7-3 見たくない現実、見ていたい夢

 ソーティア・レイはただ、呆然としていた。

 覚悟はしてきた。それなのに、やっぱり無理だった。

 人間たちに滅ぼされた故郷。焼き払われ、阿鼻叫喚の地獄となった町でソーティアは、これまで過ごしてきた全てを失った。そこで過ごしてきた日々は、何にも代えがたいかけがえのない日々で。

 いくら頭でわかっていても、心で割り切れようはずもないのだ。

「お姉ちゃん……ルーシア……」

 ソーティアは大切だった姉と妹を呼ぶ。

「リェレンさん……アーシュくん……リィラおばさん……」

 いつも自分を可愛がってくれた近所の青年、自分に懐いていた子供、たくさんのことを教えてくれたおばさんを呼ぶ。彼らは皆、霧の向こうにいた。霧の向こうで、ソーティアを呼んでいた。

 繋いだ手の感触。でも、それさえもどうでもいいやと思えてしまった。頼まれ屋アリアでの日々は所詮、そんなものでしかないのだと心が言う。

 それよりも。

「みんな……会いたかった……」

 取り戻そうとしたくたってもう絶対に取り戻せない幸せがそこにあった。

 こらえきれず、手を離して、ソーティアは幻影に向かって駆けだした。理性はもうそこらに置いて、ただ感情だけで動いた。

 穏やかな霧が、そんな彼女を包み込んでいく……。


  ◇


「……ったく、行方不明者を増やしてどうする」

 ヴェルゼが毒づいた。

 彼の腕には大きな傷。どうやら自分を傷つけて、その痛みから強引に現実に戻ってきたものらしい。自傷による魔法を放つ彼らしい方法ではある。現に、アリアは自分の唇を血が出るまで噛むことで現実に戻ってきている。

「あたしさ……ちっちゃい頃に死んじゃった、父さんと母さんの幻を見たのよ。ヴェルゼは何を見たの?」

 アリアは問う。そうだな、とヴェルゼは頷いた。

「予想通りさ、エルナスでの日々だよ。姉貴もオレもカルダンもシドラもさ……みんなみんな笑ってやがるんだ。あれほど憎いシドラとの日々が、まさかオレの中で美しい思い出になっているだなんて……あんなものに騙された自分が嫌になるね」

 吐き捨てるように彼は言った。まぁまぁと笑うデュナミス。彼もまた無事だったようで、アリアはほっと胸をなでおろした。

 で、とヴェルゼがアリアを見る。

「ソーティアと依頼人、どちらを捜す? 言っておくが、二手に分かれるのはナシだ」

「あ! それよりも」

 いいこと思いついた、と手を叩く。魔法素マナを即席で組み上げて、作った式に破壊の力を加えるべく詠唱を開始する。

「吹きわたれ、谷をめぐる涼風よ! たゆたう惑いを吹き払い、現実への道、ここに示せ!」

 途端、

 びゅうっ、と強い風がやってきて、町に残った霧を物理的に吹き飛ばしていく。成程なと感心したようにヴェルゼが頷いた。

 町の奥。まだ霧に閉ざされた区画があった。そこにみんないるだろうと思って、この魔法を使ったのだ。

 この町は霧に閉ざされてさえいなければ、見晴らしの良い町だ。そしてソーティアの白い姿は、赤レンガの町の中ではよく映える。

 彼女はすぐに見つかった。

「ソーティアちゃん!」

 叫んで駆け寄った。彼女はただ呆然とした表情で突っ立っていた。

「ソーティアちゃん! あたし、心配したんだからね?」

 アリアが声を掛けると、首を傾げて彼女はこちらを見た。


「あなた……誰ですか?」


「…………は? ソーティアちゃん、今、何て?」

 驚き問うと、ソーティアは虚ろな瞳でこちらを見、言うのだ。

「わたしはね、ここで楽しく暮らしているんですよ。あなたのことは知りませんが……そうです、案内して差し上げますね。ここがカディアス、イデュールの民の秘境です」

 瞳は虚ろだが声は楽しげに、彼女はおかしなことを言う。

「……夢と現実の境が分からなくなってるな。あの霧に抗えなかった場合、こうなるのか」

「冷静に解説している場合じゃないでしょヴェルゼ! 何とか出来ないの?」

「物理的な方法で構わないか?」

 アリアの返事も待たず、ヴェルゼは虚ろなソーティアに近づいていく。

 そして、

 その頬を思い切り張った。

 ばしん、と大きな音が響く。殴られたソーティアは驚いた顔をしていた。

「……いつまで夢に囚われてる」

 低い声でヴェルゼは言った。

「お前は頼まれ屋アリアのソーティアだろう。ここに居させてほしい、とお前から依頼したんだろうがッ!」

「頼まれ屋、アリア……」

 赤い瞳が焦点を結んでいく。

 そうよとアリアも叫んだ。

「最初はヴェルゼがあなたを遠ざけたけどさ、最終的にあなたがみんなを助けてくれたんじゃない! 店の一員になれたって喜んでいたじゃないの! 思い出してよッ!」

「……わたし、は」

 はっ、と驚いた顔をソーティアがした。その目が驚きに見開かれる。

「わたしは……頼まれ屋アリアのソーティア・レイ……」

「ようやく思い出したか。ったく、手間かけさせやがって」

 ごめんなさい、とソーティアが謝る。

「わたしには……無理だったみたいです。役立たずで、それどころか足まで引っ張ってしまって……ごめんなさい」

「別に平気よ。ソーティアちゃんが無事でよかったわ。ここで受けた心の傷は、少しずつ癒していけばいいの」

 アリアはそっとソーティアを抱きしめた。

 その様子を穏やかに見守っていたデュナミスが、言う。

「さて、みんな見つカったし今なら霧も晴れてるし。依頼人を捜しに行こうカ」

 その声の調子が少し変だと気付いたのは、ヴェルゼだけだった。


  ◇

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