回遊会の日常

――あなたは幽霊の存在を信じますか?


 私が今の職場で勤めることを決めたのは募集チラシに書かれたこの一言だ。

 幽霊の存在を信じますか、笑っちゃうよね。


 私たちがまだ子供だったころには、心霊写真特集とか、心霊スポットにまつわるテレビ番組や雑誌がたくさんあった。職場の資料庫で調べてみたところ、超常的な現象、とりわけ霊と呼ばれる、人間の魂、意識の残留物による障りをモチーフにした物語は定期的に流行する。

 大雑把に推理するなら、社会情勢の変化、生活への不安が、その当時の技術では捉えられないモノへの恐怖を煽る、その結果が心霊現象ブームの流行だとか言ってみてもよいのだけれど、残念ながら流行は生活不安とは関連性が薄い。

 例えば、経済成長の最中、好景気だとされている時代でも、死人が電話をかけてくる話や、幽霊につけまわされる話が人気を獲得する。ちなみにその幽霊はブームから10年以上経過した後も、一定層に支持を得ていて、今ではすっかりキャラクター化が進んでしまった。めっきり減ったオカルト雑誌やホラー紹介番組の端々に、彼女のぬいぐるみやイラストが並んでいる。

 こんな事例、探そうと思えばいくらでも見つかる。

 これらは、景気や社会不安と関係なく幽霊が流行る時期があった証拠だと私は思う。


 そんな時代を繰り返してきたことを踏まえたとしても、現在の私たちにとって、幽霊を信じるか?という問いは成立しない。何故なら、存在する以外の答えがないからだ。

 募集チラシを見た人は、誰しも、空に浮かぶようになった鯨のことを思い出すだろう。私だって思い出した。

 空を泳ぐ巨大な鯨。資料によるとそれが初めて観測されたのは45年前だという。しかも、45年前の観測班の分析結果では、更に50年以上前から、鯨は空を泳いでいた、ただ、認知できる人間が極端に少なかっただけだという。

 観測されてから半世紀が経とうとしているが、鯨の正体は未だにはっきりしない。一部で天才ともてはやされている後輩に尋ねてみたが、回答は変わらなかった。

「見えている異界。それ以上に説明しようがない。蛭子なのかすら怪しい」

 一般にも知れている情報をまとめると、鯨は現実のものではなく、異界の存在を示す何かである。生物と呼んでよいのかは判然としないが、疑似的な質量を持っていて、現れると周囲の気流を乱すとされる。

 鯨の存在が世間に広く知れたのは10年前。大量発生に伴い、民間の航空機が何機も墜落、消息不明になったためだ。当時、航空機多数墜落の知らせに、新たな戦争の幕開けだと報道機関が慌てふためいた。現実には、襲ってきたのは他国ではなく、なんなら相手方は襲ったという認識すら存在しなかったのだけれど。

 鯨が現れたことにより発生した異界の波。それが航空機を呑みこみ操縦を失わせて墜落させた。墜落先が地上であったものは残骸が発見され、鯨の存在する異界側に墜落したものは行方が知れない。

 この事件により、私たちは「この世界」と「別の世界」があることを知らされた。結果、幽霊や妖怪などの存在に疑問を挟む余地が失われた。定義の差異はあれ、「別の世界」が存在する以上、幽霊・妖怪とされてきたものが潜む“場”があると知れてしまったからだ。

 「いるかもしれない」幽霊は流行になりうるが、「そこに存在する」幽霊は脅威であり、特集を組んで騒ぎ立てる人は消えた。

 だってそうでしょう? 不幸は画面の前で見ているからこそエンターテイメントなんだから。


 そんな状況においてもなお、回遊会の募集チラシには「幽霊の存在を信じますか?」なんて時代錯誤な宣伝文句が書かれていた。

 それが、私、鹿場音色(シカバ‐ネイロ)が回遊会の募集に応募したきっかけだ。


 いきなりどうして募集のことを思い出したかというと、回遊会は、異界に関する最先端の研究施設であるに関わらず、色んな部分がレトロなのである。

 例えば、私の目の前に置かれたこの自動販売機。端に貼られた管理番号と型番からすると、製造されたのはなんと20年前。販売しているのはホットスナックで、ボタンを押すと2分くらいかけて温められた商品が出てくる。フライドポテト、炒飯、鶏のから揚げ、タコ焼き、たい焼き、そして私の手元にある海老クリームコロッケ。どれも350円から500円と比較的高価だが、味は悪い。

