五郎 1

第二次世界大戦が終結し、脱植民地化の機運が高まった。宗主国らの支配から抜け出さんと、アジア・アフリカでは多くの独立運動が起こっている。

その勢い、及び各方面からの圧力に耐えかねた宗主国らが、一つまた一つと彼らを手放し始めた。強者の養分にされ辛酸をなめ続けてきた弱小国家が、果たしてついにその尊厳を取り戻すときがきたのだろうか。

無論そんな訳はなく、書類の上での独立は認めても、経済による支配、すなわち実質的支配の手綱が離されることは決してなかった。

情勢不安に付け込めと、世界各地からアウトロー共も集い続けた。彼らにとって、少額の金でどんな命令にも従う現地の貧民らは、とても都合の良い労働力であった。

未だ国土は侵され、民衆は四つ足で歩かされている。

入植地の空には月が煌々と照っている。



フランス領西アフリカの港湾都市、ハジャカーイ。西アフリカ沿岸部における有数の貿易港であり、几帳面に区画整理された中心部と、雑然とした周辺部から形成されている。

現在は、ここに拠点を置くマフィアの構成員、そして仕事を求めて渡ってきた元軍人・傭兵らによって町は占拠され、治安は悪く、国際犯罪の温床地と化している。



ハジャカーイで取り扱われる犯罪行為、その最たるものが密輸業である。

ハジャカーイにおける密輸の歴史は古く、奴隷貿易の時代から続いている。それ故、密輸船にも好意的に補給を行う商人や、精巧な偽書類を作成できる職人、賄賂に寛容な役人など、密輸を成立させ得る気風が、ここから欧米へと向かうそれぞれのルートには育っている。それは『伝統的犯罪海路』とでも呼ぶべきものであり、すなわちハジャカーイは密輸業者にとってのホットスポットなのだ。

であるからして、ここの利権を巡るマフィア間のいざこざが日常茶飯事であるのは、自然の摂理と言える。



近年のハジャカーイは違法薬物の輸出港の候補地としても注目を集めている。

重さによる単価では貴金属すら上回る違法薬物の売買は、マフィアにとってこれ以上ないほどのビッグビジネスではある。しかし法的ペナルティが重く、失敗した際のリスクを考慮すれば、うかつには手を出せない。

しかしハジャカーイならば、一大消費地である北アメリカへの比較的安全なルートがあり、また現地民を利用したアサやケシの巨大農園を近場に拵えることが可能である。

そのような、まさにうってつけと言える条件が揃っているにも関わらず、未だハジャカーイの港から違法薬物を載せた船が出航しないのには、二つの理由があった。

一つは、アジア・南米などに巨大な生産地帯が既に存在していること。

もう一つは、今のハジャカーイの実権を握っているアメリカマフィア、アルベルティーニ・ファミリーが薬物売買を忌避しているからである。





ハジャカーイにおける最大勢力、アルベルティーニ・ファミリー・西アフリカ支部。表向きはオリーブ油の輸入・販売を行う会社だが、その実態は本部と連携を取りながら貴金属や銃器の闇流通を扱う非合法団体である。

町の中心部の一画に、彼らはオフィス兼拠点を構えている。といっても、構成員に出勤の義務は課せられていないため、オフィスには一~二人の警護が常駐しているのみで、閑散としたものである。



「起きろジャップ。交代だ」

高いびきをかいていた五郎は、同僚に頭をはたかれて目を覚ました。

「……」

しばらくぼうっとした後、自分が昨晩からオフィスの警護についていたこと、その後すぐに眠くなり、そのままソファーで就寝してしまったことを思い出した。

同僚からの侮蔑の視線を受け、決まりが悪くなった五郎は、そそくさと部屋を出た。もっとも彼が警護の仕事を最後まで全うしたことがないのはファミリー内では周知であったので、その同僚も五郎に大した関心を寄せてはいなかったのだが。



五郎がロビーに降りると、見知った顔があった。男は壁に背を預け、紙巻煙草をふかしながら外を見ていた。

五郎が声をかける。

「今みたいな大事な時期に、大将が易々と出歩くもんじゃないぜ、フツー。それとも、そういうのがお前の言うところの『シシリー流』ってやつか?」

「……ん、あぁ」

視線を外にやったまま、男が返事をした。

「大丈夫だろ。ここ屋内だし。出歩いてはない」

「確かに出歩いてはないな。うん、その通りだ。だけど俺が言いたかったのはそういうことじゃあない」

「……」

「俺が言いたかったのは、つまり、ここに来るまでは出歩いてただろってことと、あとついでに言えば、ここが安全とは限らないってこと」

「……」

「なんたって、、、ここの警護は居眠りするからな!」

「……」

「…ずいぶん上の空だな」

「…まあな」

「聞こえてんなら返事しろや…」

男は手に持っていた灰皿に煙草をグシャグシャと押し付け、火を消した。

彼の名はルキーノ。アルベルティーニ・ファミリーの幹部であり、西アフリカ支部におけるボスでもある。

「…今夜の赤王幇との会合が上手くいかなきゃ、ハジャカーイは血の海に沈む。だが、奴らとの折衷案が見つかるとは到底思えん」

ルキーノがなぜか、クスリと笑った。

「明るくふるまえったって、無茶な話だぜ」

「ふーん…」

五郎が興味なさげに答えた。

「会合、今日だったのか…ていうかそんな予定あったのか」

「ああ。一部の、信のおける人間にしか伝えてなかったがな」

「俺は信用できんと?」

「仕事中に寝るような奴は、そうだな」

フン、と五郎が鼻を鳴らした。

「まあ、俺には関係ないな、うん。お前らに尽くす忠義なんてないから、ドンパチ始まったら、隙を見て退散させてもらうぜ」

そう言って、五郎はロビーを後にした。背中にルキーノの視線を感じてはいたが、彼が振り返ることはなかった。



外は既に蒸しかえるような暑さだったが、大西洋の湿気を乗せて吹いた潮風が、五郎の不快感をかすかに和らげてくれた。

首を持ち上げると、太陽が容赦なくこちらを照りつけていた。

アフリカの太陽は、いつになったら昇るのかねぇ。

五郎は独り言ちた。

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