1-3 笛伝えるは無事の音

「……ッ、とんだ目に遭ったな」

 何とか岸にたどり着きながらも、ヴェルゼは荒い息を吐いた。飲み込んだ水を吐き出し、ふらふらと地面に座り込む。そんな彼の背後から、ふわり、灰色の何かが現れた。それは穏やかな声をかける。

「ヴェルゼ、結構消耗したんだから無理しないほうが良いよ」

「余計なお世話だ」

「僕は君のことを気遣ってるのになぁ」

「……悪い」

 灰色の何かは淡く透き通った人間の姿をしていた。灰色の髪に灰色の瞳、身に纏うは灰色の衣装。何もかも灰色の彼の名をデュナミス・アルカイオンと言った。数年前、ヴェルゼに救われて共に旅をするうちに大親友になり、旅の果てでヴェルゼを庇って命を落とした、元天才死霊術師の亡霊だ。彼は自身が死んだあと、ヴェルゼの願いと自分の最後の力により起こった奇跡によって霊体として甦り、二人一緒に戦って最大の敵を倒した。以来、霊体のデュナミスはいつもヴェルゼの傍にいる。

「デュナミス、落ち着いたら王都に向かうことにするぜ。今更あの岸には戻れないし、姉貴もきっと、王都を目指しているだろうから。で、無事を伝えなくちゃな……」

 言って、ヴェルゼは首から下げていた笛をそっと口元に当てた。

 彼は笛作りの町エルナス出身だ。そこでは笛の演奏も盛んであり、笛を極めた者は「笛言葉」という特殊なメロディーを奏でることができる。笛言葉は言葉を笛の音色に置き換えたもので、分かる人にはその演奏が、しっかりとしたメッセージに聞こえる。ただし「笛言葉」の演奏には相当な技術が必要で、現に「笛言葉」を聞き取ることができる者が多くても、奏でられる者は非常に少ない。

 ヴェルゼはそんな数少ない、笛言葉の奏者の一人であった。

 そして彼の持つ笛、エルナス特産のエルナスの笛もまた特殊な力を持っており、その特性としては「音色を伝えたい相手にだけその音色を届けられる」「いかなる距離をも無視し、たとえ相手が冥界にいたとしても伝えられる」というものがある。

 その笛の特性と、ヴェルゼの操れる「笛言葉」が合わされば?

 届かせたい相手にだけ、確実にメッセージを送ることができるようになるのだ。

 ヴェルゼはアリアを思い浮かべ、笛に息を吹き込んだ。慣れた手つきで指がおどる。彼は明らかに笛を奏でているように見えるのに、周囲にその音が聞こえない。「伝えたい相手限定でその音色を届ける」エルナスの笛の特性だ。その指はまるでそれ自体が意思を持っているかのように動き、常人では真似できない技だとわかる。


《――こちらは無事。そっちも無事か? 無茶な行動しているんじゃないよな? オレがいないと姉貴は不安定になるから心配なんだが……。オレたちは王都に向かうから、そちらも王都を目指してほしい。集合場所は宿屋『アンダルシャの虹』だ。箱はそちらにあるな? ならば絶対に開けるなよ。そちらからも何か伝えたいことがあったら伝えてほしい。姉貴の笛言葉は下手くそだが、少なくとも付き合いの長いオレにならわかる》


 そんなメッセージを笛言葉に乗せて奏でる。


――届け。


  ◇


 王都に向かう道すがら、アリアは聞き慣れた笛の音を聞いた。

 いつもの音、ヴェルゼの笛だ。ならば伝えられているこれは笛言葉だろうと察し、ヴェルゼが無事なことに安堵しながらも集中して耳を傾ける。

 聞こえてきた音を頭の中で言葉に変換する作業。ヴェルゼはこれをごく自然にやってのけるらしいが、アリアは必死で集中して変換するのがやっとである。何かをしながらできるようなことでもないため、アリアは王都へ向かう足をいったん止めて、街道から少し離れた木陰に来て、そこでその音を変換していった。

 そこそこ長いメッセージ。要点だけはとりあえず理解し、届いたことを伝えるために自分の笛を取り出して息を吹き込む。彼女の笛の腕は下手くそでヴェルゼほど綺麗には奏でられないが、長い付き合いの彼にならば、いくら拙くても音は通じる。それをわかっているから奏でた。彼女の細い指が、不器用に笛の穴の上を踊る。


《――わかった。ヴェルゼぶじ。おうとをめざす。しゅうごうばしょは、アンダルシャのにじ。はこはぜったいにあけちゃだめ。

 あたしもぶじ。もんだいない。おうとであおうね。おうとついたられんらくしてね。あたしもするから。れんらくありがとう》


 拙い音を弟に届け、小さく息をつき、呟く。

「王都に行けば再会できる……。なら、さっさと行かないと!」

 相手が無事だと分かったから、その足取りは軽い。


  ◇


「よっし、もうすぐね!」

 歩き続けてどれくらい経っただろう。

 日が暮れてきた時間帯、アリアは遠くに王都の影を見た。

 世界で一番魔法の栄える国、アンディルーヴ魔導王国。その王都ともなれば、夜でも魔法の光によって、昼のように明るいのも当然だ。世界広しといえど、夜でもここまで明るいのはここぐらいのものであろう。炎の魔導士と光の魔導士が協力して生み出した魔法の灯りは、この王国の、もっとも有名な発明品だ。

「うーん、呆気なく辿り着きそうだけど……襲撃が一回だけっていうのも何だか変よねぇ。いや、ないに越したことはないんだけど、さぁ……」

 巨大な王都の影が見えたからって、すぐに辿り着けるわけがない。歩きながらもアリアは様々な可能性を考える。

「まぁ、気にしてたって何も進まないわよね! もうヴェルゼは着いたかしら? いや、連絡来てないしあたしが先かぁ。まぁ気長に待――」

 呟いた、瞬間。

 感じた、頭に強い衝撃。何かが奪われたような感触。仕舞っていた箱が、消え失せる。

「え……?」

 戸惑いと共に、アリアの意識は落ちる。


  ◇

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