殺人マシンと呪いの宝石

@makesshou

プロローグ

大西洋北東部には北大西洋海流と東グリーンランド海流がぶつかることで出来る巨大な潮目が在り、それにより豊かな漁場が形成されている。この漁場に今、百人を超えるスコットランド人を乗せたトロール船が一艘。冬になり旬を迎えたタラを狙い、目下操業中である。

アイスランド低気圧の影響で悪天候が多いこの季節の海だが、今は波が穏やかで、雲もなかった。鋼鉄の船体が陽の光を白く照り返す様は、まるで船が束の間の晴天を喜んでいるかのようだった。


この大型トロール船は一度沖に出ると、数ヶ月は港に戻らずに漁を行う。故に魚を腐らせず保存しておくための、加工や冷凍のための設備が船内に在る。

魚の加工のほとんどは機械が自動で行う設計になっているのだが、その機械がどうにもポンコツで、度々動かなくなる。しかし獲れ続ける魚を放置は出来ないため、機械が動かない間は、手の空いた乗組員総出で魚を捌き続けている。


さてこの船の加工場、その隅に、新米漁師のアランとクーガーはいた。今二人の前には横一直線のタラの行列が出来ており、彼らが命じられたのはそれらの内臓処理である。腹に包丁を差し込み、そこに手を突っ込んで、内臓を引き摺り出す。二人はこの作業を、昨晩に機械が止まってからというもの、ずっと続けていた。


「もしも」

霜焼けで赤く腫れた唇をもそもそと動かして、アランがクーガーに話しかけた。

「なんだって?」

「もしも引き揚げた網の中に宝箱が入っていたら」

タラの内臓を掻く手を休めず、アランが続けた。

「それで、もしその宝箱に財宝が詰まってたら、きっと僕は正気を失って、その財宝を独り占めしようとして、この船の奴らを皆殺しにしてしまうと思うんだ」

船が出港してから既に三週間が過ぎ、このような冗談を口にしてしまう程に、アランはトロール船での暮らしにうんざりしていた。


しみったれた田舎な地元を出て、都会でホワイトワーカーとなり、洒落た暮らしをする。それがアランの幼い頃からの夢であった。義務教育を終えた彼はその夢を叶えるべく、彼の全財産を鞄に詰め込み、家族の制止を振り切り、「為せば成る」の気持ち一つで上京を実行した。根拠はなかったが、どうにかなるという自信だけはあったのだ。

しかしその考えがどれだけ甘いものだったか、アランは思い知らされることになる。


まず初めに、ホワイトワーカーには学や才能や伝手が必要であり、それらを自分が一切持っていないということに気づかされた。なりたいという憧れだけでなれるわけではないというごくごく当然のことに、自分が気づいていなかったことを認識したとき、アランは自らの浅慮さを深く恥じずにはいられなかった。

都会の物価が予想よりも高く、出費がかさむので、生活費を切り詰めるために路地裏で寝ることもあった。しかし大きな鞄を抱えて無防備に寝ているアランは、盗みや脅しの恰好の獲物となり、何度も恐ろしい目に遭わされた。それは顔なじみばかりで治安の良かった地元では考えられないことであったので、彼はそのような非人道的な行いをする都会の人々が信用できなくなり、疑心暗鬼に陥った。

そして雇用先が見つからぬままついに軍資金が尽きると、それがとどめとなり、アランの心はポッキリ折れてしまった。

以上がわずか半年程でアランが帰郷するに至った経緯である。


夢破れて地元に逃げ帰ったアランに、厳しい態度を取りつつも、最後には受け入れてくれた家族。しかしその優しさにすら傷つく程に衰弱していた彼は、何もする気が起きず、ただ毎日を部屋で腐って過ごしていた。

そんな状態がしばらく続いたことで流石に痺れを切らした父親が、伝手を辿り、アランにとある仕事を紹介した。アランもまた、このままではいけないなどとぼんやり考えてはいたので、父親に従うことにした。その仕事こそが、トロール船の下っ端乗組員であった。


そんな軽い気持ちで始めたトロール船での暮らしは、アランの想像を絶するものであった。休憩時間は短く、作業場は凍え、船内はいつでもどこでも魚臭いのである。そして生来の要領の悪さから彼は他の乗組員から軽んじられ、時に理不尽な仕打ちを受けることもあった。

気づけば彼は、どのようにしてこの船から逃げようかと、そればかりを考えるようになっていた。もっともいくら考えたところで、海のただ中に浮かぶこの船から、途中で降りる術などあろうはずもないのだが。


「俺も殺す?」

「正気じゃないだろうから、もしかしたらね」

「そいつは困るな」

クーガーはアランの方を向いて言った。

「つまり俺が無事に航海を終えるには、宝箱の中身がパンパンに詰まったタラなんかである必要があるわけだ」

「これ以上捌かなきゃいけないタラの量が増えたら、僕はきっとそのストレスで正気を失うと思うね」

アランもクーガーの方を向いた。二人は目が合うと、堪えられない可笑しさが込み上げてきて、思わずクツクツと笑い合った。


クーガーはアランにとって、この船で唯一心を許せる人間である。出会いのきっかけは、配給された食事を先輩乗組員に脅し取られてしまったアランに、見かねたクーガーが食事を分けてくれたことだった。それ以降クーガーは、自分にまでいじめの矛先が向かない程度に、アランに気を配ってくれるようになった。

