死女神(短編)
うどん。
死女神
うるさい街だった。
大通りは様々なライトアップで彩られ、哮り吠える大都会の喧騒達が僕を刺激した。
ばっかじゃねーのか。
そう思って、自分の感情が思った以上に以前より乾いていることにも気づいた。
アホみたいに騒ぎやがって、こいつら。
この街の全て恨めしくなってしまったのは、今の職場に入ってから 2年目だった。
そんな街にも腹をたてる続ける気力が無くなったのは…
いつからだったっけかな。
大学を出て、親元を離れこの街で一人暮らし。
もともと内気な僕は友達も多くなく、周りに流されるまま。
付和雷同な自分には敵も味方もいないはずだった。
それが一番楽だと思ってたんだけど。
思って…たんだ。
お酒が飲める人なら、酔いに溺れて気を紛らわせることができたりするんだろうか。
相談できる相手がいるなら、全てを吐き出すことができるんだろうか。
そんなことを考えていたら、ますます僕の気分は濁っていった。
歩いて帰ろうと思っていたけど、キツそうかな。
そう思った僕は、そこいらのタクシーを適当に止めた。
「どちらまで?」
別に優しくもない口調で聞いて来た壮年の運転手。
行き先を告げると、彼は返事もせず車を出した。
嫌な運転手だな。
でもきっと、こんな男を乗せた彼の方がついていないのはわかっていた。
運転手に対する嫌悪感よりも、僕は罪悪感に苛まれた。
窓に流れる景色を見ていたら、吐き気がしてきた。
反射する僕の顔は、綺麗とか不細工とかいうより、生気がないという感じに見える。
「気分わるいのか?」
やめてください。
「吐きたいなら言ってくれ」
言葉がよく聞き取れない。
「この中で吐かれたら〝迷惑〟だから」
ッッ。
よろめきながら、なんとか自室の扉を開ける。
なんで夕刊なんてとったんだろ。
読みもしないくせに。
吐瀉物を部屋に撒き散らすのは最悪だったので、僕はいつものように便座に顔を突っ込んだ。
形容し難い嫌悪感と虚無感。
水を流すと、吐瀉物と水面の隙間に挟まった冴えない男の顔はぐちゃぐちゃに歪んで吸い込まれていった。
新しく流れてきた水に映った顔は、酷く虚ろで、暗い顔だった。
もう、いいかな。
僕は一体何がしたかったんだろう。
この人生で、僕は何もできなかった。
恐らくこの先も、僕はまるで収穫を忘れられたゴボウのように、一人で土深くと消えて行くのだ。
だったらもう、生きていなくてもいいんじゃないか。
『死んじまえよ、なぁ』
誰かがそう呟いた気がした。
幻聴か。
あるいは過去の記憶がフラッシュバックしたか。
はたまた自身の内なる声が反芻して聞こえたのかもしれない。
そうだ、死のうか。
気がつけば僕は、真っ暗な部屋の中一人あらかじめ買っておいたロープ結び、その前に小さな木製の椅子を置いていた。
別に走馬灯なんか観なかったが、観たいわけでもなかったしそんなこと気にしてる暇もなかった。
輪を作ったロープを掴み、椅子に足を乗せた。
深呼吸をし、目を閉じる。
やっと解放されるのだ。
この体を脱ぎ捨て、本当の自由にーーーーーーー
(あらまぁ。なんてことするの!)
僕の体は、椅子から飛んだ僕の足は、宙に浮いたままロープの前を漂った。
電気を消しているのでよく見えない。
僕は何かに支えられているようだ。
(危なかったわね。もう少しで首吊りよ?)
…。
うわぁぁぁあぁぁぁ!
