Aー8 哀しき神童に弔いを

 やがて辿り着くペナンの地。町の人々は普通に暮らしている。まだ、件の死霊は来ていないらしい。安心に二人は肩の力を抜いた。

「でもね、感じるよ。あいつは確かにここに向かってる。で、あいつの目的地に僕がいる以上、あいつは僕を目指して来るだろう。準備はいいかい、ヴェルゼ。決戦の時だ」

「ああ勿論」

 デュナミスの言葉にヴェルゼは頷く。

「ペナンの町には行ったことがある。奴を迎え撃つのに丁度良さそうな場所があるからそこまで行くぞ」

 デュナミスを背負い歩く。

 やがて辿り着いた場所は、ちょっとした広場になっていた。そこにデュナミスを下ろす。

「さて……戦闘が始まるから注意しろとみんなに言ったって、普通は信じてくれないよな? 下手なことしたら治安維持部隊呼ばれておしまいだろうしな」

 そうだねぇ、とデュナミスは頷く。その灰色の瞳に、鋭い輝きが宿った。

「ならさ、治安維持部隊が来る前に決着をつければいいんだよ。――流れろ流れろ魂の炎、空を大地を穿て抉れ破砕せよ!」

「おい待てその詠唱は――」

 デュナミスが天に手を掲げる。すると生まれた灰色の魔法陣。そこから無数の星が生まれ、大地に落ちて地面を砕く。轟音に気付いた町の人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 ヴェルゼは思わずデュナミスに食って掛かった。

「だから! 魂の灯火ウィスプ・リュウールなんて簡単に使っていい魔法じゃないだろ!? っていうかあれは準備が必要な魔法だよな一体いつ準備した!?」

「まぁまぁ落ち着いて。これで他人を巻き込まないで済むようになったし、あいつも呼び寄せられるだろうから。この町に着いた時から詠唱待機状態にしてたよ? 僕なりに計画練っていたのさ」

「なら最初から言え! それならまだ対応のしようもあった!」

「驚かせてみたかった……じゃあ駄目かな?」

 悪戯っぽくデュナミスは笑う。まったくとヴェルゼは溜め息をついた。

 と、不意におぞましい気配を感じた。反射的に上を見る。

「来たよ、ヴェルゼ……奴だ」

 そこにいたのは、全長五メルほどの漆黒の影。一見人の形をしているようにも見えるそれは、何度も収縮と膨張を繰り返し、不気味にうごめいている。ソレの目らしき部分には、白い光が宿っていた。

 ヴェルゼは感じる。こいつは別格だ、と。

 これまで何度も様々な死霊と対峙してきた彼だが、目の前のこいつは格が違った。死霊の発する圧倒的な威圧感に、思わず膝を折ってしまいたくなる。

 ソレはデュナミスを見て、口らしき部分をくわっと開けた。喉の奥から洩れる声は喜びに満ちていた。見るもおぞましきソレは歓喜の叫びを上げて、デュナミスを抱き締めようとでもするかのように手を伸ばす。

 ソレの声が聞こえる。解放されたばかりのソレの心はあまりに幼い。だが、ソレは幼いがゆえにとんでもない邪悪さを秘めていた。何も知らないソレは、ただ欲望の赴くままに、目に入ったあらゆるものを破壊する。

「君が……僕の罪」

 囁くようにデュナミスが言う。

「無邪気で悲痛な声に、耳を貸した僕が悪い。優しすぎた僕が悪い。名もなき怪物よ、遠い日の死霊よ。君は君を解放した僕が倒す。だから……」

 動かぬ足を動かして、抱き締めようと伸ばされた手をかわす。

 灰色の瞳には、揺るがぬ決意が燃えていた。

「大人しく、葬られなよッ!」

 瞬間。燃え上がるデュナミスの魔力。それは灰色の波濤となって、ソレに襲いかかる。

「加勢するぞッ!」

 叫び、ヴェルゼは駆ける。デュナミスの生み出した灰色の波濤を追うように。

 灰色の波濤。ソレに到達する。それは悶えるような仕草を見せたが、大したダメージではないらしい。斬撃。生まれた隙に、ヴェルゼは鎌を叩き込む。己の魔力を込めた鎌は、死霊のように実体のないものですら切り裂く力を秘める。

 悲鳴。おぞましい声が響き渡る。聞いていたら頭がおかしくなりそうな声。同時、響いたのは無垢であまりに無邪気な、


『――どうして こんなひどいこと するの』


「デュナミス! 耳を貸すなッ! そいつは化け物だッ!」

「わかってるさ! 僕はもう、優しすぎた自分じゃない!」

 ヴェルゼの声に応える声は、少しも揺るがないしっかりとした声。

 普通の人ならばその声を聞いた瞬間に、戦意を喪失するだろう。だがデュナミスもヴェルゼもそうではない。そんな声には惑わされない。そんな叫びで揺らぐような決意ではない!

