鹿場音色の視界

 海外ドラマの一挙放送を見ながら自家製の燻製を食べていたら朝陽が差し込んできた。非番とはいえ徹夜はよくなかったな。小さな反省を胸に布団に潜り込んだのに、数時間も経たずに携帯が上司からの呼び出しを告げた。

 非番の日に来る仕事の連絡ほど憂鬱なものはない。寝不足の日には特に。鹿場は、寝ぼけ眼をこすりながら、上司である笹崎案からの指示を聞いた。

 集合場所は三郷小学校(サンゴウ‐)。詳細は現地に到着してから一之瀬(イチノセ)班より説明される。今回は、他班との合同作戦だという。装備を取りに行かなくてよいのか尋ねると、観測班が移動式拠点を出すから問題がないらしい。

 移動式拠点なんて、勤めてから1、2度訓練でみたことしかない。どうやら大ごとらしいというニュアンスだけを持って現着してみると、小学校の前には巡回員が二人だけで、近くの公園で待機するようにと指示を受けた。

 指定された公園は物々しくて、回遊会の制服である緑のジャケットを着込んだ巡回員が10人はいる。顔見知りに話を聴くと、今回は3班合計18名で対応にあたる予定だという。もっとも、集合場所に指定された学校内への立入許可は未だ下りず、3班の班長が教員たちと折衝しているらしい。笹崎の電話から既に2時間が経過している。

「これってどういうことなの。こんなに巡回員が集められるってことは、大物が見つかったんでしょ」

 移動式拠点に乗り込むと、窓井四方(マドイ‐ヨモ)が渋い顔で計器を見つめていた。状況が分からず尋ねてみると「たぶん、そう」と答えが返ってくる。

 観測班の天才にしては曖昧だな……そう思って、トランク内の装備を取り出しながら計器を覗き込んだ。そして、鹿場は酷く間抜けな声を上げた。

「到着した巡回員で一番まともな反応ね。それで、鹿場さんの感想は?」

 皮肉なのか揶揄なのか。計器から目を離し振り返った窓井の視線が痛い。

「……この拠点、使わなすぎて壊れていたんじゃない?」

 考えられる中で一番の答えだ。

 回遊会は特殊な観測器を使い、異界の波を観測している。蛭子が漂着するような大きさの波が来た時にすぐに対応するのが目的だ。

 しかし、現実と異界は常に接している以上、漂着がないときでも波は生じている。観測器は常時微弱に波を把握しているのが通常なのだ。だが、この拠点の計器は一切の波形を映していない。

「異界の影響がないクリアな学び舎なんだそうですよ。敷地内の観測器は全て電源が切られている」

 回遊会が利用する観測器は、海外でも利用されている一般的なもので、その構造と必要性について、回遊会は常に情報開示を行っている。10年前を契機に一般にも異界の認知度が高まったため、設置を受け入れる人は急増した。おかげでこの10年で観測班の仕事は随分と精緻になったという。

 他方で人体に悪影響を及ぼすとか、機密情報を盗んでいるとして忌避する者もいる。酷い場合には観測器こそが、異界や蛭子を呼び寄せると信じる者もいる。彼らの意見が強く、観測器が機能しない場所を回遊会では空白地帯と呼んでいる。

「全く、自分勝手だよね。見えないからってなくなるものでもあるまいし」

 計器の映らない画面を睨みつけて窓井がぼやく声を背に、鹿場は観測車を降りた。

 なるほど、3班も巡回員が集められるわけである。

 今回は、蛭子の漂着時期も、漂着の事実も確定できない現場なのだ。


*****

 窓井との雑談から更に20分。笹崎を含めた3人の班長が公園に戻ってきた。

 校内への立ち入りの承認と学校の全面協力を得られたという。巡回員ら全員が移動式拠点の前に集められ、今回全体の指揮を執る一之瀬班班長、一之瀬神住(イチノセ‐カスミ)から情報共有がなされる。


 本案件を認知したのは前日の夕方。一之瀬班の巡回員が三郷小学校の生徒3名に接触。簡易検査(私たちの名刺を対象者に渡して様子をみる)の結果、3名中2名に異界接触の兆候あり。2名の家族には異界接触の兆候はなかった。

 接触場所特定のため、観測班が生徒の行動を確認したところ三郷小学校敷地全域がが空白地帯と判明。調査結果を管理部に報告したところ、空白地帯の調査を行う指示が出た。

 回遊会の調査協力要請に対し、学校側は校内に異常はないと立ち入りを拒んだ。異界接触の可能性のある生徒へのケアには協力するが、校内の調査は不要な混乱を招くという主張だった。