この部屋に、自分以外の何かがいることに気づいた。
まったく気配が無かった。
(今更なにひびってるのよ。死のうとしてたくせに。)
目が慣れ、黒いローブを纏う声の主らしき何かを凝視する。
浮いているのか、僕の身長よりもはるかに高い位置に顔があるようだ。
表情はフードで隠されていて見えない。
よく見ると黒いローブから二筋の線が垂れている。
髪のようだ。
銀色の髪。その間に浮かぶ恐ろしいほどに白い顔。
大きな瞳は紅に染まって見える。
震え上がるほど美しかった。
僕はなんとなく理解した。
あぁ、彼女は死神なのだと。
(そうよ。私は死神。あなたの死を止めにきたのよ)
艶やかな声だった。
美しいその姿に思わず見惚れてしまい、彼女の言っている言葉に理解が追いつかない。
(あらぁ。嬉しいわぁ。そんな風に思ってくれて。)
どうやら彼女、死神は僕の心が読めるらしい。
彼女の声も、直接僕に響いているようだった。
彼女の佇まいは死神というより、黒装束の女神だ。
(こらこら、そんなに褒めたって殺してあげないんだから)
やはりちゃんと心は見透かされているらしい。
それより、彼女は死神ではないのか。
死神がなぜ人の死を邪魔するんだ。
(うふふ。あなたはまだまだ大っきくなるの。今死なれたならもったいないわ)
「大きくなる?一体どういうことだ」
(思わず声に出てるわよ。いい?私達死神はあなたたちの魂を刈り取る存在なの)
「魂を…刈り取る…?」
(鎌を持ってるイメージあるでしょ。あれよ。)
「たしかに」
でもどうして、僕を助けたりなんかしたんだよ。
(あなたの魂はまだまだ未熟なの。全然熟れてなくて美味しそうじゃないわ)
(死ぬ前のあなた、とってもイキイキしてたわね。過去一番ってくらいに)
たしかに、こみ上げてくる高揚感があった。
もう苦しまなくて済むのだと思うと、不思議と気分が良くなった。
ん?
死神さん、あなたいつから僕についてんだよ。
(生まれた時からよ。いつも一緒にいたじゃないの!)
い、いつも…?生まれたときから??
僕があんなことやこんなことをしている時も、大好きなミコちゃんに告白してフラれたときも、お風呂やトイレをしていたときも…?
ふざけるな!!プライバシーの侵害にも程がある!
(何怒ってるの?私死神なのよ?これからはあなたも見えるようになるわ)
いい加減にしてくれ、僕はもう死ぬって決めたんだ。
(残念ながら、無理よ。私のいる限り勝手には死なせないんだから)
そんな…。
僕はもう、生きていたくないんだよ。
これ以上生きていたってなんの価値もない。
無駄に苦しみ続けるだけだ。もう疲れたんだ。
楽にさせてよ。死神さん。
(あなた、言ってたじゃない。収穫を忘れたゴボウみたいって。その通りよ。あなたは何もできなかった。だからこれからいくらでもやれることがあるじゃない)
そんな気力はないよ。
(それって、寂しくない?)
寂しい…だって?
(あなたがここに生きたという証拠。それを残したいと思わない?)
っ!…
胸を射抜かれた気分だった。
僕が生きてきた証。そんなものがあるだろうか。
僕がこのまま死んだとして、誰が僕のことをずっと忘れずにいてくれるだろうか。
僕がいなくなったことすら気づかれないのなら、僕は何のために生まれてきたのだろう。
寂しかった。
受け止めて欲しかった。
誰かに必要とされたかった。
もっと、生きたいと思いたかった。
(それ、全部いまからできることよ?)
ーーーーーー!
頭では分かっている。彼女の話は彼女だけの都合でしかないのだろうと。
本当は僕のことなどどうでも良くて、良質な魂を狩るための都合のいい弁でしかないのはずだ。
それなのに。
僕は彼女の言葉にまんまと励まされてしまったのだ。
彼女は僕と一つになるように重なった。
全身がふわりとした感覚に包まれる。
(あたしがあなたを死なせない。あなたが死にたいと思っても死ねないの。だってあなたは私のものなんだもの)
クスクスと耳元で笑う。
僕は体が火照るような奇妙な感覚に包まれながら、ジッとしていることしかできなかった。
(立派な魂に育ったら、あたしが美味しく食べてあげるわね)
死神が人を助けるなんて、笑える話だ。
でもまだ、彼女は僕を生かしておくつもりらしい。
彼女の鎌が僕の魂を刈り取るときがくるとするならば、もしかしたら天寿とははその時のことなのだろうか。
「今日の晩ご飯、何にしようか」
(あなたの好きなものが食べたいわ。どうせ私は味なんて感じないもの。あなたの美味しそうな顔がみたいの)
彼女はいちいち僕の耳元で色めかしく囁いてくる。
それが最近煩わしいこともある。
とりあえず、彼女のお陰で僕は生きている。
一回死んで、生きている。
死んだように生きるよりも、死ぬ気で生きる方がましなんだな。
少なくとも今の僕は、生きる気力を持っている。
最初に彼女の風貌を女神だと形容したが、あながち間違いでもなかったのかもしれないと思う。
こうして僕のことをずっと見守っていることは事実なのだから。
(うふふ。あなたの魂、まだまだ美味しくなりそうね。楽しみだわ)
いつか立派に収穫されるまで。
生きてやる。
僕はまた、奇妙な死神のような女神のような彼女と共に、明日へと歩みを進めていく。
死女神(短編) うどん。 @bebemaruudon
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