狩り

 蛭子発見の通信を受けて、卒塔婆沙魚は経験の浅い浮子よりも早く、左右の校舎を繋ぐ中央棟にむかって走り出た。

 現場の状況判断のスピードは知識だけでは賄えない。先輩の振る舞いに感心し、後を追おうとすると、卒塔婆は瞬く間に立ち止まり振り返った。

 浮子は彼女より背が低いのに、正面を向いても鼻筋までしか顔が見えない。班員たちはそれでも表情がわかるというが、目深くかぶったフードの奥の表情を掴むには、彼女と過ごす時間が足りない。

「何か気になるものでもありましたか?」

「内形。図書室にはどうやっていけばいい?」

 なるほど迷子か……。意外な問いに浮子は卒塔婆への評価を保留することにした。

 三郷小学校の校舎4つの教室棟とそれを繋ぐ中央棟により構成されており、上空からみるとH型をしている。学校側の説明によると、開校当時に比べて生徒が半減したため、校舎の使用部分を限定して管理しているという。

 校舎の使用部分は学期ごとのカリキュラムや生徒数の増減に合わせて頻繁に見直されている。そのため、廊下には教室を示す一切の表記がない。廊下から室内を伺うには出入口の引き戸につけられた小さなスリット状の硝子を覗くしかないため、自分がどこにいるかはわかっても目的地が何処か当たりをつけるのが難しい。

「中央棟正面入口を下と見た時に、右上3階の教室棟にあります」

「それって、この上?」

「いいえ、ここは1年生の教室が並ぶエリアなので左下1階です。対角線上、最も遠い棟が目的地です。中央棟を通り過ぎて、突き当りで3階に上がるのがわかりやすいと思います」

「正面玄関は集団下校中の生徒と鉢合わせるかもしれない」

「それはどうでしょうか。さっき出たのが3グループ目ですから、残っているのは窓の向こうの1階にいる6年生と2年生だけです。教室を回っている三言班には、笹崎主任か後藤田先輩が連絡を入れていると思います。三言班なら教室に生徒を留めると思いますよ」

「それでも、子供たちを巻き込む必要はない。上は誰もいないんだろう」

「そうですね。この棟の2階教室は全て封鎖されていて使われていません」

 卒塔婆は頷くと迷いなく中央棟とは反対側、教室棟突当りの階段に向かう。彼女を追って2階へ続く階段に差し掛かると、通信機に馴染みのあるノイズが走った。

「先輩、止まって」

 踊り場で足を止めた卒塔婆が、階段の先、2階の廊下を見る。

「観測器がノイズを拾っています。たぶん2階廊下。この先です」

「拾っているのは私たちの装備のノイズではなくて?」

「観測器が拾うのは異界の気配だけです。手持ちに該当する装備はありません」

 踊り場まで上がり、卒塔婆の隣に立つとノイズとは別に子供の声が聞こえた。

「これもノイズの一種?」

 卒塔婆の問いに浮子は首を振る。卒塔婆の通信機は観測器のノイズを拾う設定にしていない。彼女にも聞こえているなら、異界の気配ではなく現実の音だ。

「私たちが3階から下りた時は誰もいなかったよね?」

 フード越しに確認を求める卒塔婆に浮子は小さく頷いた。

「僕たちは1階に降りてから空き教室を二つ確認しています。1教室5分程度と見て、10分。状況が変わっていてもおかしくはありません」

「でも、2階に用がある生徒や教員はいない」

 学校の説明が正しければ、封鎖された教室は数か月使用されていない。卒塔婆が腰の狩猟刀を手にかけたのに続き、浮子はバックパックから小型ドローンを取り出した。煙草の箱程度の大きさは頼りないが、起動すれば浮子を守る武器となる。


 声の主は、浮子たちがいる棟の端と中央棟との交差点であるホールの丁度中間あたりにいた。群青色のトレーナーを着た小柄な少女。おそらく130センチメートルあるかないか3年生から4年生だろうか。