「教えてやろうか化け物! お前はッ!」

「悪い子だからねぇ! お仕置きしないとねッ?」

 ヴェルゼの言葉にデュナミスが被せる。

 ちらり振り向いたデュナミスの周囲には、灰色にきらめく魔法陣が浮いていた。感じたのは圧倒的な魔力。天才死霊術師、デュナミス・アルカイオンの本気が垣間見える。

 デュナミスの口が開き、高速で詠唱を紡ぎ出す。

「流れろ流れろ魂の炎、空を大地を穿て抉れ破砕せよ! 悲しみの運命に嘆く魂よ、今こそその無念を解き放て! 全力解放ッ! ――魂の灯火ウィスプ・リュウール!」

 喉も裂けんばかりの絶叫。デュナミスがこれまで捕らえてきた全ての魂が解き放たれて、怨嗟の叫びをソレにぶつける。魂の弾丸に貫かれ、ソレはおぞましい悲鳴を上げた。確実に入っているダメージ。相手の負った傷は軽いものではないだろう。

 ソレは声を上げる。

『ひどいこと するなら やりかえす!』

「望むところだ! 防御式を紡ぐぞ耐えろデュナミスッ! 血の呪いブラッディ・カース闇色の抱擁フォンセ・アンブラッス!」

 ヴェルゼは懐からナイフを取り出し、躊躇なくそれを自分の右腕に突き刺す。溢れ出た血が渦巻いて、周囲の闇を取り巻いた。やがてそれはデュナミスとヴェルゼを包み込むようにして動き出す。

 驚いた顔でデュナミスが叫ぶ。

「ちょ、それ何!? 死霊術じゃないよね!?」

「独自で編みだした魔法、血の魔術だよ。オレの血液を媒介とする強力な魔法だぜ、そんな簡単には破られまい」

 ヴェルゼはにやりと笑った。

 血の魔術。自傷によって発動する魔法。それこそヴェルゼの最強の切り札。

 それは術者の血を消費するが、その分強力である。怒り狂った死霊が拳を振り上げるが、それはヴェルゼの守護魔法によって弾かれる。

 ヴェルゼは勝利の笑みを浮かべた。

「防御さえ出来れば怖くはない。一気にたたみかけ――ぐあぁッ!」

 だが、油断してはならなかった。

 勝利を確信したその瞬間、破られた闇の防壁。術者であるヴェルゼは吹っ飛ばされて、しばらく動くことは出来そうにない。

 魔法の切れ目から見上げたソレは、無邪気な子供のように小首をかしげている。ソレはしばらくデュナミスを見ていたが、興味なさそうにして目をそむけ、倒れているヴェルゼを見た。その目が新しいおもちゃを見つけた子供のように光り輝く。

「……ッ、やめろ!」

 意図を察したデュナミスが叫び、ヴェルゼの方へ駆け寄ろうとする。しかし動かない左足が邪魔をして、そのまま転んでしまった。デュナミスは必死で這って、ヴェルゼの元へたどり着こうと足掻く。食いしばった歯の間から、声がもれる。

「誓ったんだ……これ以上、僕の解放した災厄による犠牲者を増やしてなるものかって……。そのための旅だ、そのための贖罪だ! ヴェルゼを――傷つけるなぁぁぁあああああああッ!!」

 叫んだ。黄昏の主に、デュナミスは強く願う。

 自分の命を消費し尽くしてもしてもいいから、自分はどうなってもいいからヴェルゼを助けてと。

 デュナミスが睨むように見ている先、死霊の振り上げた必殺の拳がヴェルゼに迫る。ヴェルゼは必死で抵抗しようともがいているが、そんなちっぽけな鎌ひとつでどうにかなるような威力ではないだろう。

 デュナミスは、必死で叫んだ。


「させるかぁぁぁあああああああッ!!」


 瞬間。

 動かなかったはずの身体が、動いた。

 あり得ない距離を一瞬で跳んだ。気が付いたら、デュナミスはもうヴェルゼの目の前。ヴェルゼを庇う位置に到着したデュナミスは、ヴェルゼを思い切り突き飛ばす。

 ヴェルゼが驚いた顔をした。

「デュナミス! お前――ッ!」

「死ぬのならヴェルゼじゃない! 僕だッ!」

 立ちふさがったデュナミスを、

 死霊の拳は問答無用で叩き潰した。

 ヴェルゼの目の前で、デュナミスは赤く染まった肉片へと変わる。

 飛び散った粘りつく液体、むっと漂う赤錆のにおい。

「お前――ッ!」

 嘘だ、嘘だろとヴェルゼの頭が現実を拒否する。死なせるものか、死なせてなるものかと死霊術師の力を呼び起こし、ぐしゃぐしゃになったデュナミスの身体を修復する。出ていった魂に必死で呼び掛ける。「死なせてなるものか」強い思いで。持てる限りの力を駆使して。

 それと同時、死んだばかりのデュナミスの魂が叫ぶ。「死んでなるものか」と。それにヴェルゼの思いが重なる。「死なせてなるものか」「死んでなるものか」重なる想いは共鳴する。

 だが無駄だった。戻って来はしない。失われた命を蘇生させるのなんて、神様ですら不可能なのだから。それでも願った、必死で願った。あの日口にした未来を、デュナミスと一緒に頼まれ屋アリアに戻るという未来を、何としてでも現実にするために。

 そうしたら、声が聞こえたのだ。

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