 もっとも、この主張も、巡回班の班長らによる説得の傍ら、校内に異常をきたした生徒が複数名いるという事実が出たことによって覆された。回遊会に全面協力するから、生徒とその家族の混乱を可能な限り避けてほしいと希望を述べたのだという。

 そこで、一之瀬神住の妙案により、これより生徒を集団下校させ、校内の探索と生徒の簡易検査を一挙に行う。一之瀬班、三言(ミコト)班、笹崎班はそれぞれ異界接触の可能性が高い生徒の行動確認、集団下校時におけるスクリーニング、校内のスクリーニングと教師らの状況確認を担当する。


「つまり、管理部は空白地帯である小学校内に蛭子が漂着している可能性を考えているけれど、一之瀬班は生徒が接触したのは学外だと予想しているわけだ」

 班編成を終えて、学校へ向かう道すがら、後藤田強矢(ゴトウダ-ツヤ)が告げる見解に、隣を歩く内形浮子(ウチガタ-ウキ)が小さく頷き同意を示した。背が高く大柄な後藤田と並ぶと内形はとても小さくみえる。背は160センチ程度、成人男性としてはやや小柄な部類だが、それよりも常に肩をすくめた姿勢でいることが原因だと、後ろを歩きながら思う。

「漂流後の経過時間が長い蛭子の捕獲は報奨が高いですから、管理部のセオリーよりも可能性の高いほうに賭けたくなった。そんなところだと思います」

「なら、非番で狩りだされた私たちはハズレクジを引かされたかな」

 男2人を追いかけるように、同僚の古淵旱(フルブチ‐ヒデリ)が駆け寄っていく。後藤田とほとんど変わらない背丈と筋肉に背負った細長いバックパックが目立つ。古淵のことを知らない者は筋肉質とはいえ女性が背負う荷物だからと甘く考えるが、中身は到底振り回すことも難しい重量の木刀ならぬ金属刀だ。あんな変態みたいな装備を持ち歩いているのは巡回員でも彼女くらいだし、それでも班員の中で誰よりも身軽に動くのだ。内形より古淵のほうがよっぽど男らしい。

「いくら空白地帯でも蛭子が漂着したら周囲に異常がでます。観測班は空白地帯周辺にも蛭子漂着の兆候なしと判断しているので、校内に潜伏している可能性は低い。一之瀬班の見立てはそんなところだと思いますよ。生徒も教師も普通に学校通っていますしね」

「それで、浮子の見立てはどうなのよ」

 古淵の質問に内形がちょっとだけ首を横に傾けた。

「これは一之瀬班から聴いたんですが、一之瀬班の久我(クゲ)さんが、管理部への報告とセオリー通りの処理、つまり学校への立入調査を強く進言しています。

 あの人は、卒塔婆先輩と同じように蛭子の潜伏先に関する勘が鋭い。個人的には、学校の敷地内に何かが漂着しているという線も捨てるほどではないと思います」

「それならなんで一之瀬班は外回りなんだよ。さっきの見解とずれてるじゃないか」

 内形は言葉を濁して少し早足になる。あまり話したくないときの彼の癖だ。

「久我も私と同じだから。一之瀬班では発言力がない」

 内形が濁した回答を、最後尾を歩く卒塔婆が引き継いだ。今日も相変わらずのフードでほとんど顔は見えないし、笹崎と並ぶと性別すら区別がつかなかった。

「でも久我って」

 後ろ歩きに切り替えた古淵が目を細め、フードの中の卒塔婆を見た。

「染めているんですよ」

 なるほど。一之瀬班の久我は茶髪で整った顔の青年だ。

「へぇ。沙魚も染めればいいんじゃない。似合うと思うけれど」

「必要ないですよ。染めても染めなくても旱さんの対応は変わらないでしょ」

 頬を赤く染める古淵を見て、鹿場と卒塔婆は揃ってため息をついた。前を歩く後藤田と内形は肩をすくめている。個人的にはこの可愛い先輩をもう少し揶揄ってもよいのだけれど、笹崎が小さく手を叩いた。仕事の合図だ。

「さて。一之瀬班からの説明の通り、今回は色々な点でデリケートな現場です。余計な騒ぎは起こさず、手早く、機械的に処理を進めましょう」

 笹崎班巡回員5名は、皆、思い思いに班長の言葉に同意を示した。

 ここで号令が揃わないのが、一之瀬班と私たち笹崎班の違いだ。鹿場は気に入っているが笹崎の立場に立つと胃が痛いのではないだろうか。


*****

――無線、繋がってる?

