第5話 精霊戦

 洞窟の最奥。汚染された湖の中央に佇むのは人型の精霊だったもの。


 ――ケテ、助ケテ……。誰カ……

 ――ゴメン、ナサ、イ……。ゴメン……


 体に巣食う影が内側から侵食していく。助けて、と手を伸ばそうとしても動かない。このままでは水が穢れてしまう。否、すでに手遅れだ。何もできない。ただ、自分の聖域が穢れていくのを薄れる意識の中で見ていることしか出来ない。悔しい……。洞窟から穢れた水が流れる先にいる生命たちへ何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す。その声すら届かない。


 ――シテ……殺シテ……


 それを最後に精霊は意識を失った。





♦♦♦




 奥へとたどり着いたセシリヤは宙に浮く黒い物体に思わず「うわぁ……」と声を漏らした。その声に反応するように黒い物体はセシリヤの方を向く。辛うじて人型を形成しているそれが片腕を上げた刹那、汚染された水が球体となりセシリヤに向かって飛んできた。


 「わぁー⁉ いきなり何するのよ!」


 前転しながら避けたセシリヤが文句を言う。


 「文句を言う元気はあるのね……」


 状況は分からないまでも、セシリヤの声と揺れ具合からなんとなく察したティルラが苦笑を浮かべた。


 「って、地面が溶けてるんですけど⁉」


 紫色の煙を上げている個所は汚染された水が飛んできた所だ。抉れている。


 「えっと……これは毒ってことかな? さっきの枯れた植物といい、クリスタルといい……汚染は毒ってこと」


 冷静に分析している間にも球体は飛んでくる。セシリヤとピー助は左右に飛び、避けた。浄化云々の前に、敵の動きを封じなければ何もできない。そう判断したセシリヤは湖の周りを走り出す。反対側にいたピー助へ待機を命じてセシリヤは走りながら敵を見据えて詠唱を始めた。すぐに彼女の周りの気温が下がっていく。吐きだす息は白く、セシリヤの足元から氷柱が出来てくる。黒い精霊はセシリヤへ標準を定めて球体を放った。


 「アイス・エッジ!」


 セシリヤの周囲に氷の刃がいくつも形成され球体目がけて飛んでいく。刃が当たった直後から球体は凍っていき湖の上へと落下した。セシリヤの形成した氷の刃の数の方が勝っており、一部が精霊の体を掠めた。


 「⁉」


 掠めた個所が凍ったことに驚いた精霊がもう一度攻撃をしようと腕を挙げようとしたが、背後から氷の欠片が飛んできて動きを止めた。セシリヤもそちらへ顔を向けると、ピー助の色が白銀へと変わっていた。翼を広げて羽ばたけば、羽から氷の欠片が降り、キラキラと輝いて見えた。


 「グルルルルッ」


 精霊が低く唸りどちらへ照準を合わせようか迷っている隙にセシリヤは麻袋から入り口で採取したクリスタルを取り出した。


 「ピー助!」


 呼べば、ピー助は飛び上がりセシリヤの元へと向かう。その間にセシリヤはクリスタルへ冷気を送り送り込んだ。それを放り投げて「ピー助、クリスタルをそいつの頭上へ落として!」と言えば、理解力のあるピー助はクリスタルを掴んで精霊の頭上で離した。

 避けようとした精霊は動かない体にセシリヤの方を見た。

 セシリヤは最初の攻撃で湖にも氷の刃を落としており、そこからさらに氷結魔法で水面全体を凍らせた。ピー助に気を取られている間に氷は柱となり精霊を捉えて離さない。精霊の体に冷気をため込んだクリスタルが落とされると、瞬時にその体が凍った。


 「……と、とりあえず動きは止まった」


 ピィー、と鳴き声を上げながらピー助がセシリヤの前へと降り立った。未だに氷を纏うピー助にセシリヤは感心したように顔を近づけた。


 「魔力に応じて成長って……吸収する魔力に応じて能力も、姿も変わるってこと?」


 先ほどの戦闘でセシリヤの氷の魔力を吸収した影響でピー助の体も氷に対応できるようになったのだろう。パンディオンについての記述は少ない。師匠に読まされたどの本にも書かれていなかったことだ。興味深い。ピー助に触れると、冷気を纏う体は冷たかった。セシリヤの瞳が輝く。


