第5話:狂戦士

それは暴風の如き戦闘だった。交わされる幾重もの剣閃が石造りの筈の壁や床をバターか何かのように苦もなく細断していく。その光景を作り出すのは三人の怪物だ。

一人は赤い全身鎧を纏った狂戦士。血と錆に塗れた大剣を獣のような雄叫びと共に振るう。人を超えた凄まじい膂力で放たれるソレは究極の剛剣と化して獲物を斬り潰さんと唸っている。

それと相対するは二人の男女。一人は斬滅を謳う無窮の剣士。狂戦士とは真逆に位置する神速の剣閃が剛剣を真っ向から迎え打つ。もう一人は輝剣を操る銀の戦乙女。前者のように人外じみた刃の冴えは持たぬもののそれでも十分に卓越した技量を持っており、何より彼女が操る無数の輝剣がこの場を支配する限り、その手からは逃げられない。


「なるほど、これでは駄目か。では次だ」


瞬間、男──クラウスが繰り出す剣がその形を変えていく。速度と手数を主軸とした剣技が流水の如く変幻自在な柔の剣へと変化した。更に真上からの振り下ろしを容易くいなし、その隙間にねじ込むように先程の速さを超える疾風怒濤の連撃を解き放つ。


「──そこだ」


かと思えば斬撃の檻の隙間を縫うように放たれる突き。一見無造作に見えるその一撃はあらゆる呼吸の合間を擦り抜けて狂戦士の身体へと傷をつける。更にその一撃へ付随するように刀剣の切っ先が陽炎の如く揺らめき、無数の剣閃が狂戦士を斬り裂いていった。まさしく千変万化。変幻自在に変わる剣技を用いてクラウスは狂戦士を追い詰める。


『グ、オオオオオォォォォォッッ!?』


その絶技の数々にさしもの狂戦士も危機を悟ったのか後退するが、しかし。


「させる訳ないでしょ」


飛来するは輝剣の剣群。ティナの手によって高速で放たれるソレが狂戦士の体を撃ち抜いていく。そして驚異的な踏み込みで放たれる居合抜刀が狂戦士の体を容易く捉える。

そう、先程から明確な手傷を負っているのは狂戦士だけだ。始まりこそ狂戦士の猛攻に手を焼いたものの、今では完全に対応している。何せこの手の強敵を相手取ったのは初めてじゃないのだ。クラウスもティナも、共に数々の激戦を潜り抜けた実績がある。目の前の狂戦士は確かに強敵だが、それでも二人は既に最適化を始めている。


「……厄介だな」


クラウスは大剣の一撃を後方に飛ぶ事で回避すると、狂戦士へと視線を向ける。常人ならば既に地名に至っている筈の傷を負いながら、狂戦士は変わらずに戦闘態勢へと移行している。


──いや、それだけじゃない。


「やはり、か」


狂戦士の負った傷が、時を巻き戻したかのように修復されていく。そして最後には、完全に無傷な状態へと戻ってしまった。これがこの狂戦士の厄介な所だ。どれだけ斬撃を叩き込もうが、致命傷を受けようが、傷が瞬く間に修復していく。おそらくそれを可能としているのは、狂戦士が見に纏う血のように赤い鎧だ。何せ腕を両断した瞬間に鎧から鉤爪が伸びていき、千切れ飛んだ腕に食い込むと、そのまま繋ぎ合わせてしまったのだ。


「またもや魔具か」


しかもこれほどの出鱈目な性能──間違いなく上位の魔具の一つだろう。


「ティナ、あの魔具に心当たりは?」

「……一つだけある。おそらくだけど、あれは“エレンの血鎧”だよ」


ティナの話はこうだ。

かつてエレンと呼ばれる男がいた。魔導の深淵を解き明かしたと言われる大魔術士だ。しかし、ある時エレンは大切な妻を喪ってしまい、その果てに彼は狂気に取り憑かれ、やがて一つの鎧を作り上げた。装着すれば如何なる致命傷であれ瞬時に再生してしまう程の生命力と人外の身体能力を与えるという常識外れの力を宿し、しかしその代償として、持ち主は永遠に癒えぬ渇きと理性の喪失を課せられる呪われた魔具。それが、エレンの血鎧。


