聴取


「おはよう、エアハルト君。昨日はよく眠れたかい?」


「おはようございます、ザンブルグ博士。ええ、よく眠れましたよ」


 異界から帰還した日から一夜明けて翌朝、士官学校の食堂より数段は豪華な朝食を食べ終えると、ザンブルグ博士が研究室を訪れた。


 ウルヴァン・フォン・ザンブルグ博士。4号まで数えた渡界実験を主導し、空間魔術を中心に魔導学を、ひいては科学全体の進歩を加速させた傑物である。と、研究員が言っていた。

 私から言わせて貰えば、被験者の9割以上を殺したような狂気の実験を実行したマッドサイエンティストだが。


 一研究員から研究全体を管理する立場に出世してもなお現場を離れるつもりはないようで、昨日の聴取もザンブルグ博士が自ら行っていた。


「昨日予告した通り、今日からリハビリ開始までの期間異界についての聴取を行う。記憶の整理はできたかね?」


「はい、博士。未だ記憶の欠落が激しいですが、異界での記憶と私自身の記憶とを区別することができるようになりました」


 そう、夕食後も就寝するまで記憶の整理を続けた甲斐もあり、テオドール・エアハルトとしての記憶と異界の記憶の区別ができるまで整理が進んだのだ。


「素晴らしい! では早速聴取を始めよう! まず―――」


◇◆◇


「ふむ! なるほど! いやはや実に興味深いな!」


 聴取の開始からどれくらい時間が経っただろうか? 太陽は既に頂点を過ぎ徐々に沈み始め、昼時を感じ取った腹は頻りに空腹を訴える。今日はしっかりと椅子に座れているから背中は痛くない。


「……もうこんな時間か、そろそろ昼食にしよう。おい、そこの君、食堂から適当なメニューを2食分持って来てくれ!」


「はいっ! 直ちに!」


 博士も私が腹を空かせていることに気がついたのか、昼食の手配をしてくれた。申し付けられた研究員は指示を聞いて直ぐに動いてくれたから、5分もすればトレイを持って帰ってくるだろう。


「ありがとうございます、博士」


「何、私も腹が減ってきたところだ。礼には及ばん。……それはそうと、エアハルト学生。君の報告を聞いていて少し気になる事がある」


 私の報告に疑問? 何かおかしな回答をしてしまっただろうか?


「一体何でしょうか?」


「君の知識の偏りについてだ。君の異界での記憶は科学技術や文化的な側面を切り口とするとあやふやな知識しか報告しないが、軍事や魔術に関連する事柄となると妙に詳しくなる。これは何故だね?」


 なるほど、確かにそうだ。異界では高等教育までしっかり受け、軍事や魔術しか知らないという訳でもないのに、それら以外の分野についてあまり思い出せていない。

 知らない、という訳ではないのだ。先端科学の産物だって、ロングセラーの名作文学だって名前は浮かぶ。しかし、その内容がそこだけ切り取られたかのように思い出せず、表現できないのだ。

 そう伝えると、博士は少し悩んだ後に1つの仮説を立てた。


「これはあくまでも1つの仮説に過ぎないが......。エアハルト君とそれらの分野の関係と言うと、やはり君が士官学校にいることだろう。そして君はこれまでの人生のほとんどを孤児院と軍施設で過ごしてきた」


 博士の語る自身の来歴に間違いはない。1つ頷く。


「そこから考えるに、君の思い出せた記憶は現状の君と関わりあっていているのではないだろうか? 現状の君は科学や文学といった物にあまり触れることが無く、それらの領域に対する......、何というか、興味? 素養? といったものが欠けている。そのために、君は自身の専門領域外の事柄を思い出せない、という仮説だ」


 異界の記憶と私の間にある相関関係を考えると、まるっきり的外れな仮説ではないように思える。


「そうですね、それは否定できません。これまでの私は体力・魔力を錬成し、戦技を磨き、士官として求められる知識を身に付けることに集中してきました。そのために不必要な教養的な分野の学習は避けてきています」


「そうだろうな。であれば、だ。君が軍事以外の分野について学習すれば、他の異界の知識も思い出せるという事になる。どうだね?」


「あり得る話だと思います。しかし……」


 まだ考慮するべき要素は多くある以上、因果関係として認められるほどのことではないだろう。


「何、これが多分に希望的観測を交えた仮説であるというのは理解している。それに君は士官学校の学生なんだ、軍務を放棄して学問に精を出す訳にはいかないだろう」


「ご理解頂き恐縮です」


「そこで1つ、頼みがある。士官学校であっても多少の余暇は存在するだろう。その時に、今まで触れたことのない分野について学習して欲しいんだ。学習するのはどんなものでも構わない。経済学でも、文学でも、神学でも良い。それで異界の知識が思い出されたなら、是非報告して欲しい」


 未知の分野についての学習……。やってみても良いかも知れない。

 これはザンブルグ博士に対する義理からではない。というかこのマッドサイエンティストに対して義理など無い。


 しかし、私が軍で出世を目指すのであれば、特に指揮官ではなく参謀本部など後方勤務でのキャリアを目指すのであれば、戦闘能力と指揮能力だけ磨くのでは不足であろう。

 発展的な経理や作戦立案など、身に付けるべき知識は無数にある。高級将校ともなれば、社交の場で恥を掻かない程度には礼儀作法や文化的な教養を身に付ける必要もある。


 更に打算的な事を言えば、この実験に関わり続けることで、参謀本部技術開発局とコンタクトを取り続けることとなり、上手くやれば孤児院出身の士官候補生としては異例の、強力なコネクションを得ることができるだろう。


「……分かりました。休暇や就寝前の自由時間に色々勉強してみます」


「頼んだよ。まあ、命令と言う訳ではないから、気負わずにやってくれ」


 そこで昼食を取りに行っていた研究員が戻り、昼食と相成った。


 その後聴取は3日間行われたが、やはり軍事以外の分野はあまり有用な情報を提供できなかった。

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