……」

 瞬間。

 もっと声を聞こうとしていたアリアが、前につんのめった。

 大きな音が、した。男の眼が、こちらを見つめる。

「誰だ」

「やらかしちゃった……」

 ごめんねとアリアはシヅキたちを見る。

 ばれてしまっては仕方がない、と思い、アリアは正々堂々名乗ることにした。

「あたしはアリア。頼まれ屋アリアのアリア・ティレイトよ。依頼によって、イヅチを元に戻しに来たの」

「頼まれ屋アリア……聞いたことはあったが……成程」

 アリアを見ていた男が、シヅキを視界にとらえて眉を上げる。

「む……お前は、シヅキか?」

「どうして私を知っているのかしら?」

 首を傾げるシヅキに、何でもないと男は返す。

 だが、ほんの少しだけ、動揺したようにも見えた。

 男とイヅチとシヅキ。何やら因縁がありそうだが、まだよくわからない。

 男は、シヅキを見ながら何やらぶつぶつと呟いている。

「……とすると、依頼人はシヅキか。兄さん想いの優しい妹を持って、イヅチの野郎も幸せなことで。だが、俺は邪魔されるわけにはいかないのでな」

 男の残された赤い右目に、鋭い輝きが宿る。

「消えてもらおう、かッ!」

「危ないッ!」

 刹那。

 飛んできたのは、片手に刃持つ人形。迷いなくアリアの首筋を狙ったそれからアリアを庇ったのは、イヅチの相棒たる人形ミカル。その身を大きく切り裂かれ、中の綿がはみ出る。

 ミカルは、文句を言うように小さな指を男に突き付けた。

「ふーう、不意打ちはやめてくれるかなミツキさん? ボクがいなかったら死んでたんだけど!」

「どうして俺の名を……」

「伊達にイヅチの相棒やってないって! ボクなら、キミがどいつか予想するくらい難くない! まぁ……イヅチとの約束もあるし? 名前以外はバラす気はないけどね」

 ミカルはくるりとアリアたちを振り返る。

「人形使の相手をするのは中々大変だよっ! 物理攻撃に要注意さ。防御魔法を張っておくんだねっ!」

 物理攻撃が相手なら、鎌を使うヴェルゼが適任だ。しかし彼は今この場にいないのだし、種を蒔いたのはアリアである。やるしかない。

 ひとまず氷の魔法を展開、目の前に防御壁を作る。どうしようかと考えている時だった。

「やれ」

 男――ミツキの冷酷な声がした。

 何、と思ったアリアは、見た。素手で氷の壁を打ち砕いた、虚ろな瞳のイヅチの姿を。その拳からは血が出ているが、痛がる様子なんて微塵も見せない。

 当然だろう、今の彼は人形なのだから。

 人形使は、直接戦闘はしない。人形と相手を戦わせ、自分は遠くで人形を操っているだけ。そして今のイヅチは人形だ。無論、ミツキの駒である。つまり。

「あたしは……イヅチと戦わなくちゃならないの?」

 救わなければならない相手と。

 アリアの隣で、シヅキが唇を噛む。

「……みたいね。私が許すわ。死なない程度なら攻撃しても構わない! 兄さまの動きを止めて!」

「分かったけど……あたし、細かい調整は苦手なのよね……」

 炎の魔法を使ったら、相手を焼き殺してしまう可能性がある。却下。風の魔法なら、相手の足だけを傷つけることも可能だろう。しかし得意魔法でないため、そのまま足を切り落としてしまう可能性もある。却下。植物の魔法でならば、足止めくらいは出来るかもしれない。しかし今の丘に、大きく育ってくれそうな植物は見当たらない。却下。アリアの出来ることは限られてくる。

 全属性使い。聞こえはいいだろう。だがその分、細かい制御を得意としない。全ての属性を使える代わりに、一つの属性を極めることは出来ない。それがアリアの欠点である。

 迫ってくるドール=イヅチ。その手に握られているのは片手剣。だが、今のアリアに打開策は見当たらない。硬直するアリアの隣、シヅキがどこからか弓を取り出して、矢をつがえた。放たれる。