「なるほど。ではあれの中身はそのエレンとかいう魔術士か?」

「まさか。エレンはずっと昔に絞首刑であの世逝きさ。死骸も焼かれて残ってない」


故にあの鎧の中身は別の何かだと言うティナの言葉にクラウスは「そうか」、とだけ返すと意識を狂戦士へと向ける。鎧の中身が誰であるかなど、クラウスはあまり興味が無かった。何故ならいずれにせよ斬る事に変わりはないからだ。


「しかし、ただ斬るだけでは埒が明かんな」


何せ斬った側から再生していくのだ。これでは千日手だろう。


「……ねえ、クラウス。鎧の破壊を念頭に斬る事って出来る?」

「ん?出来ない事は無いが……ああ、そういう事か」


ティナからの唐突な問いかけに一瞬だけ疑問を抱くが、すぐに何を狙っているのかをクラウスは悟った。


「では、行くぞ」

「うん、援護は任せて」


再開される死闘。しかし、その内容は先程とは異なるものだった。


「フッ!」


繰り出される斬撃により飛び散る鎧。それを繋ぎ止めるべく破損面から微細な鉤爪が伸び、破損箇所を修復していく。それは何度も繰り返された光景であり、故にクラウスは止まらない。

放たれる斬閃。刻まれる刀傷。何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。神剣クラウスの絶技が、狂戦士の鎧を刻んでいく。

防御?回避?反撃?どれもさせるわけがない。防御の隙間から骨肉を断ち、驚異的な観察眼で回避先を潰し、筋肉の微細な反応から動きを予知し、反撃の隙さえ与えない。


『グ、ガアアアアアアアアァァァァッッ!!』


斬撃の結界に捕われる中、狂戦士はついに強硬手段に打って出た。全ての被弾を容認する事で前進するという選択肢を無理矢理掴み取ったのである。

常人ではそもそも実行に移す事さえ叶わぬ狂気の選択。自我と理性を一切持たぬが故に選び取れる選択肢は、それだけに効果的だ。


しかし、それを前にしてもクラウスは動じない。


「修復能力を利用した特攻か。単純だが、だからこその強みを持っている。咄嗟にしては悪くない判断だ。だが、忘れたか?今の俺は、一人じゃない」


瞬間、クラウスの背後から6つの光弾が飛来し、狂戦士の体を貫いた。狂戦士が視線をそちらに向ければ、そこには数本の輝剣を円環状に展開したティナの姿があった。円の内側には魔術式が描かれており、先程の光弾はそこから射出されたのは明白だろう。


ティナ・リングウッド。エルフの金級冒険者であり、その職業は“魔法剣士”。その戦闘法は輝剣を直接振るうだけでなく、輝剣そのものを魔法陣として多様な魔術を行使する万能型だ。輝剣が彼女の代名詞となっているが、魔術の腕単体を評価するならば、まさしく天才である


「さて、趣向を変えようか」


再び駆動する魔術式。紡ぎ出されるは属性の異なる無数の魔術。炎、氷、風、雷が目紛しく世界を彩っていく。そして、それらの合間を縫うように正確無比な斬撃が放たれる。


そして、遂にその瞬間は訪れた。

ガギン、と。何かが決定的にズレるような音が響く。瞬間、狂戦士に如実な変化が訪れた。


『オ、オオオオオ……?』


その唸り声にあるのは戸惑い。それも当然だろう。何故なら今の狂戦士は鎧からの力の供給を断たれた状態なのだから。


「流石だな。ティナの狙い通りだ」


エレンの血鎧。装着者に不死者の如き生命力と超人の身体能力を与える代わりに永遠に癒えぬ渇きと理性の喪失を課せられる魔具。その力は確かに凄まじい。だが、その効果も無限ではない。いつか必ず限界が生じる。

故に彼らの狙いはそこにある。今や鎧は各所がボロボロと崩れていき、修復能力も満足に動いていない。


「過度な鎧の能力酷使による超過負荷オーバーロード。こうも上手くいくとはな」


そう、鎧の修復力も絶対ではない。過度なダメージを受け続ければ、必ず綻びが生じる。

とはいえ、ただ闇雲に攻撃するだけでは鎧に過負荷を与える事など出来ない。必要なのは短時間でどれだけ多くの攻撃を叩き込めるかの瞬発力にある。それは例え百人近くの戦士が同時に攻撃しようと賄い切れる物ではないが、絶対剣士にそんな常識は通用しない。


