ハズレ棒の交換方法

 屋上から戻ると4年生の廊下は静かになっていた。廊下のはじっこ、1組の教室をのぞいても誰もいなかった。集団下校が始まったのかもしれない。

 2組も確かめるのが怖くて、私はそのまま3組まで走った。私の足音だけがパタパタとひびく。教室から先生が出てきて、「笠原、廊下を走るな」と注意してほしかったけど、先生の私を叱る声よりもはやく3組に着いてしまう。教室のドアを触る右手はふるえていて、胸が苦しくなった。

 誰もいなかったらどうしよう。

 みんながいてもどうしよう。おしゃまでカン違いのチイコがまたおかしくなった。そうやって笑われるかもしれない。カン違いチイコの歌が始まらないって誰か約束してくれるだろうか。

 それでも廊下に立ったままでは始まらない。私は深呼吸をしてドアを開ける。

「なんで誰もいないの」

 25人分の机だけが並ぶ教室。黒板には紙がたくさん貼られていて、コエズミの字で集団下校の注意と書いてある。貼られているのは班分けの紙だ。4年生は帰る方向に合わせてクラス混合で下校するらしく他のクラスの子の名前も書いてある。1組が誰もいなかったのはこのせいだ。

「牛田、いないじゃん」

 班分けの紙には牛田の名前もトシの名前もない。休みの生徒の名前は乗せていないのだ。やっぱりあれは悪い夢。そう思うと肩の力が抜ける。でも、振り返ったらさっきと同じように牛田が席に座っているかもしれない。目を閉じたら牛田の笑顔が見えた気がして、私は飛びのくようにして後ろを振り返った。

 真ん中の列の後ろから二番目の私の席。席の上には3時間目に使う予定だった教科書が置かれたまま。他のみんなの机は片付いているから、私だけ片付けができない悪い子みたいだ。私の後ろの席も何も乗っていないし、牛田もいない。

 やっぱり夢なんだ。

 それはそうと、集団下校できなかった人はどうすればいいんだろう。貼り紙をもう少し読むと、下校のタイミングが合わなかった人の注意書きがあった。

――集団下校で帰れない人は職員室に来ること。先生たちが家まで送ります。

 集団下校ができない理由、そんなものは小学4年生の生活にはない。だから、これは私みたいに教室にいなかった子へのメッセージだ。他に誰かいるといいな。

 教科書をかばんにつめて、机の上を片付ける。その間も廊下を歩く音はしない。コエズミも他の先生も教室にこない。今が何時か知りたかったけれど、教室の時計は短い針も長い針もずっとくるくる回転している。

 とにかく職員室にいけばいいんだ。他のことは考えないようにしよう。かばんをもって、何度も深呼吸をして、私はひとりぼっちの教室から廊下に出た。ドアを開けるとき、何か大切なことを忘れている気がしたけれど思い出すことはやめた。

 

「あれ、チイコちゃん。どうしたの?」


 廊下に出たら教室の前を歩くゆうゆがいて、私は小さく悲鳴を上げた。誰かが歩くような足音はしなかったのに。

 私の声にゆうゆも驚いたみたいで、その場で2、3歩、足踏みをして靴を鳴らした。ゆうゆがいつも履いている大人の革靴みたいな靴の音が廊下に響いた。

 ゆうゆは、いつもと同じ紺のスーツみたいな服を着て、いつもと同じように首を少し横に傾けて私の顔を見る。悔しいけれど、私よりも何倍もかわいい。

「ゆうゆちゃんこそ。もうみんな集団下校しちゃったでしょ」

 しゅうだんげこう。しゅうだんげこう。

 ゆうゆは、私の口調を真似て、天井を見て、そしてその場で何回かくるくると回りながら、しゅうだんげこうと繰り返す。あごに人差し指を当てる様子はかわいらしかった。けれど、なんだか怖い。

「あ、そうか、集団下校……そうだね、もう誰も教室にはいないみたい」

 回るのを止めて向き直ったゆうゆは何もなかったみたいに話を続ける。困ったなぁと身体を左右に小さく揺らす様子はいつもと何も変わらない。

「チイコちゃんも、集団下校に遅れちゃった?」

「……そうだと思う。1組も2組も誰もいないよ」

 そういえば、ゆうゆは何組だっけ。ユータのおさななじみと言われて友達になったけれど、会うのはボランティア活動か屋上で集まるときがほとんどだ。それ以外で用があると、ゆうゆが教室に呼びに来る。私はゆうゆの教室に行ったことがない。

「そっか。5組も誰もいなくってね」

 私は、ゆうゆの口からクラスの話が出たことになぜかとても安心した。だから、そのまま聞きたかったことを口にしてしまう。

「ゆうゆちゃんは何で集団下校に遅れちゃったの?」

 ゆうゆの顔がほんの少しだけ白くなる。

「ん。調子崩しちゃって、保健室で休んでたんだ」

「体調わるいの。大丈夫?」

「大丈夫だよ。優しいね、チイコちゃん。あ、そういえば、チイコちゃんは保健室の場所を知ってる?」

「え? 職員室の前でしょ」

「そうそう。それなのに、溝島先生は図書室の横だって言うんだよ。いつも職員室の前にあるじゃないですかって何回話しても、図書室の横だって言うから行ってみたら保健室って部屋に書いてあったの。でもドアには鍵がかかっていてさ。生徒をからかうなんてどうかしてるよね」

