9ー3 死霊術師の領分


「ヴェルゼ、イヅチの魂の気配って覚えているかな」

 二人きりになり、デュナミスが問う。

 覚えている、とヴェルゼは返した。

「一見、輝かしい黄金の光のように見えて……深い闇が垣間見える魂。あんなのは滅多にないな」

 さて、追跡の儀式を始めるか、とヴェルゼは鞄から道具を引っ張り出す。

 出したのは漆黒の香木と香を焚くための金属製の壺、そして赤く輝く小さな宝石と何かの布の切れ端、緑の液体の入った硝子の小瓶、。壺の中には、半分ほど灰が入っている。ヴェルゼはその上に香木を置いた。誕生日に買ったアヴァラン香木である。

 ヴェルゼが赤い宝石に触れて小さく何かを唱えると、そこから小さな炎が生まれた。それで香木に火を点けると、深い森の香りが漂ってくる。それはとても落ち着く香りで、思わず深呼吸したくなるほどだった。

 煙を上げてゆっくりと燃える香木の上、布の切れ端を落とす。それはあの日、イヅチに貰った幸運の人形の着ていた服の一部だった。何かに使える日も来るだろうと思って一部を切って持っていたのだが、こんなところで役に立った。ヴェルゼは基本的に、自分と関わった人間の服の一部や髪の毛などを、こっそりと拝借している。それはいつか、呪いを掛ける時や何かを探す時に役に立つだろうと考えてのことである。

 落とした布の切れ端は、音も立てずに静かに燃えだす。それが燃え尽きる寸前、ヴェルゼは小瓶の中身の液体を一滴だけ垂らした。

「居場所を示せ――イヅチ!」

 目を見開き、唱えると。香木から漂う煙が、すっとある方向へ向かっていく。ヴェルゼはにやりと笑った。

「成功したみたいだな」

「まぁ、魂の捜索なんて死霊術師の基本だしねぇ」

 隣でデュナミスが茶化す。

 煙の導く先に、きっときっとイヅチの魂はある。

 ここ最近、戦闘が多くて血の魔術を使ってばっかりの日々だったが、ヴェルゼの本業は死霊術師である。迷子の魂を探し、暴れ出した死霊を倒し、死者の声を聞いて無念を晴らす。それが本来の彼の仕事だ。

 そしてやがて、見つけた。

「イヅチ、か……?」

 声を掛けるなり、その魂は襲いかかってきた。


  ◇


「落ち着けって! オレたちは敵じゃない!」

 鎌を背中から引き抜いて応戦する。イヅチの魂は不安げな声を上げて、その身を黄金の毛並みを持つ狼に変えて噛み付いてきた。

 人の魂は、その人の望んだ姿に変身して死霊術師の前に現れることがある。今の狼の姿は、イヅチの自己防衛の気持ちのあらわれだろうか。

 襲いかかってくる狼。ヴェルゼの声なんて聞きやしない。これが彼の本性なのだろうか。明るく優しく笑っていた彼は、本当は大きな不安や敵愾心を抱えていたのか。

「傷つけるのは本意じゃない……」

 それを考えて動くヴェルゼは防戦の一方だ。デュナミスは何かの術式を練っているようだが、彼は優しく見えて冷酷にも慣れる人間である、早めに決着をつけないとイヅチの魂が大きな傷を負う可能性がある。

 大きな傷を負った魂でも、元の身体に戻ることは出来る。しかしそうなった場合、長い間目覚めなくなることがある。それは望むところではない。イヅチを元に戻せたって、目覚めなくなっては意味がない。そして傷ついた魂は、時間の経過以外で治す方法がない。

「デュナミス! 魂を傷つける真似はするなよ?」

「……黙ってて! さぁ出来た! 我に溢るる魂の炎! その身を変えよ、大蛇と変えよ。大蛇と変わりしその後は……呑み込め果てどない深淵へ!」

 霊体のデュナミスが銀色に輝く。死んでいる彼の力は有限だ。身体は死んでいるために、これ以上新しい力を生み出すことは出来ない。一度使った力はもう二度と戻ってこないが、そもそもが膨大な魔力を持つ術師だった。そう簡単に枯渇するような魔力ではない。

 輝いたその身体。その手から放たれたのは魔力の波動。太い光線のようだったそれは、黄金の狼にぶつかる寸前でくわっと大きな口を開き、狼を包み込む。

 動きが静かになった時、それは灰色に輝く檻となっていた。

「攻撃しか出来ないと思った?」

 得意げに笑うデュナミスに、

「……死んでるから、オレみたいに道具使うのは出来ないじゃないか。見せ場奪いやがって」

 ヴェルゼは、憎まれ口を叩いた。

 けれど確かにこれが最善の方法。檻の中に閉じ込めれば、傷つけずに送り届けられる。

 灰色の檻の中、暴れ狂う狼に向けてヴェルゼは笛を吹いた。流れる音色は穏やかで、相手を落ち着かせようという思いが分かる。その音色を聴いて、最初は暴れていた狼も次第に静かになっていった。

 さて、とヴェルゼは前を向く。

「思ったよりも早くに見つかった。……帰ろう」


  ◇

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