1-7 頼まれ屋の誇りにかけて!

 廃墟の中を、慎重に進んでいく。複数の話し声、何か道具を使う音。低く呪文を唱える声も聞こえ、その後で失敗したような困った声、それに対する舌打ちの音。

現場の外にまで感じられる張り詰めた空気。何人くらいいるのだろう? アリアは横目でヴェルゼを見た。彼にはもうわかっているのか、任せろと言う風に頷くのが見えた。

 そして、その先で明瞭に聞き取れるようになった、声。

「よしっ、ここをこうすれば……」

「あともう少しだ。行けるぞ! 今度こそ失敗するんじゃないぞ!」

「邪魔な守り手は排除した!」

「さぁ、今こそ……」


「――させないわ」「させるかァッ!」


 固く閉められた扉をアリアの炎がぶち破り、轟音と共に閃光を放った。爆発した光と炎が、暗い廃墟をまばゆく染め上げた。

 刹那、ナイフか何かで肉を断つ音、小さなうめき声。そして直後、囁く声。

血の呪いブラッディ・カース――血色の縛鎖ブラッディ・バインド

 声と同時、赤黒く輝く血色の鎖が闇を切り裂いて伸びていく。

 アリアの赤い髪が、廃墟の暗闇の中で燦然と輝いた。

 右手に炎を浮かべてアリアは見る。その部屋には男が三人おり、そのうち一人の手に件の箱があるのを。そしてその箱に厳重に施されていた封印が解かれ、今まさに箱が開けられようとしているのを。その箱を開けようとしていた男に血色の鎖が巻き付いて締め上げ、男は思わず箱を取り落とす。それを見逃すわけがなく、素早く駆け寄った漆黒の影が箱を回収、鎖で男を縛ったまま、後ろに向かって跳躍、大きく距離を取る。

「……何故ここがわかった」

 部屋の一番奥にいた男が問うと、「僕のお陰だね」とデュナミスが答えた。

「死者たる僕が姿を消して偵察、場所を皆に教えた。それだけさ」

 死んでいるのは便利だね、と事も無げに、しかしどこか寂しげに呟いた灰色の亡霊。

 何はともあれ、とアリアが言った。

「取り返したければ奪えばいいわ。そう、あたしたちにしたように。でもそう簡単にはいかないわよ? こっちはそこそこ怪我してはいるけど、もう、一人じゃないんだからっ! それにさぁ、あたしの大切な弟に何ひどいことしてくれてんのよ。来るなら来なさい、あなたたちにも同じだけの怪我をさせてあげるわッ!」

「……姉弟の実力を、舐めるな」

 アリアの隣に、ヴェルゼが立つ。

 彼の右腕は激しく出血していた。彼の使う血の魔術は術者の血を媒体にする、つまり血を流していない術者は自分の身体を傷つけないと術を行えないのだ。そのためにあえてヴェルゼは自分を傷つけ、血の鎖で相手を縛り、強引に箱を奪うという強硬手段を実行した。血の魔術は消耗が激しいが、その分威力も絶大なのだ。

「ちょっと待て待て。提案がある。いいから落ち着け」

 リーダーらしき奥の男が降参するように両手を挙げる。何よ、とアリアが鋭く男を睨むと、男は闇の中、ぼんやりと見える口元に得体の知れない笑みを浮かべた。

「この箱は開けた際に周囲にいた人々に幸福をもたらすのだ。最初は我らで独り占めしようとしていたが、どうだろうか。お前たちもその恩恵にあずかるというのは。こちらは攻撃されないし、そちらも恩恵を受けられる。悪くはない取引だと思うがな?」

 そうね、とアリアは頷いた。

「確かにそれは一理ある。あたしたちも、余計な争いはお断りよ」

 その言葉に、ヴェルゼは焦ったような声を上げた。

「おい、姉貴……」

「――でもね、あたしたちは『頼まれ屋アリア』なの」

 彼女の瞳に誇りの炎が宿る。

「だから! あなたの言うことがたとえ真実だとしても、それが幾ら旨みのある話でも、あたしはそれを呑むわけにはいかない、頼まれたことを果たさないわけにはいかないの。だってあたしは言ったんだから」

 彼女は誇らしげに「いつもの台詞」を叫んだ。

「『頼まれ屋アリア、依頼、承りました』って、ね! あなたの甘言には惑わされない!」

 アリアはきゅっと目を閉じて、開いた。その身体から火の粉が舞う。それは彼女の矜持の炎だ、彼女の強い意志の炎だ。

「いっけぇ!」

 叫び、右手を高く掲げれば。天に向かって伸ばされた手に、炎の大きな塊が生まれる。

「……懐柔しようと思ったが、無理であったか」

 リーダーは苦い顔をする。アリアの炎に照らされたその顔はいかにも歴戦の戦士といったような傷だらけの顔。歳は四、五十代くらいだろうか。纏う空気も他の男たちとは違い、風格を感じさせる。

 リーダーは唇の端をゆがめて笑った。

「だが……こちらに魔導士がいないと思ったら大間違いだぞ、炎の娘」

 アリアが男に向かって炎を飛ばした直後、その炎は瞬く間に消えた。

「え……どういう、こと?」

 驚いた顔のアリアに、「水使いだね」とデュナミスが解説する。

「水使いが相手じゃ君の炎と相性悪いよ。全属性使いなんだろ、君。たまには違う属性も使ってみたらどうだい」

うーんとアリアは複雑な顔。

「使えなくはないけれど……」

 手を握ったり開いたりを繰り返す。そのたびに掌の上に浮かんだのは小さな炎、水滴の集まり、目に見えぬ風、紫電散らす火花、氷の結晶、熱のない光、周囲の暗がりを更に濃くする闇。

