2023.02 「映画」

『僕と彼女の映画事情』


「映画は好きですか?」

 

 そんなありきたりな勧誘に心躍らされて、好きでも嫌いでもない映画を「好きです」なんて答えてしまうほど。

 あの時、僕には君が何よりも輝いて見えたんだ。

 差し出された手書きのチラシなんてどうでもよかった。

 ただ君のことが知りたくて。君の好きな映画というものがどんなものなのかを知りたくて。君と話したくて。


「……だから映画研究会になんて入ったはずだったんだけどなぁ……」

「目的は達成されたんだからいいんじゃない?」

「達成されたけどさぁ……ひぃっ」

「達成されたどころか、付き合って一緒に映画を見るまでになったんだから、万々歳じゃない」

「いや、そうなんだけど、うわぁもう無理無理無理、痛い痛い痛い!」

「大袈裟だなぁ」


 談話室の隅。喧騒から少し離れた場所で、タブレットで映画を見ながら騒ぐ僕を見て、さきが笑った。僕には笑い事じゃないのに、彼女にとっては僕がこうして騒ぐ様は面白いらしく、よく笑う。

 小さな画面の中でまた、血飛沫が上がった。主人公の腕が飛ぶのを見て自分の腕がぞわりとする。「うわあああ」と上腕を撫でさする僕を見て、また咲が笑った。

 顔に似合わずスプラッタが大好きな彼女は、洋画のホラーを好んだ。一方の僕はスプラッタはおろか、血飛沫が上がるのにすら背筋が冷えてしまうほどの小心者。映画研究会に入会し、彼女と話すようにはなったものの、映画の趣味は結局、まるで合わなかった。

 今日もタブレット端末の小さな画面の中では血飛沫が舞い、腕や首や脚が元気に飛び回っている。

 この映画は去年の夏、「二人で映画館で見たいね」と彼女が言っていた映画だった。


「でもホント、劇場で観なくてよかったよ」

奏太かなた、めっちゃ叫ぶんだもん」と笑いながら、彼女がタブレットに指を滑らせる。僕もこの映画を大画面で見た時の恐怖を想像して、彼女の言葉に何度も頷いた。


「ここまでとは思わなかった……」

「えー? そんなに怖かった?」

「ヤバいってこれ……。見てるだけで痛い」

「まぁ、小道具もメイクも、かなりリアルだよね」


 アプリで次の映画を探しながら咲がサラリと「退院できなくて、逆に良かったのかもね」と言った。 

僕は耳を疑った。彼女を見ると相変わらず「次何にしようかなー」などと言いながら映画を探していて、全身が熱くなる。目の奥で赤く、何かが弾ける。


「……僕は、映画館で観たかったよ」


 咲がこちらを向く。僕はもう一度「映画館で観たかった」と繰り返した。


「でも、スクリーンで観たら、奏太、気絶するって」

「た、確かにそうかもしれないけど……叫べないのはきついけど……でも、咲が退院できて、一緒に映画を観に行けるなら、僕はその方が良かった」


 ひゅ、と。

 息を呑む音が聞こえた。

 僕を見る彼女の茶色がかった瞳が大きく見開かれる。

 柔らかそうなピンク色のパジャマから覗く白い指がタブレットの画面を一度なぞって、握りしめられた。


「……無神経なこと言って、ごめん。でも、私……」




「つまらない」


 真剣な眼差しでタブレットを見つめていた咲良さくらの茶色がかった瞳が、僕を睨みつけた。白い指が画面をなぞり、トントン、と控えめなピンクで彩られた爪が画面を叩いた。

 午後三時の有名コーヒーチェーン。店の端に並んだ二人掛けのテーブルで、僕はカフェラテ、彼女は長ったらしい名前の、ホイップクリームがこれでもかと乗せられたよくわからない飲み物を片手に向かい合っている。僕らの間には彼女のタブレット端末。クラウド上で同期した僕の脚本は彼女のお気に召さなかったらしい。


「どうせここから、余命とかなんとか言い始めるんでしょ? で、何とかしようとしてもどうにもならずにヒロインは死んで、『僕は君を忘れない――』的なオチに走るわけだ」


 物凄い勢いで彼女が画面をスクロールしていく。あまりにも的を射た彼女の見解に、僕は「本当はもう全部読んでいるんじゃないのか」と思ってしまうが、そうではないのだろう。彼女はきっと、こう言いたいのだ。

 

「展開がありきたりすぎる」


 ほら、やっぱり。

 顔を上げた咲良が、脇に置いていた飲み物を手に取り、ストローで啜った。カップの中の茶色が減っていく。


「お涙頂戴はネット小説で十分。映画にする価値もない。有名アイドルを使ってミーハーな客を入れるのなんて映画じゃない」


 不満そうに彼女が唇を尖らせる。

 そしてまた僕を睨みつけて、「来週までに書き直してきて」と言った。


「来週?! そんなの無理……」

「無理じゃない。撮影は来月からなんだから、これ以上スケジュールは伸ばせないのわかってるでしょ?」

「う……うん……」

「……私も一緒に考えるから。とりあえず、今日はプロット作ろう」


 カバンから今度はメモ帳とボールペンを取り出して、彼女が真剣な眼差しで何かを書き始めた。細字のボールペンで綴られる美しい文字。相変わらずきれいな字だ……と思いながら、僕はその内容に声を上げざるを得なかった。


「だから! 大学のジリ貧サークルで、スプラッタは無理だって!! 編集でどうにかなったとしても、そんなもの学祭で上映できるかぁぁぁ!!」




fin.




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