ショートショート

2021.08「ひまわり」

 危険を知らせるように、脳が突然意識を浮上させた。

 飛び起きて枕元の時計を確認する。時刻は午前7時5秒前。我ながら完璧なタイミングだ。


「……4」


 

 呟きながら、ベッド横に置いてある折り畳み式のミニテーブルを布団の中に引っ張り込

む。


「3」


縦にしたテーブルを胸から腹の上に置く。支える手は横に添え、もう一度目を閉じる。


 2、1……


 ほとんど音も無くドアが開いた。僅かに流れた風が僕の鼻先を掠める。

 同じくらいの速度で向かって来るそれ。

 鉄が擦れる微かな音。

 続いて、空気が裂かれる音がした。


 ガンッッ!!!


 全身に衝撃が走る。

 体に直接得物は当たらないが、折り畳んだテーブルの足の部分が腹にめり込んだ。これはこれで結構痛い。


「あら、起きていらっしゃったんですね」


 悪びれた様子も、驚いたという様子も一切ない、鈴のような声が響く。想定済みだったということか。くそっ。


「痛っ……はぁ。おはよう、ひまわり」


 テーブルを避けて痛む腹を押さえながら起き上がる。隣に立つ彼女はゆっくりと愛用の日本刀(居合刀だ)を鞘に戻す。カチン、と刀が鞘に戻される硬質な音。続いて彼女はロングスカートの裾をつまみ上げ、恭しく頭を下げた。


「おはようございます。ご主人さま」


 彼女は、朝見あさみひまわり。

 神城財閥の次期当主である僕、神城朔かみしろ・さく付きの専属メイドだ。


「いってきます」

「行って参ります」


 ひまわりが作った朝食を食べ、彼女が作った弁当を持って、彼女と一緒に家を出る。無駄に広大な敷地を横切って大通りへ出ると、僕たちと同じ制服を着た男女が近くの地下鉄駅方向からゾロゾロと列をなしていた。僕とひまわりも、その列の端にそっと加わる。

 何を話すでもなく二人で歩くのはいつものことだ。

 周囲から無遠慮な視線を向けられることも。


「見て!」

「神城先輩と朝見先輩!! 朝見先輩、相変わらずキレー……」

「脚長いよねー。うらやましい……」

 

 周囲から、潜めた女生徒たちの羨望の声が聞こえてくる。

 さらに耳を澄ましてみると。


「お、朝見ちゃんだ。やっぱり美人だよなあ」

「すげースタイル良いし……見ろよ、あの脚」

「おわ、めっちゃキレイ! もっとスカート短くしてくれー!」


 なんて下心丸出しの男子生徒の声もちらほらと聞こえる。さすがに露骨すぎる言葉に、右斜め後ろのひまわりを盗み見る。しかし話題の中心人物はそんなものにはとんと興味がないらしい。手に持ったスマホで熱心に何か見ている。きょうの夕食の献立でも考えているのだろうか。


「にしても、朝見ちゃんと並ぶとホント……」


 今度は嘲笑混じりの声が聞こえてきて、僕は溜息を吐いた。

 ひまわりと並んで歩くと、いつでも、どこでも、絶対に聞こえてくる言葉がある。その言葉はもう何度も聞きすぎていい加減耳タコだが、それでもほんの少しだけ、僕が持つ「自尊心」という名の胸裏の宝石を傷つける。


「ちいせぇよなあ、朔ちゃんは」 


 いや、そこまで言われるほど小さくねえよ。

 確かに、高校生男子で165センチは小さい方かもしれない。それは認めよう。仕方ない。

 だが、僕が小さく見えるのは断じてそれだけが原因ではないのだ。


「……気にする必要はないですよ。ご主人さま」


 ひまわりがスマホから顔を上げ、僕にだけ聞こえる声で言った。珍しくにっこりと笑って、小さく小首まで傾げて見せる。わずかに僕を見下ろしながら。

 僕が小さく見える理由。それは、いつも一緒にいるひまわりがデカいからだ。165センチの僕に対してひまわりの身長は170センチ超え。女子より男子の身長が高いことがなぜか当たり前だと思われているこの社会において、並んで歩くと僕が非常にミニマムな存在に見えてしまうらしい。何度も言うが、僕はそんなに小さくはないハズなんだ。多分。

 さらりと僕の横を通り抜け、ひまわりが僕を周囲の視線から隠すようにして先を歩く。スクールバッグと一緒に右肩にかけられた芥子色の刀袋が、薄っぺらい彼女の背中でゆらゆらと揺れている。


 道着の裾を払ってゆっくりと腰を落とす。左手に持った刀を静かに目の前に滑らせて置き、一呼吸ののちに深く礼をする。置いた刀を取り上げて、腰に佩く。僅かに腰を上げる、その瞬間。

 目にも止まらぬ速さで、一直線に刀身が振り抜かれる。返した刀は、今度は上から下へ。

 耳が痛いほどの静寂の中で、圧倒的な質量を持った刃先だけが閃光のように輝き、踊る。

 ひまわりの居合は、誰よりも美しい。

 淀みなく立ち上がったひまわりが、こちらを振り向く。凪いだ黒い瞳が僕を捉え、何も言わずに逸らされた。そんな何気ない仕草ですらも洗練され、美しい。立てば芍薬、なんて言葉があるが彼女を見ているとその言葉の意味がよくわかる。その立ち姿だけで人を魅了し、場にそっと華を添える様は確かに大輪の花を開いた一輪の芍薬だ。彼女自身は、ひまわりなのだけれど。