『グ、オ……!』

「戦意は衰えず、か。見事なものだ。そして理性を無くして尚、その術技は失われていないとは」


鎧の力が消え、著しく弱体化した狂戦士に対しての称賛。その言葉に嘘偽りは微塵も無く、心の底からクラウスは目の前の戦士へ敬意を抱いていた。

そして、だからこそ手心を加える事などありはしない。最後の最後まで油断せず、確実に討つ。振るわれる斬撃を弾き、返す刀で腕を断つ。もはや狂戦士に対抗する手は無く、そして────、


「終わりだ」


斬、と。横一文の剣閃が狂戦士を丸太のように両断した。鮮血と共に崩れ落ちる肉体。悲鳴すら上げずに、狂戦士は力尽きた。



ようやく静かになった空間に納刀の音が響く。先程までの激闘が嘘のように辺りは静寂に満ちていた。


「……………………」


刀を鞘に納めた後も、俺は狂戦士の死体から目を離さなかった。何故かは分からない。それは根拠など欠片も無い漠然としたものであるのだが、何故だかこいつから目を離してはならないと感じていた。


「(……確かに斬った。俺の剣は完全にこいつの芯を捉えた筈だ)」


だというのに、胸騒ぎが止まらない。本能が警告を発している。


「(嫌な予感がする)」


故に、今この場ですべき事は────。


「ティナ、この鎧の封印を頼めるか?」


そう言うと、ティナは不思議そうに首を傾げた。


「別にいいけど……何かあった?」

「別段、何かあったという訳ではないのだが……少し、気にかかる事があってな。念には念を、というやつだ」


俺の言葉に、ティナは苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めさせた。


「うわ、嫌な事聞いちゃったなぁ。クラウスの勘って高確率で当たるんだもん」


……その反応は甚だ遺憾ではあるが、これも一つの信頼の証と思おう。


「頼んだ」

「はいはい、分かったよ。それじゃあ早速やろうか」


そう言って手をヒラヒラさせると、ティナはそのまま封印の為の術式を組み始める。その間手持ち無沙汰になった為、なんとなく狂戦士の死体へと視線を向けた。


「(ん?)」


ふと、狂戦士の持つ大剣が目に入った。よく見れば剣の鍔の部分には目を閉じた山羊の頭の意匠が施されており、額には黒い石が埋め込まれている。


「……あれ?」

「どうかしたか?」


封印術式を組んでいたティナが唐突に怪訝そうな声を上げたので問いかけると、何処か困った顔でこちらを振り返る。


「術式が起動しない。何かに阻害されてるような……」

「阻害だと?一体何が……」


そう言って視線を下へと向けた瞬間、大剣の鍔にある山羊の閉じられた目が開かれた。開かれてしまった。


『ゴオオオオオオオォォォォォッッ!!!!』


鳴り響く咆哮。この世の者とは思えない叫びが空間に響き渡った。


「っ!い、一体何が……!?」

「────ティナ、避けろ!!」


俺の声を聞き、咄嗟に転がるようにティナが横へと回避した瞬間、先程までティナが立っていた場所に大剣が振り下ろされた。誰がそれをしたかなど問うまでもない。先程の嫌な予感は当たってたという訳だ。


「嘘、たしかにクラウスが斬った筈なのに……」


目の前の光景に、ティナは呆然と呟いた。

ぐじゅりぐじゅりという肉が蠢くような不快な異音を立てながら繋がっていく体。更に肥大していく四肢に胴。ヒュンヒュンと鉤爪を伸ばしながら変形していく鎧。右手に持つ大剣はギョロギョロと両目を忙しなく動かせながら狂戦士の右腕と同化しながら巨大化していく。

ピシリ、という音が鳴り、顔を覆う兜が地に落ちる。その素顔を見た瞬間、ティナが顔を強張らせたのが分かる。

奴の素顔は、もはや人の物では無かった。顔中に散りばめられた無数の目。口は垂直になっており、両側の側頭部にも同様の物が付いている。その有り様はまるで、複数の人間の顔をドロドロに溶かした上で無理矢理融合させたようだった。