 「これで学術論文を発表したら結構いい線いくのでは……?」


 「ねー」


 ぶつぶつ呟きながらセシリヤはふふふっ、と笑い出した。目の前ではピー助が嬉しそうに跳ねながらピィー、ピィーと鳴いている。


 「はっ! もしかして、他の属性もいける?」


 自分の世界に入り込みかけているセシリヤのポケットからティルラが何度も声を掛けるが、聞こえていないようだ。


 「ねーってば!」


 先ほどよりも大きな声を出してようやくセシリヤは気が付いた。


 「なによ、今考え事してて……」


 「その前に浄化しなくていいの?」


 「あ……」


 ティルラに言われてセシリヤは忘れていたと言わんばかりに氷漬けの精霊へ視線を送った。一部氷が溶け始めている。セシリヤはポケットに手を入れて魔石を取り出した。


 「ティルラ、どう? 浄化できそう?」


 「分からないけど、とりあえず魔力を吸収させて」


 分かった、とセシリヤは両手で魔石を持った。途端に淡い光が魔石から溢れてきた。魔力を吸収した魔石は輝きを増していく。


 「ねえ、これ割れたりしない?」


 不安を口にしたセシリヤにティルラは黙ったまま魔力を吸収し続けた。


 (これだけの魔力を吸収しているのに……セシリヤの魔力どうなってんの?)


 「ティルラ、まだ? 結構吸収してない?」


 「もう少し……」


 「ほんと……?」


 唇を尖らせるセシリヤに喋る元気は残っているのか、とティルラは彼女の魔力量に驚きつつも吸収する方に意識を集中させた。そうしている間にも氷は解け、汚染された水が一滴、一滴落ちてきた。


 「よしっ! いける」


 「へ⁉ ちょ、眩しっ」


 一層光が増してセシリヤは眩さに瞳を閉じた。ゆっくりと瞳を開くと、セシリヤの瞳にエメラルド色の長い髪が映った。魔石の中にいたティルラと同じ色。魔石へと視線を移せば、彼女の姿はなく、ただの石になっていた。


 「実体化したの……?」


 ポツリ、と零したセシリヤにティルラが顔だけ向けて柔らかく微笑んだ。


 「体は大丈夫?」


 魔石越しに聞いていた声音に間違いなく実体化したティルラなのだと分かる。セシリヤは一度だけ頷くと、相手は安堵したように「良かった」と呟くと再び正面を向いた。

 氷漬けにされている精霊の瞳から透明な雫が流れる。


 「……可哀想に。ここを護る水の精霊よ、苦しかったでしょう。今、解放します」


 暖かく、緩やかな風がティルラを中心に巻き起こった。両手を広げると、湖の中心に古代文字で書かれた魔法陣が浮かび上がり淡い光を放つ。溶けた氷と共に汚染されていた水が光に吸収されて砕けた氷の欠片のようにキラキラと光を反射しながら落ちて行った。

 中心にいた精霊は氷漬けから解放され、黒ではなく、透明な人型をしていた。


 「……さあ、もう大丈夫。浄化は終わったわ。ずっと耐えていたのね」


 ティルラの声に水の精霊はゆっくりと瞳を開いた。自分の手や湖を何度も確認して元に戻ったことをようやく実感できたのか、精霊は両手で顔を覆った。微かに肩が震えている。


 ピー助が心配そうに見上げて小さく鳴き声を上げたのを見てセシリヤは屈むとピー助の背中を優しく撫でた。


 「トウ……、ありが、とう……ございま、す」


 涙声で礼を述べる精霊にティルラは緩く首を振って精霊の元へ近づこうと意識を集中した。


 「……あれ?」


 「え……?」


 気持ちの上では精霊の元へ行こうとしているが、体が進むことはなく、それどころか吸い込まれるように魔石の中へと入ってしまった。

 顔を上げた精霊も突然のことに涙が引っ込んだようだ。唖然としていた。


 「魔力の使い過ぎで実体化が保てなくなったってところね」


 「冷静に分析ありがとう……」


 顎に指を添えたセシリヤが再び魔石の中に戻ったティルラを持ち上げながら静かな声音で言う。


 「あの……」


 二人の会話について行けない精霊が控えめに口を挟んだ。それに二人揃って反応して精霊を見る。


 「先ほどの浄化魔法はそちらの女神様のお力ですよね?」


 「ええ」


 肯定すると精霊は丁寧に頭を下げた。


 「汚染され、自我を失った私を止めてくださりまた、浄化までしていただきましてありがとうございます。私はこの地を任されております、水の精霊―アンディーンと申します」


 「水の精霊がどうして、と聞いても?」


 セシリヤの問いにアンディーンは困ったように眉を下げた。


 「お答えしたいのですが、詳しいことは分からないのです」

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