クーガーは根の優しい青年だが決して勇敢ではない。彼自身は無自覚だが、彼の親切の根底にあるのは、悪に立ち向かえない自分への不甲斐なさであり、つまりはそれを少しでも軽くするための贖罪的親切であった。

アランはそのことに感づいてはいたが、しかしそれについて言及するつもりは全くなく、盲目的にクーガーの施しを喜び、受け入れていた。なぜなら、この船でただ一人自分に好くしてくれるクーガーの真心、そこにほんの一片でも疑念を持つことは、すなわち自分が完全に心の寄る辺を失うことを意味していると、アランは悟っているからである。

つまるところ、二人の交友関係の原点がヒエラルキー下層によく見られる打算的なものであったという、そういう話である。


「マジな話さ」

言いながら、アランは再び手を動かし始めた。

「この航海を終えたら、僕はもう一度上京してみようと思うんだ」

「またホワイトワーカーとやらを目指すのか?」

「そのつもりだよ。ただ、上京してすぐにっていうのが無理なことは前回嫌ってほど学んだから、今度は何でもいいから、とりあえず仕事に就いてみるよ。それでまず、とにかく都会で暮らしていけるようになることを目指すんだ」

既にアランには、ゴム手袋の中にあるはずの自分の手、それの感覚がほとんどなかった。かすかに感じられるのは、ひびやあかぎれからくる痛みだけである。しかしアランは手を休めることなく、黙々とタラを捌き続ける。

「昔の自分の発想がどれだけ子供じみてたかっていうのが、最近になってようやくわかるようになったんだ。」

右手で尾を抑え、左手で腸の根元をちぎる。次に左手で鰓を持ち、右手で胃の当たりを掴んでグッと引っ張る。弾力のあるブチッとした感覚がして、食道の辺りがちぎれ、内臓が出てくる。

「当たり前だけどさ、好きなことだけしてなんて生きていけないよね。大人っていうのは、到達すべきただ一つの目標を掲げて、そのためにはどれだけ嫌なことでもこなしていく、そういうものなんだって、なんとなく思い始めたんだ」

手にした内臓を脇に除け、奥に残ってしまった心臓を掻き出す。

「だから今度の上京では、何でもやってみようって、そう決めたんだ。都会でいい職に就くっていう、目標のために」

アランの真剣な様子に感銘を受け、クーガーはこの時初めて、アランに対して敬意を抱いた。

「いい加減な気休めに聞こえるかもしれないけどさ、なんだか今のお前なら上手くいくような気がするよ」

「そんな風には思わないよ。むしろ、すごく励みになった」

「まあ、それにアレだ。ここの暮らしに比べたら、大抵の場所は天国みたいに感じるだろうからな。きっと今なら、都会の荒波も、小川のせせらぎくらいに思えるかもだぜ」

「違いないね━━ん?」


タラの腹の中で、何か固い感触がした。気になり、引き摺り出した内臓を観察してみると、胃が妙に膨らんでいた。貝でも丸呑みにしたのだろうと思いながらも、なぜだかそれの正体が気になり、仕方がなかった。

胃壁に指で穴を空け、内容物をほじくり出す。溶けてドロドロになった何匹かの小魚に紛れて、淡い紫色を湛えた宝石が出てきた。アランはそれを拾い上げ、電光にかざした。

アメジストのようなそれは、正面から見ると円形になる、ラウンドカットと呼ばれる形をしていた。薄暗い加工場においてもそれは高貴な輝きを失ってはおらず、アランは思わず我を忘れて、それを手の中で遊ばせ、眺め続けた。

しばらくして、宝石の中心に靄のような光を見つけた。そして気づいた。宝石の持つ輝きは電光の反射に依るのではない。その靄の発光に依るものだと。

その瞬間に知覚した。

目が合っていることを。


「どうした?」

突然会話を断った相方を不審に思い、クーガーはアランを見た。アランは宝石のようなものを掲げたまま固まっていた。

「なんだそれ?」

「……」

「宝石だよな、それ?お前そんなもの持ってきてたのか?」

「……」

「まあまあ大きいし、もしかしてけっこうな価値があるんじゃないか?」

「……クーガー」

「ん?」

「……僕は、何か……マズいものを見つけたらしい……」

「…言ってる意味がよくわ━━ぐぇ」

クーガーが轢かれたカエルのような悲鳴を上げた。


アランの右手がクーガーの腹部を貫いていた。


患部からはしばらく、鯨の潮吹きのようにビュッビュと血がしぶいていたが、やがて勢いをなくすと、今度はチロチロと服を伝い始めた。消化管内に血が溢れ、クーガーの口から血塊がこぼれた。

アランが強引に手を引き抜くと、辺りにクーガーの血と肉が飛び散った。クーガーはその場で千鳥足といった具合に、フラフラとステップを踏み、倒れた。

アランは薄れゆく意識の中、足元でピクピクと痙攣するクーガーを見て、タラみたいだ、などと心中で独り言ちた。そして、探さなきゃ、と思った。


外では、時化が近づいていた。

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