駄菓子屋ヤオヨロズ
裏門を抜け、公園を横切ること30分。牛田の言う通り、8階建てのマンションの隙間にはまって、駄菓子屋ヤオヨロズはあった。二階建ての店はとても小さく、木で出来た屋根は黄土色で汚くてぼろい。
「俺、こういう建物、映画でしかみたことない」
店の向かい側の歩道の端で、トシは口をあけてヤオヨロズを眺めていた。トシの右隣に僕、左隣にはユータ。きっと僕もトシと同じ顔をしていたと思う。
「僕見たことあるよ、じっちゃんの家に行ったとき、バス停がこんな感じだった」
ユータは少し興奮しているのか、ただでさえ小さい背をかがめて鼻息を荒くしている。
「ユータのじいちゃんの家、すごい田舎だろ」
「すごいって言わないでよ」
「でも、バスは一日1回しかないって話してたじゃん」
あの時、ユータは1日で帰って来られると思っていて、日曜日はネットゲームをすると約束していたのだ。ところが、結局帰ってきたのは日曜日の夜中で、次の日、学校で目を丸くして田舎のすごさを話した。
「一日1回ってすぐには帰ってこれないんだよな」
「そうそう。絶対に泊まらないとだめなのって。その話やめてよ」
本人も約束のことを思い出したらしく、僕とトシの顔を覗き込んで口をすぼめた。僕らはユータに向かって笑顔を向けてやる。
「まあ、ユータのじいちゃんのことはいいや……この店もすごい古いってことだよな」
僕らは、思っていたのと違う見た目の駄菓子屋に足がすくんでいた。
車がたくさん通っているわけじゃないし、渡ろうと思えば簡単に渡れる。チイコとゆうゆは、道路を渡って駄菓子屋の壁に貼られたチラシや入口前のアイスの箱をのぞきこんではしゃいでいる。
ここぞというときに強いのは僕たち男子じゃなくて女子だっていうのは本当かもしれない。
いいや、撤回。ゆうゆの横で牛田もアイスの箱を覗きこんでいる。屋上でもアイス二本食べてたじゃん。
結論。食欲と好奇心が不安をふきとばすんだ。
急に力が抜けて、僕たちは車がこないことを確認して道を渡った。近づいてみても古い建物だけれど、チイコたちがはしゃいでいるのもわかる。子どもなら誰もが好きなお菓子、スーパーでみかけなくなったもの、コレクション好きなユータが買い集めそうなおもちゃ付きのお菓子、水鉄砲みたいな低学年向けのおもちゃに、バクバクモンスターのカード。
軒先に並べられているお菓子はこどもにとって夢のようなラインナップだ。この駄菓子屋には僕たちがほしいものが山ほど並んでいる。バクモンにいたっては、近所のスーパーじゃ売っていない一つ前のパックまである。これ、レアカード引き当てる前になくなっちゃったんだよなあ。
公園を越えてやってきた目的を忘れて、僕たちは店の前に並んだお菓子を見ながらしばらく騒いでいた。そのうち、チイコが店の奥に積まれているワタカンを見つけて声をあげた。
「お、ほんとだ。アタリ缶と同じ。でも、これ本当に中身入ってるの?」
店先に積まれていたワタカンを手に取って、ユータが首を傾げた。たぶん、封をあけたアタリ缶と重さが同じだからだ。振ってみても特に何か音がするわけでもない。不思議に思ったのか、ノブに指をかけて封を開けようとするものだから、僕とゆうゆが慌ててユータを止めた。
「すいませーん。誰かいませんかー?」
機転を利かせたチイコがおかしの陳列の奥の襖に手をかけて、中に向かって呼びかけた。店主がやってきてさえくれれば、ワタカンは買える。買う前のお菓子の蓋をあけちゃうとドロボウになるんだぞ。猫谷の怒った顔がよぎった。
「すみませーん。お菓子、買いたいんですけれどー」
返事がないので何度もチイコが呼びかける。軒先ではしゃいでいる小学生たちに気づかないのか店の奥は暗いままだ。これじゃあ、近くを通る人たちが万引きするのも簡単だ。そういえば、軒先にはレジも置かれていない。
「お店の人、留守なのかな」
そんなわけはないだろう。軒先のお菓子はこどもだけじゃない、大人だって万引きするかもしれない。店番がいない駄菓子屋なんて聞いたことがない。
「仕方ないな。開けてみるか……今日のところは帰るしかないんじゃないか」
襖を開ける。トシの発案に、どうしてか僕たちは全員びくりと震えた。固まった僕らの顔をみて、トシは渋々帰るという提案をした。僕は胸のつかえがとれたような気がして、ほっと息を吐き出した。駄菓子屋の場所はわかったんだ。こんなにいろんなお菓子があるとわかったなら、ゆうゆの非常食から交換できるものを選んで来るし、お小遣いも持ってくる。それで、改めて好きなものを買って帰ればよいじゃないか。
けれども、独りだけ、トシの提案に納得しない奴がいた。牛田だ。右手に握りしめたアイスの棒を振って、交換したいよーとだだをこねて、チイコの横に近づき、あいつは遠慮なく襖を開けた。
「ごめんください! アイスのあたり棒、交換したいんです!」
直球。建物中に響きそうな声をあげ、牛田はあたり棒を襖の奥に突っ込んだ。日頃、声も小さく動きもゆっくりしている牛田を知っているだけに、食べ物への執着心が怖い。ゆうゆとチイコなんかは牛田の大声にびっくりして、数歩後ずさりしたほどだ。
それでも、駄菓子屋の人は出てこない。十秒、二十秒。三十秒。暗がりに突っ込んだ牛田の手を掴むような人が現れない。
止めよう、牛田。やっぱりどういうわけかこの店は留守なんだ。
