2021.10「ハロウィン」

「美少女」とは、何であろうか。

 具体的にどういう少女のことを「美少女」と呼ぶのであろうか。

 そこに性格の善し悪しは勘案されるのであろうか。

 オレには、甚だ疑問である。

 クラスの友人に聞いてみたところ、何冊かのいわゆるライトノベルと呼ばれる小説を紹介された。「貸してやるから読んでみろ。その話のヒロインが多くの人が考える美少女だ」と。描写には「この世のものとは思えぬ美しさ」だとか「みんなが見とれる」と書いてある。キャラクターの言動的には、一歩引いて主人公を立てる、一昔前の良妻賢母の影が見て取れる。

 これが「美少女」の基本的な形であったとして、果たして「見た目」と「性格」はともに「美少女」に必要な絶対条件なのであろうか。

 オレには、よくわからない。


「珍しいもの読んでるね」


 少しからかうような声が、オレの意識を現実に引き戻した。隣の家の石塀に背を預けて本を読んでいたオレにいたずらっ子のような笑みを向けて、うちの学校の誰もが認める「美少女」が立っている。膝丈のスカートから覗く脚は細くスラリとして、重そうなスクールバッグがかけられた肩は華奢という形容がよく似合う。今日はその白い手に大きめの紙袋を持っている。彼女が好きな、少し安めのブランドのショッパーバッグだ。中には小さなラッピング袋がいくつも詰められている。太陽に照らされて、袋の口を止めている色とりどりの針金が光る。


「それは?」

「ん? ああ。日曜日、ハロウィンでしょ? 学校がないから、うちのクラスでは前倒しして今日やることになって」

「そのためのお菓子か」

「うん。持ってないと、悪戯されちゃうでしょ?」


 そう言って彼女、高槻真琴は紙袋を持ち上げて笑った。太陽というよりは、花が綻ぶような、といった風情の静かな笑顔だ。彼女はいつもこんな笑い方をする。

 

高槻真琴は「美少女」である。

 これは幼馴染みに対するオレの独断と偏見などではなく(むしろオレは彼女を「美少女だ」なんて思ったことがなかった)、オレが話したことがある小学校、中学校、高校の同級生たちの彼女への評価である。その「美少女」が見た目だけの話なのか、性格もひっくるめてのことなのかはわからない。ただ、周囲の人間から見て彼女が「美少女」であることは確からしかった。

 横を歩く真琴を盗み見る。

 確かに、顔立ちは整っているし(ちなみに、彼女はかわいい系ではない。どちらかというとクールビューティ、というやつだとオレは思う)、細すぎず太すぎずでスタイルも悪くない。校則に違反しないスカート姿は上品だし、伸びた背筋も同様。性格的にも顔に反してイベント好きでノリが良く、クラスのいわゆる一軍選手に入ることができるタイプで、悪くはない。

 オレはさっきまで読んでいた小説のヒロインを思い出す。

 うん。外見はともかく、性格のほうは真琴とは似ても似つかない気がする。

 真琴は、目立ちたがり、という風でもないが一歩引いて誰かを立てる、という風でもない。相手をからかいすぎて泣かせてしまい、慌てて謝るような。そんな小学生男子のようなタイプだ。どちらかと言えば。

「美少女」はわからん。


「それ、手作りなのか?」

「もちろん。気合い入れたよー、今回。トリュフだからね」

「バレンタインかよ」

「いやいや、みんな好きでしょ? トリュフ」

「まあ、ハズレはないよな」

「でしょ?」


 真琴はお菓子を作るのが得意である。というか、好きである。

 これは昔からで、真琴の母さんがお菓子作りが好きだった、その遺伝子なのだと思う。よく日曜には二人でお菓子作りをして、食べきれない分をうちに持ってきていたものだ。今は母さんが土曜日、真琴が日曜日にキッチンの使用権があって別々に作っているのだという。曰く、「作りたいものが違うから」だそうだ。

 まあそんなことでいつも、バレンタインやホワイトデーには真琴は嬉々として手作りお菓子を持ってくるのだ。


「オレにもひとつ、くれよ」

「良いけど……何て言うんだっけ?」


 また、いたずらっ子のように彼女が笑う。イベント好きの彼女としてはタダであげる、というわけにはいかないらしい。


「トリック・オア・トリート?」

「うんうん。じゃ、トリートで」


「はい」と満足そうに真琴が小さな包みをひとつ、取り出した。それを受け取り「ありがとう」と告げると、「ただし」と彼女が続けた。


「亮平、朝練あるでしょ? 食べるのは、朝練が終わった後にしてね」





「なーんで朝から怒鳴られないとならんのかねえ」

「アイツらが朝練に遅れて来たからだな。しかも四日連続で」

「アイツらのせいで俺たちまで片付けやらされるし」

「ホント、納得いかねえよなあ」


 コーチというのは「連帯責任」が好きだ。誰かが何か失態をやらかすと、その言葉を使って同学年全員やチーム全員に体よく責任と罰という名の仕事を押しつける。今日はオレたち二年生の中の数名が四日も連続で朝練に遅刻してきた、ということでコーチが大爆発。連帯責任で二年生全員でボール拾いに片付け、ゴールポストの移動まですべてやらされた。毎日朝早く起きて登校して、やりたくもない朝練に強制的に参加させられているオレたちからすれば、とんだ貧乏くじだ。コーチはオレたちに同学年の人間の生活態度まで指導をしろとでも言うのか。