 なに? その話。

 ゆうゆは、そのあと、職員室の向かいにある保健室にたどり着いて、少し寝ていたと話している。でも、私はゆうゆの話をほとんど聞けなかった。

「ゆうゆちゃん、溝島先生って?」

「ほら、髪が長くて背が低めで、なんとなく男の先生か女の先生かわかんない」

 溝島先生の見た目は私も知っている。けれど、知っているから足が震えた。

「西岡先生じゃなくて?」

「西岡先生にもあったよ、保健室にいたし」

 後ろの席に座っていた牛田、花だんで手を食べていた牛田。考えないようにしていたことを思い出してしまう。

 溝島先生は保健の先生だった。1年生のときにはたまに具合が悪くなって保健室で休んでいたから覚えている。でも、先生は2年生のときに、イッシンジョウノツゴウで学校を辞めて西岡先生が保健の先生になった。保健室の場所が職員室の前になったのもその時だ。

 西岡先生はなんだか女子を見る目がイヤラシイので、3年生からは保健室に行かないように体調に気を付けている。溝島先生のイッシンジョウノツゴウが何だったのかはわからないけれど、3年生の時コエズミが教頭と、溝島先生のオツヤの話をしていたのを聞いたことがある。

 溝島先生がいたときの保健室は、何か別の教室になって生徒は入れなくなったはずだった。場所は、確か……図書室の横だ。

「なんだか顔が白いよ、チイコちゃん。調子悪いの?」

 気が付けばゆうゆが目の前にいて私は息を呑んだ。ゆうゆの方が背が高いから、私はまるでお姉さんに抱きしめられる妹みたいだ。

「大丈夫? チイコちゃんも保健室……あ、でも職員室に行かなきゃなんだっけ」

 ゆうゆの顔は少し白いけれど、きっと私の方がよっぽどひどい顔をしている。けれど、溝島先生の話をしてしまったら。ゆうゆが怖い話に強いか私は知らない。

「あのさ、ゆうゆちゃん、今日、牛田見た?」

 だから、話を変えようと思った。けれども、口からでたのはもっと怖い質問だった。私は、目をぱちくりとさせているゆうゆを見て固まるしかなかった。

「会ってないよ。チイコちゃんのハズレ棒、ちゃんと効いてるね」

 ゆうゆがにこりと笑う。ハズレ棒。そうだ、牛田はハズレ棒を引いて。

「そういえばさ、ゆうゆちゃんはあのハズレ棒見たの?」

 彼女は首を横に振る。

「袋の中身は見えないよ。それに、ハズレも当たりも、アイスの中に入っているから結局食べないと確認できないでしょ」

「でも、ハズレ棒のアイスだって」

「そうだよ。私、ハズレ棒を当てるのは得意なんだ」

 前も聞いた。それに本当に聞きたい話はそこじゃない。

「ああ。そういうこと。私は袋の外から触っただけだから、ハズレ棒の効果はないよ。ハズレを引いたのは牛田君。だから、まだ学校に来ていない」

 そう思いたい。でも、ゆうゆが溝島先生と話したなら、牛田がいてもおかしくないんじゃないか。その考えが頭から離れなかった。

「急にどうしたの。チイコちゃん。一緒に職員室にいって先生たちに送ってもらわなきゃ。それとも何か気になることがあるの?」

「……ハズレ棒ってさ、袋を開けてからは触っちゃだめなんだよね」

「私は引いたことがないからわからないよ。でも、チイコちゃんがそう思うなら、触らないほうがいいんじゃないかな。

 どうしてかゆうゆの顔がわからない。さっきまではっきりと見えていたのに、目の前の女子がゆうゆだという自信がなくなっていく。彼女が何かを話しているけれど聞き取れない。代わりに思い出すのは、穴に落ちていく牛田と、後ろの席でハズレ棒を私に握らせた牛田のことだ。

 私は、さっき、牛田からハズレ棒を手渡された。それは本当に夢? 

「ゆうゆちゃん」

「ハズレはね。当たりよりも厳格なの。引いた人は必ず責任を負う。そうしないと、誰も交換しないからね」

 彼女が私を抱きしめる。私はどうすることもできないまま、彼女の顔を見つめていた。顔……たぶん顔だと思う。

「チイコちゃん、牛田君からハズレ棒渡されたんでしょ? 私、誰がハズレを持っているかもわかるのよ」

 彼女は私の体がきゅっと固まったのを感じ取って、耳元でクスクスと笑った。

「ハズレはね、当たりの人の責任を全部背負わなきゃいけないのよ。当たりのせいで捨ててきたもの全部が、ハズレに集まってくるんだって。そうしないと、当たりを押し付けられたお店がつぶれちゃうでしょ?」

 ハズレ、責任。彼女の声だけが頭の中でぐるぐると渦を巻く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る