座ったままジャガイモの皮をむくほど辛いことはない。ねむくてねむくて何度もナイフが指を落としそうになる。

 奥様が足を踏み鳴らしながら、ワーリカやほかの使用人が怠けていないか確認している。

 それでもワーリカは今は幸せだった。ジャガイモの皮を持ち帰っても怒られることはないからだ。

「なにをにやついてるんだい、気味の悪い子だね!」

 奥様が隣の家まで聞こえそうなほどの大声で言う。

 ワーリカは微笑みながら、

「ええ、そうです、私気味の悪い子なんです」

 と言う。

 奥様は面食らったように固まったあと、ワーリカを小突いてまた別の使用人の所へ歩いていく。

 ワーリカの目には泥臭い台所ではなく、父さまと一緒に回る色々な国の光景が見えていた。モスクワなんか行かない。この国はこりごり。もちろん最初はパリ。とても綺麗だと聞く。マドリードもいいかもしれない。太陽の匂いのする女たちとダンスを踊るのだ。極東も面白いかもしれない。少し前に戦争していたところだけれど、大猿や雲を突くような精霊ドモヴォーイがいるらしい。

 ワーリカは妄想にふけりながら皮をむいた。みるみるうちに山のように積み重なっていく。

 昼を告げる鐘が鳴って、使用人たちは牛のようにのろのろとうすいスープをもらう列に並ぶ。ワーリカはこっそり抜け出して、暖炉のある部屋に忍び込んだ。


 影さんはじゃがいもの皮を食べる。他にもレモンだとか、魚の骨、パンの切れ端なんかをたくさん食べた。

「本当はもっといいものを食べさせてあげたいわ」

 ワーリカがそう呟くと影さんは笑う。

「なんだっていい。食べられればなんだっていいんだよ。それより歌っておくれ。私のワーリカ」

 ワーリカは目を閉じて歌う。


 ――ヒトフタミ、ヨ、イツム


 影さんも一緒に歌ってくれている。


 ――ナナヤ、コ、コノタリ


 にゃあ、という憎たらしい声で二人の幸せな時間は邪魔された。

 エチェンカが扉の隙間から入ってきたのだ。

 にゃあ、とさっきより大きな声でエチェンカが鳴いた。

「やめてよ、あっちへ行って」

 旦那様や奥様が来てしまうかもしれない。自分自身がお仕置きを受けるのはどうでもよかった。でも、影さんとの時間を台無しにされるのは絶対に嫌だ。

 エチェンカは再び大きく鳴いて机の上に飛び乗った。上に載っている家具を落として大きな音を立てようとしている――ワーリカには悪意を持っているようにしか見えなかった。

「ワーリカ、畜生に人間の言葉は通じないよ」

 影さんが手を目一杯広げた。

「それよりもこんなのはどうだろうか」

 ばつん、と太いゴム紐を切ったような音がして、エチェンカの声が聞こえなくなった。それどころか、もう姿も見えない。

 ぼりぼりぼり、と咀嚼音が響く。

 ごくたまに母親が作る骨付きチキンの軟骨を父親はこうやって大事に、大事に味わっていた。

「おいしいかしら」

 ワーリカは尋ねた。

「ああ、とてもおいしいとも」

 影さんが答えた。

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