第2話 女神ーティルラ
薄暗い部屋に二人の影。一人は女性、もう一人は男性だ。
「……あら。ふふっ、そう……魔石を砕いた人間がいるのね」
面白い、と女性がコロコロと鈴を転がしたように笑う。
「魔石って、君が魔鳥へ施したやつか?」
男の問いに「ええ。そうよ」と女性は艶のある唇を動かした。長い髪を白く細い指先で梳きながら窓の外へ視線を向ける。
「少しだけ興味が湧いたわ……あの子の次に、ね」
そう零すと女性は双眸を細めた。
♦♦♦
ティルラと名乗る女性は魔石の中で胸を張っていた。
「……女神ティルラって誰?」
セシリヤが真顔で問う。
「え……?」
胸を張ったまま固まったティルラが壊れた機械人形のようにぎこちない動きでセシリヤを見上げて「ウソでしょ……」と小さく呟いた。信じられないものを見た、と言わんばかりの表情にセシリヤは首を傾ける。
「知らないものは知らないんだから、仕方ないでしょ?」
ため息混じりに言うセシリヤにティルラの肩が揺れる。小刻みに震える相手にセシリヤが言葉を探す。けれど、適当な言葉が見つからず口を閉ざした。
「……、るわよ……」
「なんて?」
小さく呟かれた言葉を聞き返すセシリヤに向かってティルラが顔を上げるとエメラルド色の瞳がセシリヤを捉えた。彼女は大きく息を吸うと「分かるまで教えてあげるからそこに座りなさい!」と大声で怒鳴った。
「……っ」
耳をつんざくような声にセシリヤは片耳を抑えた。
(うるさ……)
「今、うるさいって思ったでしょ⁉」
「……思ってない。思ってないです」
涙目で見上げてくるティルラにセシリヤは視線を逸らしながら返す。正直に言うとうるさいと思ったし、面倒くさそうなのでこのまま置いて宿に帰ろうかなとセシリヤは考えていた。クエスト管理協会へ討伐完了の報告を済ませたいし、一応師匠にも連絡しておきたい。セシリヤの考えなど知る由もないティルラは「いい? 私は女神ティルラ」と自己紹介を始めており、長くなる予感しかしない。
「あの」
口を挟むセシリヤにティルラの眉が上がる。
「そろそろ宿に戻りたいのでこれで失礼しま……」
「待って! お願い待って!」
魔石を地面へ置き、去ろうとするセシリヤをティルラが止める。声が必死だ。
「お願い、私をここから連れて行ってください!」
数分前までの態度とは打って変わり、低姿勢の自称女神にセシリヤは足を止めた。ティルラの表情が明るくなる。
「今まで私はただの魔石だったんだけど、あなたの魔力で話せるまでに回復したの」
(……勝手に人の魔力を吸収したんですけどね?)
セシリヤは喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。とりあえず続きを聞いてみよう、と静かにティルラの次の言葉を待った。
「あなたなら私を元に戻せるかもしれない! お願い、私をあなたの旅に同行させて!」
(えぇ……。面倒くさそうだから断りたいんだけど)
顔に出ていたのだろう、ティルラが畳みかける。
「私を元に戻せたらあなたの願いを叶えるから」
「願いを……?」
“願い”と言う単語に反応を見せたセシリヤにティルラが何度も頷く。人間の望みであれば女神に叶えられないものはない、と考えているのだろう。実際、そうなのかもしれない。
少し思案する様子を見せたセシリヤは口を開いた。
「でも、あなたが本物の女神だという確証はまだないから、確証が持てたら協力させて頂きます。というのはダメ?」
彼女が本物の女神だとは限らない。魔石に封じられた女神がいるという伝承は記憶にない。ティルラの言葉を鵜呑みにするには情報が少なすぎる。仮に彼女が女神ではなく、魔族であれば元に戻した瞬間、取り返しのつかない事態になりかねない。
ティルラの反応を待った。彼女は「ダメじゃない」と首を横に振る。
「そもそも私に選択権はないでしょ。私は自由に動けないんだし」
そう言ってティルラは苦笑した。つられてセシリヤも「それもそうか」と苦笑を見せて地面に置いた魔石を拾い上げた。とりあえずはティルラが封じられている魔石を持ち帰ることに決めたようだ。
ピィー、と背後から鳴き声が聞こえてセシリヤはそちらを向いた。目を覚ましたパンディオンが躰を起こしてセシリヤを見つめている。近づいて膝を折ったセシリヤを黄金色の瞳が映す。
「お前は今から自由だよ。もう捕まらないようにね」
微笑んで立ち上がったセシリヤの裾をパンディオンの嘴が挟んだ。
「……」
無言で見下ろすと、相手も何か言いたげな瞳で見返してくる。嘴を離して暗褐色の翼を広げたパンディオンはピィー、と鳴き声を上げながらセシリヤの足元で何かを訴えるようにぴょんぴょんと跳ねた。
鳴き声は理解できなくとも、パンディオンが何を言いたいのかは察しがつかないほど鈍くはない。もう一度膝を折り、パンディオンとの距離を縮めたセシリヤは苦笑を向けた。
「なに? あなたも一緒に行きたいの?」
問えば、パンディオンは肯定するように鳴いた。心なしか、嬉しそうに見えるのは都合のいい錯覚なのだろうか。セシリヤは手を伸ばした。その先はパンディオンの白い頭頂部。控えめに指先で撫でれば気持ちよさそうに双眸を閉じた。
「仕方ないなー。じゃあ、おいで」
「私の時と比べてずいぶんと態度、違くない?」
ねーねー、とポケットからティルラの不満そうな声が聞こえる。それを無視してセシリヤは立ち上がった。出口へ歩き出せば、パンディオンが後ろを付いてくる。雛鳥のようだ、と小さく笑ったセシリヤは一番近い街へ向けて出発した。
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