1-2 アイルベリアの分岐地点

「よーっし、準備完了! そっちは?」「できた」

 互いの用意ができたことを確認し、二人は一緒に店を出る。

 店を出た際に、「開店中」の札をひっくり返して「閉店中」にして戸締りも済ませ、旅の用意は万端だ。アリアが例の漆黒の箱を布で丁寧に包み、懐に入れて鞄に仕舞った。

「王都までは何度も行ったことがあるし、届けるだけなら簡単よね」

「その間に何もなければよいがな……?」

 姉の暢気さにヴェルゼは呆れた顔。

 彼は何かあった時に備え、背負った鈍色の大鎌がしっかりとそこにあることを再確認した。

 王都へ続く街道は、大きなアイルベリア川の近くを通る。川はつい最近まで大雨が降っていた影響でか、随分と水量が多くなっていた。

 その傍を通っているとき、ヴェルゼは不意に何かを感じた。

「姉貴ッ!」

 叫び、姉を突き飛ばす。瞬間、ヴェルゼの目の前に何かが迫ったが、反射的に振り抜いた大鎌で何とかそれを受ける。万全の態勢で受けたわけではないためにヴェルゼの腕が少し痺れたが、そのくらいならば立て直せる。

「ヴェルゼ……大丈夫!?」

「別に、この程度」

 心配げに駆け寄ってきたアリアに、ヴェルゼは素っ気なく返す。

 ヴェルゼは油断なく辺りを見回し、鋭い声を投げた。

「何者だ。そして何故襲撃を?」

「黒い箱。黒い箱を寄越せ」

 声と同時、ヴェルゼの腕に衝撃が走る。目の前には黒づくめの謎の男たち。今度は読めていたために受けることができたが、ヴェルゼは受けるよりも避ける方が得意である。このまま受け続ければ身体が持たない、そう判断したとき炎が飛んだ。

「あたしの弟に手を出さないでよっ!」

 アリアが怒りの声を上げ、生み出した炎を黒い人影に向かってぶつけていた。

「あたしは箱なんて渡さないわよ。依頼をしっかり果たしてこそ頼まれ屋、何が目的かはよくわからないけれど、あんたたちの自由にはさせないわ!」

 叫び、アリアは心配げな目を弟に向ける。

「ヴェルゼ、下がってていいわ。ここはあたしが何とかするから」

「攻撃を二回受けただけで戦えなくなる男かオレは。大丈夫だ、まだ行けるさ」

「無理しないでね?」

「うるさい、オレは子供じゃないんだ。姉貴は過保護すぎるんだって……の!」

 アリアに言葉を返しつつ、ヴェルゼは鈍色の大鎌を一人の黒づくめに向け、横に薙いだ。

 当たった感触。黒づくめは後ろに吹っ飛ぶが、裂けた服の間から金属が見えた。一撃で倒せると思っていたが相手の方が一枚上手だった。思わずヴェルゼは舌打ちした。

「くそっ、鎖かたびらか? 周到な準備してやがる……!」

「それなりに訓練された襲撃者みたいね。それほどの人たちが狙うなんて……この箱の中身、本当に一体何なのかしらね?」

 アリアも難しそうな顔をする。

「まぁでもともかく」

 言って、彼女は自分の周囲に炎を纏った。

「要は、倒せばいいんでしょ! 箱の中身が何なのかは、目的地に着いたらわかるかも? まずは目の前の敵を打ち倒せ! 難しいことは考えない!」

 纏った炎を黒服にぶつけた。襲撃者の纏った衣が炎に包まれ、たまらず何人かの襲撃者たちは濁流の川に身を投げた。

 その様を見、ヴェルゼは呆れ声でアリアに言った。

「何だ、姉貴のほうが効いてるじゃないか」

「相性というのもあるわよね。でも、あたしはヴェルゼの物理攻撃だってすごいと思うのよ? 魔法特化のあたしには、あんたみたいに華麗に立ち回れないし」

「どうも」

 ヴェルゼは素っ気なくお礼を言った、

 瞬間。

「……ッ、姉貴――ッ!」


  ◇


 アリアは、自分が大きく突き飛ばされたのを感じた。

 何があったの、そう思って咄嗟にそちらを見上げれば、不意を打って飛来した襲撃者の剣を、ヴェルゼが大鎌で防いでいるところだった。彼のすぐ後ろには濁流の川があった。

 ヴェルゼは襲撃者の攻撃を防ぎ切ったが、バランスを取るために後ろに一歩踏み出そうとした右足は、空を掻いていた。陸の端に辛うじて踏みとどまっていた彼だがうまく地面を踏めなかったがためにバランスが崩れ、真っ逆さまに川に向かって落ちていく。

