第5話宗教家

「さて、どうした方がいいと思う、マリー」


「ご主人様の思い通りにされればいいと思います。

 両菩薩もご主人様を信じてこの世界に送られたのです。

 ご主人様が何をなされても、そのやり方が気に喰わないとは言われないはずです。

 どうか信じた道を進まれてください」


 マリーの信頼感がとても重いが、俺にだって男の見栄がある。

 マリーに助言は求められても、弱音を吐くわけにはいかない。

 だが、本当にどうすべきだろうか、どうすればこの世界をよくできるだろうか?

 両菩薩が弱肉強食の世界を望んでいるとは思えないが、規則でがんじがらめにされた世界を望んでいるとも思えない。


 まず第一の前提として、両菩薩は俺のいた世界を認め望んでいたのだろうか?

 あのような世界にして欲しいと思って、俺をこの世界に送ったのだろうか?

 俺にはとてもそうだとは思えない、もっと高い理想を持っておられたはずだ。

 俺は無神教徒だったから、宗教にはかかわらないようにしていたし、教義なのどもまったくしらないから、仏教の教えが分からない。

 知っていれば、仏教の教えに従ってこの世界の人々を導けたのだが。


 俺は、宗教に関して、典型的に日本人だった気がする。

 夏祭りにはだんじりを引きお神輿を担ぎ、盆には先祖を迎え、地蔵盆にはお菓子をもらって喜び、正月には神社にお参りしておみくじを引く。

 七五三に参加して楽しんで記念写真を撮り、神前仏前チャペルの結婚式に何のわだかまりもなく参加し、同じように神前仏前チャペル新興宗教の葬式にまで平気で参列していた、節操のない状態だった。


 そんな俺が、宗教を基盤にした方法でこの世界を導いて大丈夫なのだろうか?

「お天道様に恥ずかしくない生き方をしなさい」という祖母からの教えを中心にして、この世界に新興宗教を創り、それを基盤にこの世界の民を導いていいのか?

 本当に悩み、心が悲鳴を上げている。

 辛い事だが、悩まずにこの世界を導く事などできない。


「まずは開拓村を作ろうと思う。

 俺の教えを信じ護ってくれる者を集めて、少しづつこの世界をよくしていく。

 単に力でねじ伏せて支配しても、俺が死んでしまったらそれで終わりだからね。

 俺が死んでもこの世界の平和が保たれるように、法と教えで人々を導きたい」


「はい、それがいいと思います。

 ですが、ご主人様が別の方法を思いつかれたら、拘らずに変えられてください。

 ご主人様を選ばれたのは両菩薩です。

 上手くいかなかったとしても、その責任は両菩薩にあるのですから」


 マリーが俺の負担を減らそうと優しく言ってくれる。

 この言葉を聞いて、俺の心は軽くなった。

 責任放棄と言われようと、全責任は両菩薩にある。

 そう思えば、この世界を救わなければいけないという重圧から解放される。

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異世界整体師 克全 @dokatu

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