 たぶん、近所にコンビニエンスストアがあればそっちで優先して買ってくるだろうし、寮の冷凍庫に買い貯めた冷凍食品のほうが断然美味しい。

「海老クリームっていうけれど、海老入っていないんじゃないかなこれ」

 客が選択した後に自販機内で電子レンジが稼働し、商品が温められる。元々の商品は冷凍状態で格納されているのだと思う。ただ、温度調節が間違えているのか、出てきた商品はとにかく熱い。海老クリームコロッケはその熱さで風味をごまかそうとしている商品で、中身はただのクリームコロッケだ。

 こういうのは最近じゃ許されないはずなのだが、古い自販機であれば規制も及ばないのだろうか。

いずれにしても、これでこの自販機の商品は全て食べ終わった。ハズレもあったけど、十分に楽しめたような気がする。

「ごちそうさまでした」

 私は、職員のいない休憩室の真ん中で、空になった海老クリームコロッケの箱に両手を合わせ、昼ご飯の終了を告げた。ふと気になって箱の裏を見てみると、成分表示が書かれている。クリームの中には海老エキスが入っているらしい。海老エキスとは?


*****


「おや、鹿場じゃないか。休憩室で会うのは珍しいですね」

 休憩室に入るなり、笹崎案は真ん中のテーブルで小さな紙箱を弄っている鹿場の姿を見つけた。笹崎の声に反応した鹿場は、立ち上がり頭を下げると紙箱を机の上に置いた。

「笹崎主任。卒塔婆さん、お疲れ様です。珍しいですね、こんな時間に……もしかして出動要請とか出ていました?」 

 鹿場が慌てて休憩室の時計を見る。午後4時を回っていることを確認して、鹿場が胸に手を当ててため息を漏らした。笹崎班は今週は午前の巡回シフトなので、3時以降は待機時間である。街をぶらついていても、休憩室にいても、通信さえ聞き逃さなければ問題はない。