「私はハズレなんて引いていない。ウシダガヒいたんダ」

 浮子たちに背を向けた少女は、周囲に何かを訴えているが、浮子の目には少女以外の影は映らない。ノイズからすると、少女のいる辺りに異界の気配が残っている。

 先を歩く卒塔婆が浮子を手で制し、フード越しに合図をする。

「そこの君。どうかしたのかい?」

 浮子が声をかけると、少女は身体を強張らせて立ち止まった。声は聞こえているようだが、こちらを振り向こうとはしないのが気になる。

「僕は回遊会の内形浮子です。先生たちに依頼を受けて、皆さんの集団下校を手伝っています。君は、何年何組の生徒ですか?」

 少女までおおよそ10歩。卒塔婆は距離を詰めることを良しとしない。

「同じく回遊会の卒塔婆沙魚だ。君にいくつか質問をしたい。答えられるか?」

 少女は廊下を見回すことを止めたが、代わりに一切の動きを止めた。

「振り向かなくてもよいし、声を出さなくても良い。足を1回。ダメなら2回」

 卒塔婆はそう言って、その場で1回足を鳴らすと、少女が小さく1回足を鳴らす。

「今日の授業は終わりだ。みんな帰り始めている。君の友達も帰ったんじゃないか」

 2回。

「そうか。何組の子かわかるか?」

 1回。

「3年」2回。「4年」1回、「1組」2回、「2組」2回、「3組」2回、「4組」2回。

 卒塔婆は質問を止めて振り返った。フード越しでも彼女の困惑がわかる。

「5組」

 少女は足を1度だけ鳴らす。


 浮子は校舎の見取図を思い浮かべる。三郷小学校の4年生は浮子たちのいる教室棟の4階に固まっている。クラス編成は4組だ。


「それじゃあ、教室まで迎えに行こう。今そっちに行く」

 1回。続いて、2回。

 少女の足音の直後、通信機がノイズの代わりに小刻みなタップ音を拾った。

 続いて、廊下中に大量の足音が響き渡り、浮子は思わず両耳を塞いだ。数十人、いや数え切れないほどの誰かが周囲で勢いよく足を鳴らしている。

 卒塔婆も同様に耳を塞ぎ、身を屈めているが、少女は耳を塞ぐことなく振り返り、浮子たちを見た。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 少女の声は足音にかき消されて何も聞こえなかった。耳を押さえ身を屈めている浮子たちを前に、少女の顔から血の気が引いていく。

 何かに気付いた? だがそこから先が分からない。音が邪魔で思考が妨げられる。

 浮子は反射的に視界の端に映ったドローンに手を伸ばし、小さく2回箱を叩いた。簡易起動。あらかじめ登録したプログラムに沿って、ドローンが2基のプロペラを展開し宙に浮く。

 浮子と卒塔婆を囲むように旋回すると、床に転がった残り2機のドローンも小さく揺れ、プロペラを出す。瞬く間に浮き上がった3機のドローンが互いに進路を避けながら旋回し、プロペラが空気を裂く。

 相変わらず足音はうるさいが、プロペラの音が混ざることでどうにか耐えられる。

「先輩、大丈夫ですか?」

 足音にかき消されて声は届かない。返答の代わりに卒塔婆が左手で合図を出した。

・探せ

・音

・子供

 周囲を確認すると、少女が中央棟に向かっているのが見えた。音に手間取ったのは1分にも満たないのに少女は中央棟と交差するホールに差し掛かろうとしていた。やはり、彼女には何かが見えている、あるいは、この音の正体を知っているのだろう。

 周囲を裂くようにドローンの動きを変えてみても状況は変わらない。足音が始まったのは、卒塔婆が4年5組の友達を探しに行くと声をかけた時点だ。

 足音の主は少女の傍にいて、卒塔婆の意図に気づいた。そして、少女と浮子たちを引き放そうと足音を立てることにした。

 浮子は右手首につけたドローンのコントローラーを数回たたく。旋回していたドローンが1機、軌道を変え、少女の後を追って加速する。

 ドン、ドン。

 ひと際大きな足音がして、廊下を疾走するドローンが上下に揺れた。何もなかった中空が裂けてドローンに向かって白い腕が伸びる。しかし、ドローンは腕の接近に合わせて回転し、その指をプロペラで切り落とした。

