第3話 汚染
来た時とは違う道を歩いていたセシリヤは眉を寄せた。途中から植物が枯れている。パンディオンがいた洞窟周辺は緑が多かった。そこから数キロメートル離れたここから急に植物が枯れるなんてありえない。
(……水の音? 川が近くにあるのか)
セシリヤは急ぎ足で水音がする方へ向かった。
「パンディオン、地面は危ないから飛びなさい」
そう告げると、理解したパンディオンは羽をばたつかせると飛び上がった。音を頼りに進んだセシリヤは目を丸くした。透明なはずの水は紫色に染まり、魚の死骸が浮いて流れていた。そこを中心に植物が枯れている。時間の経過とともに枯れる範囲が広がっていると考えられる。少なくとも水が汚染されてから数週間は経っているとセシリヤは推察した。
(そう言えば、コランマールで妙な噂を耳にしたな……)
セシリヤは記憶を辿った。コランマールを訪れたセシリヤは宿屋を目指して歩いていた。そんな折、噂話が聞こえてきた。
『ねえ、最近フラバの森近辺で植物が枯れてるって噂、知ってる?』
『ああ。なんでも近くの川が汚染されてるとか』
『汚染?』
『詳しくは知らないけど、魚の死骸がうす紫色の水と共に流れてきたらしい』
コランマールから離れたフラバの森は奥に洞窟があり、そこから流れる清い水により植物が年中生えていた。貴重な薬草が手に入るのだが、距離があるため立ち入る者は少ない。さらに洞窟の最奥には水の精霊が住んでいると信じられていた。
『水の精霊様の怒りでも買ってしまったのかねぇ……』
老婆が悲し気な表情で天を仰いでいる横を通り過ぎてセシリヤは宿屋へ向かった。コランマールに五つある宿屋の中でセシリヤが選んだのはクエスト管理協会が勧める宿屋ランキング最下位の“モンタナ”だ。何故、そこを選んだのかと言えば理由は単純。ただなんとなく、だ。断じてお金に余裕がないわけではない。ランキング上位の宿屋は人が多く落ち着かないのが正直な意見だったりする。
モンタナを経営している女将のクルバに迎えられたセシリヤは荷物を二階部屋に置くと、一階の食堂に向かった。客の数も部屋数と比べると随分と少ないようだ。食堂に居るのは先客の男性一人とセシリヤのみだ。厨房から食事を運んできたクルバはテーブルに料理を並べながら満面の笑みを浮かべた。
『ここを選んでくれてありがとう。これはサービスだよ、たくさんお食べ』
注文していた鶏肉のシチューとパンの他に、サービスとしてソーセージの乗った皿が置かれた。皿とクルバを交互に見たセシリヤに彼女は笑みを向けたままだ。
『あの……どうして?』
『うちみたいな宿に泊まるお客さんはあんまりいなくてねえ……』
久しぶりで嬉しくてサービスしちまったよ、と声を上げて笑うクルバにセシリヤもつられて笑い、手を合わせた。
ソーセージをナイフで切り、一切れ口に運んだセシリヤは『美味しい……』と素直な感想を零す。
『女将さん、ここに来る前にフラバの森の話をチラッと聞いたのですが』
男性客が去ったテーブルを拭いていたクルバが手を止めて近づいてきた。
『ああ、聞いたのかい。私も詳しくは知らないんだけどね、最近あの森に向かった男たちが言っていたんだよ。今まで一度も枯れたことのない植物が枯れていたってね』
『精霊の怒りがどうとかって……』
『水の精霊様があの森の奥に住んでいるって昔から信じられていた噂さ』
見た者はいないんだけどね、とクルバは声を上げて笑った。
『今のところはこの街には影響はないが、いずれここにも精霊様の怒りが来るのかねぇ』
そう言ってクルバは厨房の方へ去って行った。
(精霊の怒り……ねえ……)
セシリヤはパンを齧りながら窓の外へ視線を向けた。
♦♦♦
コランマールの人々とクルバの言葉を思い出したセシリヤは汚染された川を見つめながら「精霊の怒り……か」と小さく零した。
「精霊の怒りと言うにはあまりに禍々しい気配よ、それ」
ティルラがポケットの中から口を挟んだ。
