誕生日短編 いつか来る春 ――12月2日

いつか来る春

 時は少し進んで。

 それは、十二月はじめの穏やかな日のことだった。


「やぁ、ヴェルゼ。ちょっと二人でお出かけしない?」

 悪戯っぽくデュナミスが笑った。

 ヴェルゼは訝しげな顔をする。

「ん? あぁ……別に悪くはないが。いきなりどうした?」

「いいからいいから。たまには二人で行こうよ、ね?」

 誘われるがままに、ヴェルゼはデュナミスと共に店を出る。吸い込んだ空気は冬の匂いがした。凛と澄み渡った外気は心地よい。

「……最近はめっきり寒くなったな」

 マフラーに顔をうずめながらもヴェルゼが呟く。初雪はもう降った。本格的な冬がやってきている。

 そんなヴェルゼの隣にふわふわ浮かんでいる半透明のデュナミスは、いつも通りの灰色の服に白いネクタイ。その姿は、季節が移っても変わらない。

 亡霊が実体を持っているだけの存在である彼は、寒さも暑さも感じないし、食べることも眠ることもしない。寂しそうにそう言っていたのを思い出す。

「で? お出かけって、何処へ」

「何処へでも。ねぇヴェルゼ、何処か行きたいところある? 僕がついていくよ」

「お前、今日は妙に優しいな……。行きたいところ、ね。死霊術で使うアヴァラン香木が足りなくなってきたから、補充しようとは思っていたが……でも今日でなくても構わないぜ?」

「じゃ、お店に行こっか」

 首を傾げるヴェルゼをそのままに、デュナミスは足を引きずりながらも進んでいく。何が何だかよく分からなかったが、とりあえず目的を果たすことにしようとヴェルゼは町の商店街に向かった。


  ◇


 行きつけの薬草屋を訪れる。アヴァラン香木を始めとした幾つかの薬草類を買って店を出る。またお越しくださいとの声を背中に受け、商店街を進んでいく。

「用事は済んだし……帰るぞ」

 デュナミスを振り返ったら、通せんぼするように立ち塞がられた。

「はぁ? 何なんだよ今日は……」

 ヴェルゼは眉間にしわを寄せる。

「何のつもりだ。お前、朝から変だぞ。何だよ……もしかして店に戻ってもらいたくない何かがあるとか? 尚更不安なんだが?」

「ええっとね……」

 普段はヴェルゼと腹を割って話すデュナミスにしては歯切れが悪い。

 苛々して、ヴェルゼは先へ進む。するとデュナミスが実体化してヴェルゼを止めた。

「そ、そうだヴェルゼ! 何か食べたいものとかないかい?」

「ない。というか、姉貴の作るご飯以上に美味いものなどないだろ。そこをどけ」

「今、お店は準備中なんだよね……」

「準備中? 何の?」

「夕方まで待って! そうしたら話すから!」

「……分かった」

 ヴェルゼは大きく溜め息をついた。

「お前がそこまで言うんだから、きっと何かがあるんだろう。仕方ない、待ってやる」

 ヴェルゼが言うと、デュナミスはほっとした顔をした。

 今日は特別な何かの日らしい。

 何の日だったっけなと頭をひねっても、ヴェルゼにはそれが何か分からなかった。

 それは、あまり意識したことのない日だったから。


  ◇


 夕方になる。冬は日が落ちるのが早い。黄昏の光が、町に残る雪を幻想的に染め上げる。

 二人で商店街をぶらついていたら、そろそろ頃合いかなとデュナミスが呟いた。

「ヴェルゼ、お店に帰ろう。アリアたちが待ってるよ」

「もういいのか?」

「うん。流石に準備終わってるでしょ」

 ふわふわと、しかし足を引きずりながらも浮かぶデュナミスについていって、ヴェルゼは店に戻る。店の扉の前に立つと、デュナミスがすっと脇によけた。ヴェルゼが扉を開けなければならないらしい。

「何なんだよ一体……」

 扉に手を掛けて一気に引く。すると。

「ハッピーバースデー、ヴェルゼ!」

 明るい声。同時、何かの弾ける音。輝く火花がヴェルゼの鼻先を通り抜けた。

「……は?」

 ヴェルゼは呆然と固まった。

 いつもと同じ店、見慣れた空間、のはずだったのに。至る所に装飾がほどこされ、そこは全く違う空間のようにも見えた。金銀に光るリボン、火花を閉じ込めたガラスのランプ。来客用に複数あった机や椅子の多くは脇に寄せられ、大きな机と幾つかの椅子だけがどーんと置いてある。