「神城くん、次だよ」

「あ、うん。ごめんごめん」


 自分の刀を手に取り、慌てて列に戻る。ひとつ大きく息をつき、裾を払って腰を落とす。滑らせるように刀を置き、美しかった彼女の姿勢や動きをなぞるように動く。しかし自分でもわかるくらいぎこちなくて、何だかとても悲しくなった。





「……なんで帯刀してるんだよ」

 

 うちの屋敷の制服である、ヴィクトリアンメイド服に身を包んだひまわりがゆっくりと中央階段を降りてくる。ロング丈のスカートをつまみ上げながら歩くその姿は、中世貴族の屋敷にタイムスリップしたかのような錯覚を与えるのだが、その細腰には服装には似つかわしくないものがぶら下げられている。しかも鞘の装飾を見るに、あれはいつもの居合刀ではない。


「二人で外に出かけるのでしたら、何かあった場合、私がご主人さまをお守りしなければなりませんので」

「いや、何かあっても刀で人切っちゃダメだろ」

「切りませんよ。峰打ちです」

「殴ってもダメだろ」


 ひまわりは「ふむ」と、少々考える素振りを見せたがすぐに「やっぱりこのまま行きます」と言った。「何かあってからでは遅いので」と冷たく言って、さっさとと玄関に向かって歩いて行く。話は終わり、と背中が言っている。こうなった彼女は絶対に折れない。小さい頃からそうだ。

 やれやれ。どうしてこんなにも頑固なのか。思わず苦笑が漏れる。

 しかし彼女は自分の身を案じてくれているのだと考え直せば、少しだけ胸の内が温かくなった。


「早くしてください。行くのでしょう?」


 ひまわりが玄関の外で呼んでいる。

 それに軽く返事をして、僕は彼女に続いた。


 一面の背の高い黄金の花々は、あの日のままの姿で僕たちを出迎えた。

 強い陽射しに負けず力強く輝くそれは嫋やかでありながら力強く、生命力に溢れている。すらりと太陽に向かって背を伸ばす姿は、その名前の通り彼女のようだ、と思った。

 

「相変わらず美しいね。ここの向日葵畑は」

「そうですね。手入れは誰がしているのでしょう」

「さあ。他に人がいるのを僕は見たことないな」


「行こう」と大輪の向日葵たちを見つめたまま佇むひまわりの手を引いた。彼女は何も言わず、抵抗することもなく、大人しく僕についてくる。向日葵の中に二人で身を滑り込ませる。太陽の光が花弁に遮られ、畑の中は少しだけ涼しい。


 誰のものかもわからない、向日葵畑。

 ここはずっと昔。僕と彼女の距離が今よりもずっとずっと近かった頃に見つけた秘密の遊び場だった。今と変わらず背の大きな向日葵は、まだ小さかった僕たちの姿を外の世界から容易に隠してくれた。僕たち二人しか知らないこの場所は、屋敷の誰にも言えない秘密を共有する場所だった。

 あの頃の小さな秘密たちは、いつしかどこかに置いてきてしまった。

 この畑のどこかに埋まっているのだろう。

 たったひとつを、除いて。


「ねえ、ひまわり」


 君は、覚えているだろうか。


「僕はね、変わっていないよ。あの日から」


 あの夏の日に交わした小さな小さな約束を。


「ひまわりは?」


 覚えてくれている?


 僕のすぐ後ろを無言でついてくる彼女を振り返る。予想に反して、ひまわりはその黒い瞳を真っ直ぐに僕に向けていた。向日葵に遮られ、少し柔らかくなった日の光がその揺るぎない黒曜石を穏やかに輝かせている。映り込む黄色の花びら。


「ひまわり、」


 するり、と。

 彼女が僕の手を離れ、追い越し、するすると奥へ入っていく。その先には少し開けた空間があって、そこであの日、僕たちは――。

 

 シャリン、と。

 金属が擦れる音がした。

 メイド服の黒いロングスカートが、真っ白のエプロンが、ふわりと空気を含んで宙を舞った。彼女の周りを一筋、白い閃光が回る。

 次の瞬間に目の前に現れたのは、頭だけを切り取られた大きな向日葵だった。


「もう少し小さい方が、見栄えは良いのでしょうけれど……」


 ひまわりが僕の前に膝をつく。


「ご主人さま……いえ、朔くん。私はずっと、朔くんの側にいる」


 僕の右手を掬い上げて口づけをひとつ。

 彼女は顔を上げ、向日葵のような顔で、笑った。



 朝見ひまわりの朝は、まだ日の昇りきらぬ時間から始まる。

 ヴィクトリアンスタイルのメイド服に着替えて厨房に向かい、朝食と二人分の弁当を用意する。今日は暑くなりそうなので、酸味の強いフルーツをデザートに付けようか、などと考えながら、彼女は慣れた手つきで弁当を用意していく。

 その顔はいつもの無表情とは違い、ひどく嬉しそうなものである。

 できあがった弁当のフタを閉め、ランチョンマットで丁寧に包む。箸とフォーク、別で付けたデザートの容器を弁当袋に入れて、完成だ。

 ひまわりはそれを恭しく手に取り、そっと胸に抱き寄せた。


「ああ……ご主人さま……!」


 愛おしい。

 喜ばしい。


 私の作った朝食が、昼食が、夕食が。

 彼のすべてを、作り上げているだなんて。





*DMグループ「ノベリ隊」のシークレットSS会用。

*自分を消した小説です。

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