「ヴェルゼ――――!」

 アリアの悲痛な叫びがこだまする。アリアは地面につかまりながら川を覗き込んだ。するとヴェルゼはいつもみたいに口元に皮肉な笑みを浮かべ、大丈夫だ、と言い残して川の中に飲み込まれた。ちらり、視線を上げれば。その隙に逃げだしていく襲撃者の背中が見えた。

 アリアは頭を抱えた。

「ヴェルゼ、ヴェルゼ、あたしの弟! ああっ、もう、どうしてなの。どうしていなくなっちゃうのよっ!」

 彼女はすぐにヴェルゼを追おうと考えたが、依頼の箱が手元にある。そのため追いたい気持ちを何とか抑え、思い留まった。それは開けてはいけない箱だ。もしも川に飛び込んで、濁流にのまれている間に箱が開いてしまったら大変である。

 けれど、と彼女の中の過保護な自分が叫ぶ。ここで大切な弟を見捨てたら、もう二度と会えなくなるのではないか。そう思ったら怖くなった。

 昔、ヴェルゼが出掛けたっきり、長い間帰ってこなかったことがあった。アリアは心配してひたすらにヴェルゼを捜し回ったが、それでも見つかることはなく。いなくなってから二ヶ月が過ぎた頃にようやく戻ってきたが、満身創痍になっており、その背後には灰色の霊がついていた。そう――ヴェルゼがデュナミスと出会うことになった事件だ。その時ヴェルゼは「安心して待ってろ」などと言いつつも、長い間帰ってこなかったのだ。そんな事件を経験し、ヴェルゼのいない時を過ごし、アリアはこの弟を失うことが怖くなった。彼は彼女の唯一の家族なのだから。過保護になるのも当然なのだ。

「あの子を失うくらいなら……依頼なんて、どうだっていいよね」

 アリアの瞳が揺れる。そうだ、あの子を救うことが何よりも優先だ。そのためならば、たとえこの箱が開いてしまったって関係ない。

 そう思い、川に飛び込もうとした時だった。

 その状態で再会したヴェルゼの顔を想像し、アリアは固まった。

 そうだ、ヴェルゼはこんなこと望んではいない。自分のために誰かの目的を捻じ曲げることなど望まない。あの日も最終的には帰ってきたのだ、次は戻ってこないなんて単なる思い込み、そのために依頼をふいにしたと知ったらヴェルゼは激怒するだろう。『見失うんじゃない』きっと、そう言うはずだ。

 それに。

「……あたし、泳げないのよね」

 だから彼女が川に飛び込んだって、リスクの方が大きいのである。ここは冷静に、冷静に。気持ちを落ち着けて慎重に陸路を進むしかない。ヴェルゼならば、圧倒的にリスクが高く、リターンの少ないことはしない。現実的なあの子なら。

 彼女は混乱していた。いつもならそんな状態の彼女を支え、冷静に状況分析をしてくれるヴェルゼが今はいない。

 アリアはぎゅっと歯を噛み締めて、しっかりしないとと自分に言い聞かせた。

「……大丈夫、死んだって決まったわけじゃない。あたしはあたしにできることを、しないと」

 小首を傾げて少し考えるような仕草をした後、うんと頷いて呟いた。

「まずは王都を目指すわよ。最終目的地ならそこだし、きっとヴェルゼもそこを目指すよね」

 目的地を改めて定めて、彼女は歩き出す。

 心の中で、願った。

(ヴェルゼ、あたし、信じてるから――!)


  ◇

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