「うちの班は6時まで待機。このまま何もなければ今日はあがりですよ。私を見るとみなさん仕事の呼び出しと思うみたいですね」

 笹崎はちょっと困ったような顔を作り、頭をかいた。先ほど会議室の前で後藤田強矢と遭遇した時も、緊急要請かと驚かれたので尾を引いているのだ。

「笹崎さんがじゃなくて、私と笹崎さんのセットをみるとです」

 上司が少し気の毒で、自分の考えを述べると鹿場が大きく頷いた。これはこれで笹崎を傷つけるような気がするが、沙魚の責任ではない。鹿場のミスだ。

「はあ。それはつまり、君が私のことを避けているという話かな」

「さてどうでしょう。良い上司だと思います」

 嘘は言っていない。沙魚や後藤田が現場で多少の無茶をしても巡回員を続けられているのは笹崎の指揮と根回し、後処理が丁寧だからだ。

「そう思ってくれているなら、会議でももう少し協力してくれると嬉しいですね」

「会議? お二人とも会議に出ていたんですか?」

「施設管理委員会の月次会議に出席していました。経費の見直しを求められていまして、資料の精査等々、沙魚が協力してくれるともっと簡単に済むのですが」

「卒塔婆さんにデータの整理を求めるのは笹崎主任が悪いですよ。適材適所」

 鹿場の指摘を受け止めるべきか悩んでしまう。だが、笹崎は鹿場の隣に座り、深く頷いてみせる。

「選任は人事部が決めることですからね。一応、人事部の同期には話したのですが、何事もやらせてみないとわからないだろうと言われました」

「それは仕方ないですね」

 何が仕方ないだろうか。鹿場は他人事のように話しているが、施設管理委員会の経費見直しは、この休憩室の設備投資にも関係している。例えば、鹿場の持っている空箱。

「社内に配置した自販機も来期は入替、台数削減をすることになる」

「えっ、うそ。卒塔婆さんそれどういうこと」

 案の定、鹿場は身を乗り出して食いついた。その変貌ぶりに笹崎が身を引く。どうやらこの上司は部下が休憩室の自販機を楽しみにしていることを知らないらしい。

「自販機は維持管理のコストが高いわりに利用率が低い。本部の近くには商店もある。社外への出入りを禁じているわけでもない。実際に、巡回員以外も休憩がてら社外に出る者は多いし、それが生産性を下げているという結果もない以上、自販機は減らしてもいいんじゃないかと意見が出ている」

「ちゃんと使ってるよ。これだって、さっきそこの自販機で……あーでもこれは」

 鹿場は空箱を見つめてしばらく沈黙した。

「この自販機はあんまり人気がないかもしれないですね」

「それは、鹿場の趣味だろう。笹崎はああいうけれど、自販機の利用頻度についての資料は私が作ったんだ。この休憩室に置かれた自販機の中ではホットスナックの利用率は高いほうだ。利用頻度の少ないものから減らすというなら、入口横に置かれた飲料の自販機だろう」

 休憩室には、ペットボトル飲料の自販機が3台、ホットコーヒーなどカップの飲料を販売する自販機が1台。ホットスナックの自販機が1台置かれている。飲料の自販機は競合するからか、利用頻度にばらつきがあり、特に入口横の自販機は、日に数本商品が売れていればよいほうだ。

「ええっ。あの自販機こそ、定期的に買っているんですけれどね……ほら、あれ、珍しくスロットついてるんですよ」

 鹿場が席を立ち、問題の自販機にかけよる。彼女はかがみこみ、硬貨の投入口の横に、赤いデジタル表記が並んでいるところを指さした。

「みてください。自販機で飲物を買うと、この数字が変化して、揃うと当たりがでるんです」

「はあ。そんなもの気にしたことがなかった。沙魚、君は知っていたかい?」

「買った時に確かに光っているなとは……本当にあたるの? これ」

「そりゃあ当たりますよ。あたらなかったら問題じゃないですか。当たらないのに当たるという触れ込みがあると、法律違反になるんですから。そもそもですね」

 熱心に自販機の仕組みについて語る鹿場を見ていると、確かに経費削減のために自販機を削るのは少し問題があるようにも聞こえてくる。利用者の多寡は重要だが、それ以外にも設備投資の有無を計る尺度があってもよいのかもしれない。

「そういえば、その当たりって自販機業者にとってメリットはあるの」

「何言ってるんですか、卒塔婆さん」

 鹿場が当たり前のことを聞くなと沙魚を見つめる顔が面白かった。

「だって、ただで飲料出てくるんだろ。その分、損じゃないか」

「ははぁ。卒塔婆さんは、人の欲求を刺激する方法がわかっていない。それに、景品につけられる商品の値段は法律上の規制があるし、加えて、景品分の商品の費用負担を誰がするのか、そういう業界の内部を知らないですねぇ」

「鹿場。それは沙魚に関わらず私も知らないのだが」

「おや。二人とも自分が日ごろ口にする商品について興味がなさすぎるのでは」

 口にする商品への興味、とはいささか異なる気がするものの、鹿場がここまで身を乗り出して何かの話をすることは珍しい。同じ笹崎班の巡回員だが、鹿場と共に蛭子退治をすることは少ないし、ミーティングや現場の通信では必要以上に発言しない物静かな印象があった。

 目の前ではしゃぐ様子は、沙魚が知らなかった彼女の一面だ。

「いいですか? それじゃあ、まず、景品をつける際の企業の費用負担について考えてみましょう」

 この話は長くなりそうだ。フードの中から笹崎の様子を伺うと、笑顔で話を聞きながらも若干肩が下がっている。どうやら、沙魚と同じ気配を感じて諦めたようだ。

 つまり、今日はそういう日というわけだ。


 沙魚は諦めて椅子に腰かけ、鹿場の熱弁に耳を傾けた。

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