僕は怖くなって牛田に近寄った。帰ろうと声をかけようとすると、牛田は喉の奥から唸り声をあげて僕を見た。
「レオくん。このアタリ棒ってソーダ味しか交換できないんだっけ」
知らないよ、そんなこと。
「レモン味もミルク味も交換できるよ。どの味にも当たりはあるからねぇ」
牛田の質問に答えたのは僕じゃない。でも、僕たちの誰でもない。こんなしゃがれた声を出すのは子どもじゃない。牛田の手の入った先、暗い室内には誰もいない。
軒先のアイスケースが開く、ちょっと軋んだ音がする。僕はアイスケースの方をみて、思わず息をのんだ。吸い込みすぎて、ヒュイッという変な音が口から出る。
「何本交換したいんだい? 味は?」
アイスケースの前には、真っ青な服をきたおばあさんがいた。さっきまでは誰もいなかったのに、おばあさんは、まるでずっと前からいたみたいで、アイスケースの蓋を開けて、ソーダ味のアイスキャンディを一つ取り出した。
「えっと、お店の人…?」
ゆうゆの後ろに隠れていたユータの質問におばあさんはニコリと笑う。笑顔は普通だけれど、顔はしわしわだし、なにより突然出てきたせいで怖い。
「えっと、僕たち」
「買い物だろう。すまないね。ちょっと用事があって出ていたんだ」
「店番の人はいないんですか?」
おばあさんは、ゆうゆを見て、ぴたりと動きを止めた。動画を一時停止したみたいなのが怖い。
「万引きは、していないです」
そのときの僕の声は本当にひどかった。授業参観で、全然わからない問題について質問されたときみたいに震えていて、おばあさんどころか、近くに立っていたチイコやゆうゆ、トシにも聞こえなかったと思う。
牛田? あいつは、おばあさんが現れてからは手元のあたり棒のことしか考えていなかったと思うよ。だから、僕たちがおばあさんとどんな話をしたのか、全然覚えていやしない。そもそもあいつは僕らの話すら聞いてなかったんだ。
そうはいうけれど、実は僕もその先のことはよく覚えていない。
おばあさんは僕と牛田に近づいて、思ったよりも大きな顔で僕たちを覗き込んだ。おばあさんの顔が目の前にあるのが怖くて、僕の頭は真っ白になったんだ。どうして怖かったのかもわからないし、おばあさんが僕たちに何を尋ねたのかも覚えていない。
次に僕が覚えているのは、牛田がアイスを、チイコがワタカンを当たりと引き換えて、僕とトシがバクモンのカード、ゆうゆとユータが袋菓子を買って、軒先でお菓子を分け合っていることで、その時には、おばあさんはニコニコしながら店の話をしてくれていた。
顔? そういえば……そのときは大きいとは思わなかった気がする。緑色のエプロンをつけて僕たちの隣に座っていて、小さなおばあさんだった。
おばあさんは、ヤオヨロズの店主で、いつもは孫と二人でお店を開いている。けれど、孫が用事で忙しくて、一ヶ月くらいはおばあさん一人でお店を開いているんだって。二人のときの癖でつい店を開けてしまうことがあるから、自分でも心配らしい。
それでも、あと半月位で孫が戻ってくるから、それまでは何事もないようにしたいと話していた。
僕たちみたいな子供が買いに来ることは珍しいらしくて、おばあさんは良かったらまた遊びに来てねと笑顔で僕たちを送り出してくれた。
最初の印象は怖かったけれど、いい人だったと思うし、ヤオヨロズにはいろんなお菓子がある。非常食の交換所としてももってこいだ。だから、僕たちはヤオヨロズをもう一つの屋上、僕たちの遊び場の一つにすることを決めた。
そうは言っても、小学生だってそれなりに忙しい。店にいくのは週に1回、多くても2回くらいだったと思う。おばあさんの言う通り、半月もすると、おばあさんの孫だというヨシミチお兄さんが店番に戻ってきていて、特に僕とトシは、このヨシミチお兄さんになついた。
大学生らしいのだけれど、ヨシミチお兄さんは僕たちがはまっているカードゲーム「バクバクモンスター」がとても強い。ヨシミチさんに勝つのはすごく難しいのだけれど、お兄さんは僕たちが持っているカードの組み合わせで、レアカードへの勝ち方を教えてくれる。
僕とトシはお菓子を買うという目的と、ヨシミチさんとゲームをするという目的をだいたい半分くらいでヤオヨロズに通っていたんだと思う。
ゆうゆたち女子チームも珍しいお菓子が多いことに興味を持ったみたいで、当たりの引きかえだけじゃなく、新商品や、スーパーで見かけない駄菓子などを試しに買うのが楽しいと話していた。ユータもどちらかといえば女子チームの仲間で、最近は69種類の味があるキャンディをセイハすると気合を入れている。
そんなわけで、二カ月もたつと、ぼくたちは、ゆうゆの非常食を引き換えるという当初の目的を忘れてヤオヨロズに通うようになっていた。
そのころ僕たちのなかで非常食の消費に熱心だったのは牛田くらいで、だからこそ僕は牛田の抱えている不安について考えたことがなかったし、トシがなんでそんな疑問をもったのか全く気にしたことがなかった。
僕が異変に気付いたのは、ヤオヨロズに通うようになって3か月経った授業参観日。お母さんとお父さんが猫谷と面談した日。
そう。コンビニの前で初めてお姉さんに声をかけられた日。
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