1-5 満身創痍はどちらの方?

 王都を間近に望む丘。その上で、ヴェルゼは見慣れた赤い髪を見た。

 倒れている彼女の姿を見、ヴェルゼの顔が青ざめる。生きているのか、死んでいるのか。ようやく再会できたが彼女は果たして無事なのか? 最悪の予感が彼の脳裏をかすめる。

 彼は怪我も忘れて彼女を抱え上げ、必死で揺さぶった。その隣でデュナミスが冷静に呼吸の動きを見、ヴェルゼの視界の端で、丸を作った。大丈夫というサインだろう。ヴェルゼは安堵の息をついた。そのまま姉を揺すり起こそうとする。

「姉貴、起きろ! 一体何があった? あの襲撃者の一団か? 目を覚ませッ!」

 ヴェルゼの呼び掛けに、アリアの瞼が震え始めた。ルビーのような瞳が瞼の下から現れる。焦点の合わない瞳が覗き込むヴェルゼの上で揺れた。

「ん……あた、し……――ああっ、そうだっ!」

 そして全てを思い出したらしい、アリアはがばっと飛び起きる。勢いあまってヴェルゼの額とアリアの額が衝突し、二人はそろって痛みのあまり涙目になってそっぽを向いた。その様子があまりにもそっくり且つ予想通りだったので、デュナミスは思わず噴き出した。ヴェルゼが大きく溜め息をつき、アリアがごめんと謝るのもまぁ、いつも通りの光景である。

「落ち着け。冷静に状況説明を頼む。いいか、落ち着けよ姉貴?」

 ヴェルゼの言葉に頷き、深呼吸してからアリアは話し始める。

「んーとね、ヴェルゼが川に落ちちゃってから、あたしはヴェルゼを心配してたんだけど諦めて王都に向かうことにしたの。連絡を取り合ったのはヴェルゼもわかるはず。あたしはスムーズにこの丘までたどり着いたんだけど、そこで多分……頭、殴られたんだと思う。不意に頭に衝撃が来て、大事にしてた箱を奪われて、そのまま意識を失っちゃったの」

 アリアの手が無意識のうちに頭を何度も撫でていた。そこを殴られたのだろう、そこから軽く出血していた。

「……そうか。状況は理解、した」

 ヴェルゼの顔には強い怒りが浮かんでいる。普段クールな彼からは考えられもしない表情だ。

「誰だか知らないが、姉貴を害した罰は必ず受けてもらおう。とりあえず王都の門、へ……」

 言い掛けて、不意にヴェルゼの全身から力が抜けた。

「…………あ、れ?」

 膝をつき、そのまま地面に倒れる漆黒の姿。アリアが悲鳴を上げた。

「ヴェルゼ!?」

「無理しすぎたんだろう。箱の捜索は後にして、とりあえずは休まなくっちゃ」

 そう、デュナミスが冷静に解説を入れた。アリアが叫ぶ。

「もうっ! 人の心配する暇があるなら自分の心配をしなさいよこの馬鹿っ! あたしがどれだけ――」

 それらの言葉を聞きながらも、ヴェルゼの意識は落ちていった。

 アリアと再会できて、安心したせいなのだろう。


  ◇


 ヴェルゼを背負って王都の門をくぐる。

 王都の門番は怪我人を背負ったアリアを見るなり咎めるような眼差しを向けた。その後ろで「やあ」とデュナミスが挨拶すると門番は驚いたような顔をしたが、首を振って立ち塞がる。