 階下に降りていく少女を見送って屋上の扉を閉めると、今まで無音だった無線から声が響いてきた。

「こちら鹿場。聞こえていますよ」

――音色に繋がってるの。なんで。

「なんでも何も、古淵先輩が周波数合わせたからでしょう」

――あら。本当だ。笹崎さんにつなげる予定だったんだけれど

 古淵の声は別れた時より幾分か気怠い。何か進展があったらしい。

「よくないものでも見つけました?」

――正解。回収班を手配してほしくてね。

 回収班の手配。つまり、古淵は異界からの漂流物を発見した。

「蛭子ですか」

――人間とだいぶ混じっているけれど間違いないよ。ついさっき斬った。

 斬った。古淵の言葉に鹿場は思わず額に手をやった。蛭子の捕獲のためには多少手荒な対応が必要ではあるが、騒ぎを起こすなといわれたばかりで斬るだろうか。

――仕方ないだろう。あっちが襲い掛かってきたんだから。それに、室内だからまだ誰も気が付いていないよ。3階の図書室横の部屋だ。笹崎さんに報告と手配の依頼をするつもりだったんだけれど、鹿場、やっておいて。

「嫌ですよ。詳細分からないじゃないですか」

――まあ、そうだよね。面倒だな。それで? そっちは収穫あったの?

 無線の向こう側で、何か液体状のものを扱っているらしい。古淵の声の背後にぐちゃぐちゃという耳障りな音が混ざる。

「先輩ほどじゃないですよ。屋上に子供の遊び場を見つけたくらいです」

 フェンスに囲まれた屋上には、机といくつかの遊具、それに子供が遊び道具を補完できる小さな物置がついていた。物置は今も使われているらしく、中にはカードゲームやボードゲーム、サッカーボールなどが詰め込まれている箱が積まれている。

 おそらくはさきほど屋上を訪れた少女、笠原智恵もここで遊んでいる生徒の一人だろう。彼女は気が付いているだろうか。物置の奥に仕舞われたお菓子のゴミをまとめた箱が妙な湿気をまとっていることに。

「とりあえず、先輩が蛭子を捕らえたならそれで一件落着でしょうか」

――どうだろうね。こんな面倒なのが潜んでいて誰も気付かなかったんだ。漂着したのが一つだけとは限らない。

 古淵の見解を聴いて、鹿場は思わずため息をつく。この状況は古淵でなくとも少々面倒くさい。

「私も報告事項があるので、併せて笹崎主任に連絡します。主任と卒塔婆先輩は職員室で教員から事情の聴き取りをしているはずなので、回収班が来るの少し時間がかかると思います。現場を無暗に荒らさないでくださいね」

――助かるよ。音色。あー、ただ、荒らさないってのは無理かも。室内に留めておくから、急ぎで頼むわ。それじゃ。

 一方的に会話を打ち切られ、金切り声と共に無線が切れた。

 校舎はアルファベットのHのような形状をしている。図書室があるのは、鹿場がいる屋上の向かい側、特別棟と呼ばれているエリアだったはずだ。フェンスに駆け寄ると、三階の窓ガラスが割れて、椅子が外に弾き飛ばされるのが見えた。

「嘘でしょ……先輩何やってんの」

 校内には多くの生徒がいる。集団下校は第1団が校門を出たばかりだというのに。

「こちら、鹿場。笹崎班全員に通信しています。3階図書室横の部屋にて古淵が蛭子と遭遇。捕獲のために交戦中。その影響で3階廊下の窓が破損。蛭子はまだ該当の部屋に留まっているようですが、至急応援をお願いします。私もこれから向かいます」

 班員の返答をまたず、屋上の扉を抜け、4階へと下りる。特別棟に行くためには一度、中央の渡り廊下まで向かわなければならない。4階にならぶ5年生の教室にはまだ多くの生徒がいるが、構っていられなかった。

 幸いなことに向かい側の窓が割れたことに気づいた生徒、教員はいない。集団下校のため教室内で準備をしている彼らを横に、鹿場は全速力で図書室へと走った。

 走る途中で屋上でみつけた箱と、笠原智恵と名乗る生徒についての報告を忘れていることに気づいた。でも、今はそれどころではない。古淵が怪我をしたり、蛭子を獲りのがすとは思っていないけれど、騒ぎは大きくなる。古淵旱という女に周辺への配慮を求めるのは無理だ。

 校門でスクリーニングをしているのは三言班だ。仕事が丁寧な彼らなら鹿場が渡した名刺を見つけて、笠原智恵が蛭子と接触していることを突き止めるはずだ。他班だが信頼して良い。

 鹿場は、余計なことを考えるのをやめて図書室に向かって疾走した。

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