第92話『夏って名前・1』


ポナの季節・92

『夏って名前・1』語り・夏             






 夏に生まれたから夏ってつけたんだ。



 小学三年の時にお父さんに聞いた。


 知ってたんだけどね、沈黙が嫌なんで聞いてみたんだ。


 そろそろ眠りに落ちるかなあ……と、思った時玄関のドアが開く音がして、その開け方でお父さんだと分かった。


 リビングで、ソファーがミシっと音を立てる……これはお母さん。


 ソファーに寝っ転がってタブレットでネットサーフィンしながら亭主の帰りを待っていたんだ。


 二人とも、音のたてかたで機嫌が分かる。


 二人とも機嫌が悪い……お父さん、リビングに入ってきて、冷蔵庫を開ける音。


 チ


 舌打ちの音がして冷蔵庫が閉まる。


 グラスを出す音がして、水道で水を汲む音。


 こないだは、ここでお母さんが寝室に行って、お父さんはお風呂に入って、それでお終いだった。


 今夜のお母さんは、まだリビングを出て行かない。




 やばい……お母さんは勝負に出る気だ。




 起き上がってリビングに向かう。


 コップを出して水道の蛇口をひねる。


「飲むんだったらお茶にしなさい」


「お水が飲みたかったの」


「あなたが水なんか飲むからよ」


「…………」


「自分が飲みたかったから」


「…………」


 めちゃくちゃ空気が悪い。


「おかえり、お父さん」


「お、おう」


「お水飲んだら、サッサと寝なさい」


「うん……」


 間が持たない……このままだったら、自分の部屋に戻って、お布団被って寝るしかない。


 でも、あたしが居なくなったら、今夜こそ破局になる。子どもでも、子どもだからこそ分かるよ。


「夏」


 お母さんが焦れる。


 それで、口をついて出た言葉が「なんで、夏って名前をつけたの?」だった。


「夏に生まれたからさ」


 お父さんが応えて、それが、ちょっと恥ずかしそうで。中年のオッサンが恥ずかしそうなのは、ちょっとかわいい。かわいさは空気を和ませてくれるんで、ここから解れるんじゃないかな……と、ちょっとだけ期待。


 テレビドラマとかで、こういうとこから、和んでいくってあるじゃん。


 子はカスガイとか言ってさ。




 事務所から正式な契約書を出してほしいって言われた。


 SEN48のアシスタントは、ほんの見習いって感じだったんだけど、今度自衛隊の行事に参加するのをきっかけに、あたしみたいな者でも雇用関係をしっかりさせておきたいということなんだ。


 あたしって、十四歳の中学二年だけど、ただのお手伝いというわけにもいかないらしい。


 キチンとしてもらえるって、嬉しくて、ちょっと身の引き締まる感じ。


 それで、生まれて初めて履歴書を書いている。


 

 平沢 夏



 名前を書くと、五年前のことが思い出されてね。


 こないだまでだったら、ここで放り出して、お布団被って寝てしまう。


 今日のあたしは、もうちょっと思い出してみようと思っている。


 あのときの、お父さんと、お母さん……と、あたし。




※ ポナと周辺の人々


父      寺沢達孝(60歳)   定年間近の高校教師

母      寺沢豊子(50歳)   父の元教え子。五人の子どもを育てた、しっかり母さん

長男    寺沢達幸(30歳)   海上自衛隊 一等海尉

次男    寺沢孝史(28歳)   元警察官、今は胡散臭い商社員、その後乃木坂の講師、現在行方不明

長女    寺沢優奈(26歳)   横浜中央署の女性警官

次女    寺沢優里(19歳)   城南大学社会学部二年生。身長・3サイズがポナといっしょ

三女    寺沢新子(15歳)   世田谷女学院一年生。一人歳の離れたミソッカス。自称ポナ(Person Of No Account )

ポチ    寺沢家の飼い犬、ポナと同い年。死んでペンダントになった。


高畑みなみ ポナの小学校からの親友(乃木坂学院高校)

支倉奈菜  ポナが世田谷女学院に入ってからの友だち。良くも悪くも一人っ子

橋本由紀  ポナのクラスメート、元気な生徒会副会長

浜崎安祐美 世田谷女学院に住み着いている幽霊

吉岡先生  美術の常勤講師、演劇部をしたくて仕方がない。

佐伯美智  父の演劇部の部長

蟹江大輔  ポナを好きな修学院高校の生徒

谷口真奈美 ポナの実の母

平沢夏   未知数の中学二年生

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ポナの季節 武者走走九郎or大橋むつお @magaki018

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