 デュナミスは少し考え、一度姿を透明にしてから門番の背後に現れて「ばあ」と声を掛ける。いきなり背後に現れた影に震え上がった門番はそのまま彼を通してしまった。

「とんでもないものを見たぞ……。おお、光の神アンダルシャよ! 我を救いたまえ……!」

 祈るような声が聞こえ、魔除けの仕草をする門番。デュナミスはおかしそうにくすくすと笑った。

 ヴェルゼの治療をするために、とりあえず宿を探すアリア。そんなアリアを眺めながらも、デュナミスが提案をする。

「僕が箱の行方を捜しておくよ。その間にそっちが休んでいたら効率が良い」

 そうね、とアリアは頷いた。

「ヴェルゼのことも心配だけど! 箱の行方も気になっていたし! お願い、できるかしら?」

 喜んで、とデュナミスは頷いた。その灰色の姿が薄くなっていき、背景と同化した。

 おどけた声だけが何もないところから聞こえてくる。

「デュナミス・アルカイオン、依頼、承りましたっと」

 アリアがいつも依頼を受けるときに言う決め口上を真似して、デュナミスの気配は消え去った。

 さて、とアリアはぐるりと辺りを見回した。

「……そうだ、最初に約束した『アンダルシャの虹』にしよう」

 その宿は何度も利用したことのある場所だから、きっとすぐに見つかるだろう。


  ◇


 宿に辿り着いて指定された部屋に向かい、ようやく一息つく。

 アリアは顔見知りの若女将に心の中で謝りながら、血まみれのヴェルゼをベッドに乗せて、黒衣をはだけて傷を見た。

 刻まれた無数の傷。特にひどいのは右腕の傷で、そこからはまだ出血していた。アリアは緊急時に備えて持っている包帯を出すと、右上腕部にきつく巻いた。他の場所はもう出血は止まっているようだが、血を失いすぎたためかヴェルゼの顔は青い。

 アリアは救急箱から様々な道具を取り出して、慣れた手つきで治療を施した。血まみれの服は後で洗うことにして、女将に頼んで男物の服を貸してもらい、ヴェルゼの身体を拭いてやってからそれを着せた。いつもヴェルゼが怪我ばかりするから、アリアは近所の治療師に頼み込んで怪我の治療の方法を教わっていたのだ。

 やがて治療が終わり、アリアはほうっと息をつく。そしてようやく自分も頭を強く殴られた傷があったのを思い出し、手探りで不器用に治療をした。

「ふぅ、色々あった一日だったわ。ったく、ヴェルゼも無理しすぎなのよ。あたしを心配させないで」

 包帯だらけの弟に文句を並べていると、その目がふっと開いて焦点を結んだ。

「……姉、貴」

「はーい、お喋り厳禁、怪我人はゆっくり休んでなさーい!」

 喋ろうとするヴェルゼの額を、アリアは軽く小突いた。

 それでもヴェルゼは言葉を紡ぐ。アリアが自分に巻いた包帯に気づいたようだ。

「姉貴だって、怪我……」

 ああ、これ? とアリアは何でもないことのように頭を振り、直後、痛みに顔をしかめて苦い顔をする。そんなアリアを見、かすれた声でヴェルゼは呟く。

「無理するなって……こっちの台詞だっての」

「怪我の程度が違うのよ。あたしのは全然大したことじゃ……」

 首を振るアリアにヴェルゼの追撃。

「頭の怪我……甘く見ると、危険だぜ……?」

 むぅ、とアリアは頬を膨らませた。

「そっちの方が断然ひどいから! とりあえず治療はしたし寝ときなさい! 子供はもう寝る時間よ!」

「誰が子供だ……。姉貴の方がもっとずっと危なっかしいっての……」

「なんだとぉ?」


「……二人ともそろって、何やってんだい」


 不意に二人の間を割った声。

「デュナミス!」

 声のした方。灰色の亡霊が、壁から滲むように現れた。

 彼はすっかり呆れ顔である。

「情報は無事集まったよ。で、その報告をしようと来てみたら……なに喧嘩してんの君たち」

 アリアは必死で弁解しようとした。

「違うの! ヴェルゼが無理しようとするから!」

「はい喧嘩両成敗。二人とも意地っ張りすぎるよ。僕からすればどちらとも重傷だから、さっさと寝なさい。僕だって少し無理すれば実体化できるし、こうなったら僕が頑張るしかないよね。二人ともさ、お互いを気遣うあまり本当に大事なことが見えなくなってないかい?」

「…………」

 デュナミスの言葉があまりに正論だったため、姉弟ともに黙り込んでしまった。

 互いを気遣うあまり何も見えなくなっている、それは確かにそうかもとアリアは思った。

 アリアは頷き、部屋にもう一つあったベッドにもぐりこんだ。

「じゃあ、後のこと……頼む、ね。あははー、あたしも無理してたかも知れないわ。人のこと言えないわね」

「デュナミス……お前も、無理しすぎるなよ」

「お気遣いなく。幽霊ですから」

 ヴェルゼの言葉に、デュナミスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「じゃあさ、ゆっくりとお休み……。みんな寝るまで僕はここにいるから。お腹すいたら僕に言って。厨房から何か頼んで持ってくるよ」

 デュナミスの温かい言葉に礼を言って、姉弟は眠りについた。


  ◇

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