「いい加減にしてくれよな。アイツら絶対反省してないし。早く辞めてくれたらいいのに」


 ブツブツと呟き続ける友人に適当に相づちを打ちながら歩く廊下には、楽しそうな笑い声に混じってお菓子の匂いがしていて、時折「トリック・オア・トリート!」という浮かれた声も聞こえた。

 高校生なんてものはみんなそうなのかもしれないが、得体の知れない仮装イベントでよくここまで盛り上がれるものだ、とも思う。お菓子がもらえる、というのは……確かに嬉しいけれど。そういえば、真琴も昔からハロウィンが好きだったな、なんて考えたところで鞄の中のチョコレートの存在を思い出した。


『食べるのは、朝練が終わった後にしてね』


 そう言って笑った真琴の顔が思い浮かぶ。

 自分の腹に手を当ててみると、朝練終わりでちょうど腹が減っていた。

「また放課後」と言って友人が隣の教室に入っていく。軽く手を上げて答えて、オレも自分の教室に入り、早速鞄の中の包みを出した。中には、丁寧にココアパウダーがかけられた商品のようなトリュフ。相変わらず上手い、と思いながら口に含み、歯を立てた。


「?!?!?!」


 声も出せないほどの衝撃が口の中、そして全身を襲った。

 鞄から急いで水筒を出し、一気に中身を煽る。しかしそれでも足りず、オレは水道に走った。

 辛い。いや、痛い。口の中が燃えさかる業火を突っ込まれたかのごとく熱く、痛い。あまりにも痛くて、涙が出てくる。息を吸うごとに痛みが増し、走ることすら嫌になる。


「っ!?!?!?!」


 しかし、神は無情だ……というより、これも彼女の狙いだったのかもしれない。でなければ、あんな量のお菓子に一生懸命細工をする必要なんて無い。

 水道には人だかりができていた。

 皆一様に涙目で、ものすごい勢いで水を飲んでいる。そして水を飲み終えて少し落ち着いた奴らはぐったり、げっそりと言った様子で人だかりから離れていくのであった。

 まさに地獄絵図。

 ゾンビの集団が寄ってたかって水を求めているような。そんな異様な光景だ。

 中には他学年の生徒も多分に含まれていて、学内で有名な「美少女」からお菓子をもらえると聞いて集まった奴らだったのであろうことがうかがえる。もしもこれを企てたのがあの高槻真琴でなかったならば、こんなにも被害は広まらなかったろうに。

 やっと水にありつき、ひとまずは口内の痛みから解放されたオレは自分の教室には戻らず、真琴の教室へと向かった。他の教室と同様、そこも恐らく、地獄だ。





「今日は朝練、早く終わったんだ」


 無遠慮に教室に入ってきたオレを見て、真琴が微笑んだ。

 最早いたずらっ子では済まされない笑み。どちらかというと、サディスティックな女王のような艶然とした笑みだった。


「お前、なんでこんなこと……」


 周囲を楽しそうに見回す彼女の横顔にオレはため息を吐いた。

 オレの予想通り、教室内はまさに地獄絵図だった。食べた奴らの叫び声が響き、水道から帰ってきたヤツはすべての気力が削がれたゾンビのごとき顔色だ。これを企てたのは間違いなく、今目の前にいる「美少女」もとい女王様だった。


「ゾンビはお化けに入るよね?」

「多分入るな」

「じゃあ、ハロウィンにぴったりだね」


「これは仮装じゃねえ」というツッコミを言う気力すら、オレにはもう無かった。オレとて多少マシになったとは言え、こいつらと同じようにゾンビの素を食わされているのだ。顔色的には同じようなものだろう。

 真琴はそんなオレを見て楽しそうに声を上げて笑いながら「だから、『朝練の後に』って言ったでしょ?」と言った。ああそうだ。朝練の前になんて食べたものだったら、練習にならなかった。


「まさか、トリュフの中にデスソース仕込んでるとは……」

「世界で一番辛いのはやめたんだけどなあ」


 教室の中を、外を。ゾンビ達が這い回っている。

 女王様は企みが上手くいって心底満足そうに、その秀麗な顔に笑みを浮かべている。

 そしてこちらを見て、得意げにこう言った。


「トリック・アンド・トリート」

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