 魔導士は通常、扱える属性というのが生まれつき決まっており、それ以外の属性も扱えなくはないが得意属性以外に対して干渉できる力は弱い。しかしその代わり、たゆまぬ努力を続ければ得意属性の魔法を極めることができる。

 対し、アリアのような全属性使いはその中に得意とするものがあったとしても、ひとつの属性を極めることはできない。しかし彼らはすべての属性を同じ程度で操ることができる。全属性使いの数は少ないが、その対応力は恐るべきものがある。

 アリアは普段は炎しか使わないので炎使いだと思われがちだが、彼女は全属性魔導士、その真価はピンチの時にこそ発揮される。

「水には雷だ、雷の魔法素マナを組む準備をしろ」

「わかってる、って!」

 ヴェルゼの言葉にアリアは頷き、その手に魔力を集中させる。それらの会話を聞いていた水使いはすっと引き下がろうとするが時すでに遅し。

「知ってるわよね? ――稲妻は、光の次に速いのよっ!」

 避けようと思って避けられるような代物では――ないのだ。

 掲げた手に稲妻が集まり、鋭い一陣の矢となって、相手の胸に吸い込まれるようにして突き刺さる。くずおれる相手。水を纏っていたがゆえに全身に感電し、そのまま動かなくなる。

「一人目、撃破っと。あとは二人ね? 来るならば来なさい。あたしたち姉弟が、相手になってあげる」

 赤い瞳に強い光を浮かべ、そう、アリアは口にした。

 一方、そうやっている間にも、ヴェルゼの血の鎖で縛られた相手の体力は削り取られていく。縛られた相手は鎖を引くが、するとヴェルゼの傷から鎖が伸びて、引いても引いてもキリがない。

「無駄だ。この鎖はその程度のことで何とかなるような代物ではない」

 ヴェルゼは不敵に笑い、

「では、呪われし血の魔術の第二弾をお見せしよう」

 ナイフを構えた。ヴェルゼ自身の血の付いた、ナイフを。

血の呪いブラッディ・カース――呪い人形カースド・ドール

 彼は構えたナイフを傷ついた自分の腕に振り下ろす。当然ながらそこから更なる血が噴き出すが、それだけではなかった。

「ぐあっ!?」

 相手の男の、驚いたような声。

 ヴェルゼは自分を傷つけただけ、なのに。

 相手の腕の、ヴェルゼが自分を傷つけたのと同じところに、同じ傷が刻まれていた。

 ヴェルゼは痛みをこらえつつ笑う。

「あんたの利き腕は右腕か? ならば潰して進ぜよう。オレの利き腕は左腕だから自分の右腕を傷つけたって問題はない。この術式は痛み分けの術式――要はオレの食らったダメージが、そっくりあんたに返ってくるというわけさ」

 そして問答無用でヴェルゼは右腕をさらに傷つける。相手の右腕にも深い傷がつく。相手はヴェルゼのナイフを奪おうと藻掻くが、ヴェルゼの血の鎖が身動きを許さない。相手は血の鎖に体力を吸われ、さらに利き腕を潰された。当然ながらヴェルゼだって無事では済まないが、それでもこの術式は強力だった。

「二人目、無力化。残るはリーダーらしきあんただけだ」

 出血多量でふらつきながらもヴェルゼは笑った。その傍らに寄り添うデュナミスが、ヴェルゼを温かい魔力で支えている。デュナミスの力によってヴェルゼの自己修復能力が加速、彼の傷は少しずつ塞がっていくが、血の鎖で繋がった相手の傷は癒しの動きには連動しない。

 リーダーの男は舌打ちをした。

「ただの魔導士姉弟かと思っていたら、舐め切っていたようだな……。まぁ良い! われは全力で立ち向かうのみ! 箱を奪えずともせめて一矢――!」

 瞬間、彼は超高速で呪文詠唱を始めた。気付いたアリアが相手を妨害せんと術式の準備を始めるが、先を読んだデュナミスが「水の防御を!」と叫び、アリアは反射的に術式を切り替え、水魔法による防御膜を自分と仲間たちに施した。何かを感じ取ったヴェルゼは血の鎖を強引に断ち切った。繋がりの切れた男がくずおれ――

 瞬間。

 大爆発。

 それはリーダーの男を中心に起こった。

 強烈な魔法の波がアリアたちを包み込む。ダメージの少ないアリアは必死で耐えるが、水の防御膜は少しずつ爆風に浸食されていく。

「まさか……自爆!?」

「そのまさかだ! 姉貴、耐えろッ!」

 アリアの声にヴェルゼが答える。デュナミスも彼独自の術式を展開、アリアの補助に回る。

 やがて。

「ふうっ……終わっ……た」

 アリアは大きく息をついた。

 爆風は凌ぎ切った。敵は倒せた。

 相手の自爆した廃墟は天井が見事に吹き飛び、そこから青い空が見えていた。

 鎌に縋って身体を支えつつ、急げ姉貴とヴェルゼは言う。

「あんなに大きな爆発があったんだ、さっさと動かないと王都の治安維持隊が来るぞ。面倒なことになる前にアンダルシャ神殿に行こう。箱を所定の場所に置かなければ……依頼は、完了したことにならないからな……」

「わかった……」

 頷き、彼女はゆっくりと動き出す。

 皆、満身創痍だったが、最大の壁は乗り越えられた。


  ◇

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