「全く、これだからたまらないんだ」


眼前の異形を前にして、俺は苦笑と共に剣を抜く。そして横にいるティナへと声をかけた。


「ティナ、大丈夫か?」

「……うん、面食らったのは事実だけど、状況を鑑みればむしろこっちの方がやりやすいね」


既にスイッチを切り替えているのか、ティナは輝剣を展開して戦闘態勢に入っていた。流石は金級冒険者。こういった不測の事態にさえすぐさま適応できる。


「さあ、今度こそ決着といこう」


『ゴオオオオオオオォォォォォ!!!!』


俺の言葉に反応するかのように、異形は刃を振り下ろした。その一撃は先程よりも重く、速いが──俺は哀れみを感じずにはいられなかった。


「……ついに術技すら失ったか」


そう、奴の一撃に技などという物は一切宿っていない。ただ力任せに振るわれているだけだ。普通ならそれだけで脅威だろうが、しかし。


「力だけの攻撃など、俺でも容易く見切れる」


工夫など欠片も無い攻撃に恐れる道理は無い。ならばこそ、まずはその巨刃を抑えさせてもらおう。

奴が刃を振り下ろした直後の一瞬の硬直時間を狙い、こちらも剣を振るった。その連撃は容易く奴の右腕を斬り裂き、巨刃を根元から切り落とした。しかし油断はしない。もしもあの鎧が復活しているのならすぐにでも繋ぎ合わせて反撃してくる事は容易に想像できるからだ。

しかし、その予想に反して奴は後方へと下がった。その事に疑問を抱いていると、奴の右腕の切断面が盛り上がっているのに気づく。そして次の瞬間、断面を貫くように巨刃が復活した。その光景を見て、俺は瞬時に悟る。


「(修復ではなく再生か。これは鎧の力ではないな)」


鎧の能力とはあくあくまで修復だ。今までと同じであったなら切り落とした刃を回収して結合させるだろう。しかし、この異形は刃をそのままにして新たに再生させた。であるのなら、それは鎧の力ではない。それが指し示す事はつまり、あの大剣もまた魔具であるという事になる。


「二つの魔具を操る異形、か。偶発的に出現したとは考えられん」


よく考えれば誰でも分かる事だ。一つだけでも持ち主に凄まじい力を与える魔具を二つも所持している。それだけでも驚愕する事態だというのにその持ち主が異形の怪物ときた。

更に言えば、おそらくこの怪物は人間を材料に作られた合成獣キメラのような存在だろう。見た目こそ異形だが、斬った際の感触が人間のものだった。


「ふむ……」


そこまで考えれば、全てが繋がってくる。この遺跡の正体と、目の前の異形との関連性が。


「興味深い話ではあるが、今は────」


瞬間、唸りながら向かってくる豪腕を俺は一太刀で斬り裂く。余裕そうに見えたのが気に食わなかったようだが、生憎こちらは常に本気だ。何せ俺にはたった一つしか取り柄が無いのだから。

連続で放たれる巨刃による攻撃を弾き、いなし、躱していく。真正面から受け止めるのではなく、あくまで攻撃を受け流す事に比重を置いた戦いは、やはり奴には有効だった。余分な力をそのまま逸らせば、奴は容易に体勢を崩す。そうすれば一気にこちらの攻め時だ。俺の斬撃とティナの輝剣が、奴の体を容易に斬り裂いていく。

先程、ティナがこちらの方がやりやすいと言ったのはこれが理由だ。例え図体が大きかろうが、凄まじい膂力や生命力を兼ね備えようが、所詮はそれだけ。そんな輩は俺もティナも見飽きているのだ。いまだ生物としての常識の中にいるのなら、苦戦する道利などありはしない。


「(とはいえ、このままでは千日手だな。あの剣にはおそらく先程の戦術は使えない)」


どれだけ俺が斬り裂こうが、端から再生されるだけだ。ならばどうする?このまま斬り続けた所で無限に再生されて終わりだろう。あの大剣を切り離せばあるいは可能性があるか?いや、先程刃を根本から切り離しても瞬時に再生された為、有効とは言えないだろう。


「(魔具からの力の供給を断ち切る事が出来るなら、あるいは……)」


しかし、そんな事は机上の理論だ。力の流れを視認する事が出来れば可能性はあるが、俺にはそんな便利な目は無い。


「……………………」


ふと、自分の刀剣に目を向ける。思い出すのは先のゴーレムとの戦い。あれを応用すればあるいは……。


「試す価値はあるか」


刀剣から視線を眼前に戻し、俺は異形へと疾走した。

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