「精霊がいるのなら、その本体になにかあったと考えるべきね」
「何かって?」
問うが、ティルラは「さあ?」と返すだけだ。汚染された水だけでは分からない。それこそ本体と対峙しない限りは分からないままなのだろう。最悪、精霊との戦闘になるかもしれない。
「とりあえず、この場に留まることはおすすめしないわよ。人間には毒だわ」
「分かった」
素直に応じたセシリヤはパンディオンを呼んで川から離れた。植物が枯れていた位置から数キロメートル離れたところでセシリヤは途中で野宿をすることにした。食事はクルバから貰ったパンと、鶏のささ身を燻製にしたもの。
食事を済ませると焚火の近くに腰かけた。パンディオンとの戦いで消耗した魔力も回復している。そもそも、ティルラが吸収しなければ帰りは飛行魔法で帰る予定だったのだが……。
(まあ、おかげでフラバの森をスルーしなくて済んだんだけどさ)
セシリヤの膝の上ではパンディオンが眠っている。暗褐色の羽を撫でながらセシリヤは隣に置いたティルラへ声を掛けた。
「そういえば、ティルラは何の女神なの?」
「敬う気がゼロ……。まあいいわ。よくぞ聞いてくれました!」
ふふん、と鼻を鳴らしながらティルラが胸を張る。が、セシリヤはパンディオンを見ており彼女の方を見ていない。
「……」
「え、なに?」
無言になったティルラに気付いたセシリヤがどうしたの? と魔石を覗き込みながら言う。「別に」と返しながらも声音は不機嫌そうだ。深く溜息を吐きながらもティルラは話しはじめた。
女神ティルラ。大陸ルシヨットを守護する四代女神の一柱だった。女神たちは自分の統括する土地にて人々を見守り続けていた。それとは別に彼女たちにはもう一つの役割がある。それは魔族たちから人間の土地を護ること。数百年前に起こった魔族との戦争でティルラは多くの敵を殲滅したが、隙をつかれて一人の魔族によって魔石に封じられた。
「封じられてからは記憶がなくて、目が覚めたのはあなたの魔力を吸収してからよ」
「じゃあ、どれくらい時間が経過していたのかも分からないの?」
セシリヤの問いにティルラが頷く。
「……魔石に封じられる前の記憶は?」
「え?」
ポツリ、と零された言葉をティルラが聞き返すが、セシリヤはなんでもないと言いながら首を左右に振ると焚火を見つめた。
「封じられる前の記憶は曖昧……かな? 大事な事を忘れている気がするんだけど、思い出せない所もある」
「……そっか」
パンディオンを撫でながら零すセシリヤをティルラは見上げた。記憶を辿ろうにも、靄に邪魔をされているようで探れない。彼女は自分の事を知らないと言ったが、何かを知っているのかもしれない。問うたところで答えてはくれないだろう。いずれにしても、魔石から元の姿に戻ることが出来れば分かることだ。
「さーて。そろそろ寝ようかな」
伸びをしながら言うセシリヤの声に反応したパンディオンが彼女の膝から降りた。翼を広げてピィー、と鳴くパンディオンはフンス、と鼻を鳴らす勢いで見上げてきた。
「見張りをしてくれるの?」
セシリヤの問いにパンディオンがもう一度鳴いた。眠っている間の見張りをするつもりらしい。可愛らしい申し出にセシリヤは「よろしく」と微笑んだ。
「私も睡眠は不要だから見張りくらいはしてあげるわ」
自信満々に言うティルラをセシリヤが何とも言えない表情で見つめる。
「な、なによ! 魔石には封じられたままでも一応魔法は使えるのよ?」
「……その魔力の源は?」
「……」
ジト目で見つめられたティルラが視線を逸らす。もちろん魔力源はセシリヤの魔力以外にない。
「まあいいわ。私は寝るから、何かあれば起こしてね。二人とも」
そう告げるとセシリヤは横になった。すぐに寝息が聞こえてきてティルラは小さく笑うと「おやすみなさい。セシリヤ」と優しい声音で呟いた。
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