 アリアが明るい声で言う。

「今日、十二月二日! ヴェルゼの誕生日でしょ。忘れたの?」

「誕生日……」

 あ、と思い至り頷いた。

 そうだ、今日は自分の誕生日だったのだ。すっかり忘れていた。

 今日のデュナミスの行動。店から連れ出し、店に帰らせようとはしなかった。それは全て、アリアたちがパーティーの準備をする時間稼ぎのためだったのだ。

「姉貴……」

「へっへーん、待ってなさい。今日はご馳走作ったんだから! ヴェルゼはその椅子に座ってて! さぁ、豪華な夕食よ!」

 何か言いかけたヴェルゼに気付かず、アリアは店の奥の台所に消えていった。お手伝いします、とソーティアもいなくなる。僕も、とデュナミスまでいなくなりヴェルゼは途方に暮れた。とりあえず、言われたとおりに椅子に座る。

 しばらくして。

「はーい、お待たせっ! お姉ちゃんのお祝い料理、召し上がれ!」

 アリアたちが料理を運んでくる。

 鶏の香草詰め、ほわほわの小麦パン、野菜たっぷりのあったかスープに川魚の塩焼きフルーツ添え。立ち上る良い匂いを、ヴェルゼは胸いっぱいに吸い込んだ。

 滅多に食べられるものではない。切り分け、かぶりついた鶏は、幸せの味がした。

「美味しい? ヴェルゼ」

 一緒に料理を食べながら、アリアが訊ねてくる。ああ、とヴェルゼは頷いた。

「最高に、美味い……。ありがとな、姉貴」

「お姉ちゃん、すごいでしょー?」

 料理を褒められて、アリアは嬉しそうに笑った。

 穏やかな時間だった。依頼ばかりの日々は楽しいこともあったけれど、忙しくもあって。あまりのんびりした時間を取れていなかったなとヴェルゼは思う。新しい仲間がやってきたり、王子によって強引に連れ去られたり。目まぐるしい日々だった。だから。

 この時間を、とても愛おしく思った。

 ヴェルゼは知っている。自分の命がもう、あまり長くはないこと。ヴェルゼの魔法は、己の命を死の神である黄昏の主に捧げて放つ特殊な魔法だ。そして意識をこらせば、黄昏の主が今どのあたりにいるのか、察知することが出来る。

 ヴェルゼの死神はまだ少し遠い。だがこれから先も魔法を使うことをやめるつもりはない。黄昏の主との距離は近づくばかりだろう。だが、それでも。それが「ヴェルゼ・ティレイト」という人間の生き方なのだ。

 幸せなひとときは、自分にあと何回残されているのだろうか。それを思うと胸が苦しくなってくる。

 いつか、いつか、自分が死んだあと。アリアはこの幸せな時間を思い出して、その悲しみを癒してくれるのだろうか。

 今が幸せであればあるほど、痛みを感じてしまうのは何故だろうか。

「ヴェルゼ? どうしたの?」

 食べる手が止まっていたらしい。はっとなって、何でもないとヴェルゼは笑う。

 いつか必ず来る「その日」。考えてしまうのは仕方のないことだけれど。でもそればっかり考えて、目の前の幸せを台無しにするのはナンセンスだ。

 ヴェルゼは鶏肉と一緒に、幸せを噛み締めた。


  ◇


 その後、アリアとソーティアの作ったケーキを食べた。ケーキは、甘いものがあまり得意でないヴェルゼに配慮したのか、甘さ控えめで食べやすかった。たくさん食べて、たくさん笑って。そして夜はふけ、眠る時間がやってくる。

「今日はありがとう。……お休み、姉貴」

「ええ! お休みなさい、ヴェルゼ」

 姉に挨拶をして自室に戻る。

 窓からは、澄み渡った冬の星空が見えた。

 ヴェルゼは冬が好きだ。冬の、この透き通るような空気が好きだ。それに冬には希望がある。冬が終われば春が来る、という希望が。今は確かに凍えるような世界でも、約束されているのは明るく温かい未来。それがあるから冬が好きだ。

「……春になったら」

 ヴェルゼは呟く。

「姉貴の誕生日が、あるな……」

 その時は祝い返してやると、ヴェルゼは小さく心に誓った。

 明るい春のことを思えば、確実に来る終わりへの恐怖も薄らぐような気がした。


【いつか来る春 完】

【Happy Birthday、Verze Tirate】

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