 遠心力で指が地面と天井に叩きつけられ、白い液体が周囲に散る。足音が弱まり、代わりに子どもが呻くような声が響いた。

 浮子の操作に従って、ドローンは中空に現れた腕をプロペラで裂いていく。うめき声が大きくなるにつれて足音は薄れ、プロペラが肘まで到達すると、腕は力なく床に転がり落ちた。血の代わりに噴き出た白い液体がゆっくりと廊下に広がっていく。

「助かった。内形」

 頭を振りながら卒塔婆が立ち上がる。右手に狩猟刀を構えてはいるが、廊下に落ちた腕以外にそれを振るうべき相手の姿は見えない。

「今のは何だったんだ」

 突然現れた腕が人間のものではないこと以外、何らの検討もつかなかった。ただ、足音が収まっても廊下には妙な気配が漂っている。少女がホールに差し掛かっているのになお、浮子と卒塔婆はその場を動けなかった。

「ノイズは観測しているか」

「はい。発生源はここです」


――へぇ。そうやって私たちを探しているんだ。


 通信機越しに聞こえた声に、浮子は動きを止めた。


――聞こえたでしょ。


 何かが右耳を撫で通信機を外した。そのまま浮子の後方へと通信機を持ち去る。


「先輩、今」

 卒塔婆にかけようとした声が震えた。振り返ると、旋回するドローンの先に、浮子の通信機を持った子供が立っていた。先ほどの少女よりも少し背が高く、紺色のブレザーと黒い革靴が印象的だ。


「お兄さん、回遊会の人なんでしょう」


 通信機越しではない声が響き、背後で卒塔婆が息を呑んだのがわかった。今まで廊下に人の気配はなかったのに、少女は前からそこにいたかのように自然に立ち、浮子の通信機を掌で転がしている。

「どこから現れた」

「初めからここにいたよ」

 卒塔婆の質問に間髪入れず少女が答えると、卒塔婆はすかさず少女に銛を撃ちこんだ。しかし、銛は突然現れた身体に突き刺さり、少女までは到達しない。身体には四肢がなく、銛が刺さった腹部からはうめき声と一緒に白い液体が流れ落ちる。

「怖いね、おとなが言った通りだったよ。回遊会は悪い人たちの集まりなんだね」

 突然現れた身体の陰から顔を覗かせた少女は、浮子と卒塔婆をみて小さく震えた。

「仕方ないよね。ハズレを引いたら全部の責任を負わなきゃいけない。そういう決まりなんだから。でも、回遊会は怖いね。みんな、あのフードの人に殺されちゃうね」

 浮子たちではなく、宙に浮いた身体にむかって話しかける。意味は分からなかったが、まるで人間のように言葉を使う。

「私はいいの。だって、ハズレを引いてないんだもの。そうよ、みんなハズレを引いた子が引き受けるの。皆でそう決めたでしょ。忘れたの?」

 皆で決めた。少女の言葉を合図に、廊下のあちらこちらに真っ白い裸体が現れた。首がなく両腕で頭部を探したり、身体を抱えている。どの裸体も総じて少女かそれより少しだけ大きい子どもの身体だ。

「ほら、みんな。頑張らないと、回遊会の人たちに殺されちゃうよ。ノト君はハズレを引いた子を許さない、忘れちゃった?」

 ノト。少女がその名前を出すと、裸体は全員震え、そして動きを止めて浮子と卒塔婆に向き直る。少女は口元に手を当てて笑うと、浮子らに小さく手を振った。

「みんな、ハズレは嫌なんだって。悪いのはチイコちゃんだけど、ハズレを引いた時にいたのはお兄さんたちだから、頑張ってね」

 少女が銛が刺さった身体の陰に隠れると、身体は床に崩れ落ちる。少女の姿はどこにもなく、廊下に残るのは浮子らを囲む子どもの裸体の群れだけだ。


「内形。さっきの子どもが言っていたこと理解できたか?」

「全然。けれども、あんなにはっきり話す個体は見たことがありません」

 それに、通信機を奪われたときも何をされたのか全く分からなかった。

「そこまで落ち着いていれば上出来。ホールに向かった少女は後藤田に任せよう」

「でも、これって」

「迷っても状況は変わらない。。まずは目の前の蛭子を駆除する」

 卒塔婆は狩猟刀を構えた上体を低くし、裸体の接近に備えた。

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