それは秘密ですわ
砂浜に流れ着いていたものは殆どがゴミで、板切れやら、朽ちた発泡スチロールやら、得体の知れない液体が半分入ったビンやら、使えないものが多かった。
だけど僕たちは幸運で、恐らく同じ客船のお客さんのだろう大きなスーツケースが一つ、波に洗われながら波打ち際を行ったり来たりしていた。
僕らはパチャパチャと海岸を走ってスーツケースに辿り着きそれを回収し、乾いた砂浜に引き上げた。口は閉じていてズッシリと重い。
観音崎さんはそれを開けようとガチャガチャやったあと、僕を振り返った。
「下津間。鍵の番号」
「知りませんよ」
「やむを得ませんわね。破壊なさい」
このテンポよ。人に指示を出し慣れてるな。あやうく「はいお嬢様」と返事する所だった。
僕は砂浜をさらに上がり、膝までの茂みに分け入って足で地面を探り、拳大の石を見つけてそれを手にスーツケースお嬢様の所まで戻った。
「いい判断ですわ」
「ありがとうございます。下がってください」
僕は観音崎さんと場所を変わると、手にした石でスーツケースの鍵二箇所を破壊した。
「仕事も早く手際もいい。頼りになるパートナーで助かりますわ」
「僕も……賢いリーダーが一緒で良かったです」
その時は、本心からそう思った。
スーツケースはやはり旅客船の乗客のものだったようで、中には着替えやタオル、洗面具、化粧品、洗濯ロープ、簡単なトートバッグやビニール袋、トイレットペーパーなどが入っていた。旅慣れた若い女性の荷物、という感じだった。
「これはラッキーですわ」
「中も全然濡れてないですね。いいスーツケースだ」
「年季は入っていますけれど流石のハリバートンですわね。持ち主もどこかで、ご無事でいらっしゃればいいのですが……」
彼女は少し哀しそうな顔をした。
「それはそれとして中身はありがたく最大限利用しましょう。着替え、タオル、洗面具、ビニール袋、トートバッグとナップサック。なるべく二人で等分に分けましょう」
「着替えは全部女物ですし、観音崎さんが好きに取っていいですよ」
観音崎さんは首を振った。
「わたくしたちの衣服は海水でずぶ濡れです。登山における衣類の三原則はご存知?」
「僕、卓球部だったんで……」
「清潔であること。乾燥していること。状況に応じて着替えが可能なこと。わたくしたちの今の衣服に関わる状況はその全てを満たしていません」
「はあ」
「あなたは見たところ男性にしては細身ですし、こちらの方の着替えにはパンツやTシャツもあります。長期遭難になる可能性も視野に入れるならば、当座の着替えも勿論、洗い替えとしてのストックは確保しておくのが無難でなくって?」
……下着も?
「まあ!」
「どうしました?」
観音崎さんが荷物の底から取り出したのは、缶切りや小さなノコギリなどか重なって折り畳まれた十徳ナイフだった。
「……これは、あなたにお預けします」
「いいんですか?」
そう。これは小さいとはいえナイフだ。彼女の立場からしたら、遭難した海岸で二人きりという今の状況で僕がナイフを持つのは恐ろしいんじゃないだろうか。
「下津間。私はあなたを信頼します」
そう言われて手渡されたナイフは、見た目よりも少しだけ重たく感じた。
「ライターの類がないのが残念ですけれど、上等も上等ですわ。今日は着替えて体を拭いて、濡れた服を干したら休みましょう」
***
翌朝。
疲れていたためか、とりあえず乾いた衣服に着替えることができたからか、意外にグッスリ眠ってしまった。日差しに顔が焼かれるチリチリした感覚で目を覚ました僕は、少し離れて同じように砂浜に横になっていたはずの観音崎さんの姿がないことに驚いた。
「観音崎さん……?」
呼んでみたが返事がない。
「観音崎さーんっ‼︎」
「こっちですわ」
昨日と違い、見知らぬ旅行者のスキニーパンツと白いTシャツに着替え長い髪を後ろにまとめた観音崎さんは、波打ち際にしゃがみこんで何かを見ている様子だった。
僕は立ち上がり、微妙に丈の足りないチノパンに付いた砂を払うと観音崎さんの隣へ行った。
「夢みたいに消えたかと思いましたよ」
「わたくしがあなたのイマジナリーフレンドなら、そんなこともあるかもしれませんわね」
「何かあるんですか?」
観音崎さんは無言のまま視線の動きで僕に砂浜を見るように促した。
「これは……足跡?」
「砂なのではっきりとはしませんが……大きな裸足の足跡……に見えますわね」
観音崎さんは靴を脱ぐと、その大きな足跡の隣に自分の足跡を付けた。
「ざっくり足跡の接地面積がわたくしの倍だとして、この足跡の一番深い部分は、今付けたわたくしの足跡の十倍ほどあります。接地圧が半分なのに深さが十倍なら、体重は単純にわたくしの二十倍」
「観音崎さんは何キロなんですか」
「それは秘密ですわ」
観音崎さんは少し険しい顔で立ち上がった。
遠くを見るような視線。スッと伸びた背筋。
明るい所で見るとその均整の取れた容貌はスマートに整っていたし、その立ち姿には気品とプライドが滲んでいた。
美しい
可愛いともエロいとも違う。考えてみれば僕は女性を見て、自然にそう思ったのは初めてだった。
「丈夫な棒くらいは、持っていた方がいいかもしれませんわね」
観音崎さんのその言葉でハッと我に返った僕は、彼女の視線の先の地面に、謎の足跡が点々と列を成していることを認めた。
その足跡は、これから僕らが向かおうとしている高台のある森の中へと続いていた。
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