7-2 しあわせのげんえい

 翌日。リノールの町から旅立ち、黄昏の町アムネシアへ。町はそこまで遠い場所にない。比較的簡単にたどり着いてしまった。

 その町は、どこか郷愁漂わせる赤レンガで作られていた。切り出した石を使った建物が多いこの国では、レンガなんて滅多に見られるものではない。近くに良質な土の採れる場所があるのだろうか。

 濃密な魔力の気配を感じる町だった。普通の町ではないということがよくわかる。

「ここにルィスさんがいるのよね?」

 アリアがヴェルゼを振り返ると、ああ、と彼は頷いた。

「らしいな。見た目の特徴は覚えたか?」

「ぼさぼさの茶髪は左目を隠していて、頬には大きな傷跡。身長は低めで、見えている右目の色は緑……だよね?」

「割と特徴的な見た目らしいし、すぐに見つかることを期待する」

 さぁ行こうか、と差し出された手をアリアは握る。

 たとえ幸せの幻影に惑わされたとしても、手を繋いでいればきっとまだまともでいられる。

「わたしも……いいですか?」

 恐る恐る問うたソーティアに、当然とアリアは笑いかけてヴェルゼと繋いでいない方の右手を差し出した。

 意識して実体化しないと手を繋げないデュナミスは、ただふよふよと浮いている。

 そんな彼を見てヴェルゼが声を掛けた。

「オレの左手は空いてるぜ、デュナミス?」

「いや、いいさ。わざわざ実体化するまでもない。何かあった時のために力は温存しておくべきだろう」

 申し出に彼は首を振った。

 準備はいいわね、とアリアが言う。

「行くわよ……」

 覚悟を抱いて町に踏み込んだ。

 途端、

「わっ、何これ!?」

 目の前を覆ったのは謎の霧。それは隣に立つ人の姿さえも朧げにする。

 だが、繋いだ手がある。その感触が、自分は一人じゃないと教えてくれる。

 霧の中でアリアは見た。

「……父さ、ん?」

 遠い記憶の中にしかいない父親を。ヴェルゼが生まれてすぐに死んでしまったために、ヴェルゼの記憶の中にはいない父親を。彼は死んだ母親の手を繋いで、霧の向こうからこちらを見て笑っていた。

 かすかな記憶。優しい父親だったのを覚えている。不器用に抱きしめてくれたあの感触を覚えている、力強い手を覚えている。

 それはアリアがまだ、自分というものを確立させていなかった頃の、遠い日々の記憶。アリアの最初の記憶は、この父親の大きな手だった。

 予想外だった。エルナスの町で過ごした日々の記憶が来ると思っていた。そのための覚悟をしていたのに。

「お父、さん……」

 呟いた。

 ほんの少ししか会えなかった父親との思い出に、涙がこぼれる。

 両親は赤ん坊のヴェルゼを抱いて、アリアを手招きしていた。アリアはふと自分の姿を見る。アリアは幼い少女の姿になっていた。

 呼ぶ声が聞こえてきた。

――アリア、探していたんだよ、心配したよ。さぁおいで。

 その声に導かれるまま、繋いだ手も忘れて手を離して駆けだそうとした刹那、


「しっかりしろ姉貴ッ!」


 ヴェルゼの鋭い声が、現実に引き戻した。

 霧に覆われて姿は見えない。ただ、彼は隣にいる。手はまだ離してはいない。

 鋭い声が、言う。

「何を見たのかは知らないがな……ミイラ盗りがミイラになってどうする? そんなもんただの幻影だ! 惑わされるなよ?」

 ヴェルゼの声に、幻影は消えていく。大好きだった両親は、アリアに背を向けていなくなる。思わず呼び止めたくなった。あたしを置いていかないでと叫びたくなった。本当はずっと一緒にいたかったのに、父も母も早くに亡くなってしまった。そんな二人が目の前に現れて、正気を保てるはずがない。

 アリアは思い知る。自分にとっての「本当に幸せだった日々」は、エルナスの町で幼馴染のカルダンやシドラらと一緒に遊んでいた日々ではないのだと。それよりもっと昔の日々だったのだと。

「あたし、は……」

 ぐっと唇を噛み締めた。噛んだそこから血が流れるまで。鮮烈な痛みがアリアを現実に引き戻す。そうだ、そうだ。もうみんなこの世にいないのだ。思い出せ。そして何よりも。

「あたしは……頼まれ屋アリアなんだからッ! 邪魔しないでよッ!」

 幸せな思い出。それと戦うことを決意する。心を奮い立たせ炎を呼び出し、幻影に思いっきりぶっつけた。

「あたしは! あたしは! 父さんにも母さんにも死んで欲しくなんかなかった! でも、でも、今は確かに楽しいんだから、それは真実なんだからっ! 邪魔しないでよ――あんたたちなんか、消えちゃいなさいよ!」

 叫んだ瞬間、

 霧が晴れた。赤レンガの町が目の前に広がっているのが見える。

 そして気付く。

「ソーティア……ちゃん?」

 彼女の手の感触が、なくなっていることに。


  ◇

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