 それはあやまたず、イヅチの左足を射抜いた。シヅキは顔をゆがめていた。こうするしかない、けれどこんなことしたくない。揺れる思い、それでも放たれる矢は真っ直ぐだった。

「アリアさん!」

 ソーティアがアリアに囁く。

「イヅチさんじゃない方に、風の魔法を放って下さい! 風の刃をお願いします!」

「え? いいけど……どうするの?」

「早く!」

 言われ、アリアはイヅチではない方に向かって、風の刃を放った。うなりを上げる風は、何にも触れることはなく通り過ぎ、やがて空に消えていく。

 ソーティアの赤い瞳が、輝いた。その瞳に、人間には見えないものが映る。

 アリアは思い出す。ソーティアたちイデュールの民は、人間には見えない魔法素マナを見ることが出来る。そして誰かの魔法が放たれた直後に限り、その魔法を完全にコピーすることが出来る――。

「ソーティアちゃん、あなた、まさか」

「切り裂け、風よ!」

 絶叫。顔をゆがめたソーティアの手から、風の刃が放たれる。それは完璧な制御をされて、イヅチの足を傷つけるだけで終わった。

 アリアだったら、彼の足を切り落としてしまったかもしれない。だがソーティアは、足止めだけで済ませることが出来た。

「ソーティアちゃん……」

「魔法の制御のやり方ならば心得ています。アリアさんが出来ないのならば、わたしがやります!」

 魔法の使えないイデュールの民が、魔法を使うにはこうするしかない。

 ソーティアは普段は戦えないが、こんな時に、アリアたちを救うことになるとは。

 そしてソーティアはくずおれる。当然だ、魔導士でない者が、無理して魔法を使ったのだから。掛かる負担は大きい。

「ありがとうソーティアちゃん。あなたはもう、休んでて」

 優しく声を掛け、ソーティアを庇うようにして立つ。

 そして見た相手は、

 目の前に。

「……へ?」

 相手の片手剣が、ゆっくりと持ち上がる。シヅキの悲鳴、ミカルの声。

 足を傷つけられた程度で、人形は止まらない。

 ミカルだって、胸を大きく切り裂かれたのに、余裕で動けていたのを忘れていた。

 もしも人形を動かなくしたいのであれば、その手足か頭を、欠損させるしかないのだという事実に気付く。そしてそんなこと、イヅチに対して出来るわけがない。

 それを分かって、ミツキはイヅチをけしかけたのだろうか。

「アリアさんっ!」

「――姉貴ッ!」

 その時。

 待ちわびていた、声がした。

 金属音。イヅチの片手剣は、ヴェルゼの鎌に弾かれる。

 アリアは涙目で弟を見た。彼がこれほど頼もしく思えた日はない。

「ヴェルゼ……」

「この……大馬鹿姉貴がッ!」

 ヴェルゼは、怒り心頭といった顔で姉を睨んだ。

「後で話がある。だがひとまずは……今の状態を何とかしなければな」

 ヴェルゼは背後のデュナミスを見た。デュナミスの手に抱えられているのは、イヅチの魂を収めた檻。

「解放しろ、デュナミス」

「仰せの通りに」

 芝居がかった仕草で礼をしたデュナミスは、魂の檻を解放する。解き放たれた黄金の魂は、一直線に自分の身体へと向かっていく。ミツキが悲鳴を上げた。

「やめろ……せっかく! 復讐出来るところだったのに!」

「悪いが、これは依頼なんだよ」

 イヅチの身体に追いすがろうとしたミツキに、ヴェルゼは容赦なく鎌を向ける。

 そうやって見ているうちに、魂は完全に身体に吸い込まれた。

「兄さま!」

 泣きそうな顔でシヅキが駆け寄る。

 イヅチのまぶたが、ふるふると震えた。黄金の瞳が顔をのぞかせる。

 絞り出すように、吐き出された、声。

「……ぼくは」

 それは、頼りない幼子のような。

「いったい……なにを、していたの?」


  ◇

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