聴取
回遊会の施設にて簡易的な検査と事情の聴き取りを行う。
後藤田強矢にそう伝えられたときは、部屋で起きたことの説明には時間がかかると思い気が滅入った。
卒塔婆沙魚と後藤田強矢により、件の袋は駆除され、私は救出された。私を悩ませていた袋は、生物のように蠢き、卒塔婆沙魚に立ち向かった。後藤田強矢の放った銛により撃ち抜かれた袋の中身を私は直視することができなかった。
袋を改めようとしていた際に想像したものとあの袋は異なっていた。私にはそれ以上のことを知る勇気がなかったし、部屋での出来事を尋ねられてもそれ以上のことを知らない。
かといって、私は自分が戌亥坂大海を名乗っている以上に、自分のことを話せる自信がない。袋のことも私のことも、ロジェ微睡床908号室のことも、どれもが遠い出来事のようで、とても聴取に耐えられそうにない。
回遊会の用意した医療用車両のベッドで寝かされる間、私の心は不安で押しつぶされそうになっていた。
ところが、車両から連れ出され、見知らぬ施設の応接間に留め置かれると、不思議と不安に潰されいた疑問が戻ってきた。あの袋はどうして私の部屋にいたのか、何の目的があったのか、そして、私は誰なのか。
マンションから離れて、異常なものを想起するきっかけがなくなったからかもしれない。一度湧き上がった疑問は、聴き取りに対する不安を覆い隠すほどに大きくなり、私は、私を助けた者たちに尋ねてみたくてたまらなくなっていた。
「あの袋は何なのか。そして私は誰なのか」
独りきりの部屋で、誰にも聞こえないように小さく声に出してみる。後半は、卒塔婆や後藤田には聴かれたくないなと思った。理由はわからない。
*****
応接間に留め置かれて一時間ほど立つと、聴き取り担当として、後藤田強矢と女性がやってきた。私の顔を見て、頭を下げる後藤田とは対照的に、女性は部屋に入ってすぐに応接間の四隅を確認して、壁際に立ち、私と後藤田が挨拶を交わしている机を眺めた。
女性もまた、緑色のコートを着ている以上、回遊会の人間だろう。だが、後藤田、笹崎、卒塔婆、いずれの人物とも雰囲気が異なる。ショートボブの栗色の髪の毛を左手で弄りながら、値踏みするように私と後藤田のやり取りを、私の全身の様子を伺っているように見えた。
脇に抱えているのはノートパソコンだろう。電源を入れたままにしてあるのか、定期的に青い光が点滅していた。
彼女は後藤田と私が向かい合うように座り、いくつか言葉を交わしている間も、何も言わずにこちらの観察を続けていた。見知らぬ他人に全身を値踏みされるのは良い気分ではない。表情に出ていたのかもしれない。先に腰かけようとしていた後藤田が席を立ち、彼女に近づいて頭を小さく小突いた。
「名前と所属、まだ何も言っていないぞ」
小突かれた側は目を丸くし、まるで寝起きかのように周囲を見渡し、私に背を向けている後藤田の顔をみて小さく頭を下げた。
そのまま、私の下へと駆け寄ってきて、パソコンを机に置き、今度は丁寧に頭を下げる。
「聴取は久しぶりで、無礼を働いてしまったこと申し訳ありません。私は窓井四方。回遊会の観測班……こちらの後藤田やあなたの部屋を訪れた女性の後方支援を主たる仕事としています」
口を開いてみれば少々のんびりとした印象を受ける女性だった。
「あの、卒塔婆さんは」
顔を出すのは卒塔婆沙魚か笹崎案だと思っていた。口にしてから目の前の二人に失礼だったと思い返したがもう遅い。
だが、私のいたたまれなさとは別に、卒塔婆の名前を聞いて、窓井が姿勢を正す。
「大丈夫ですよ。卒塔婆はあなたの部屋にいた」
袋を形容する言葉をもたなかったのか、窓井は口元に手を近づけて首を傾げ少しの間、動きを止める。
「卒塔婆はあなたの部屋に現れた蛭子の捕縛にあたり少々怪我をしました。今は医療室で治療中なので、私が代役として聴き取りの担当を行います。
よろしくお願いします。戌亥坂大海さん」
のんびりとした雰囲気は消え、代わりに凛とした涼やかな声が応接間に響いた。
部屋で袋を発見してから、今までの事。窓井は疲れた様子を見せることがなく淡々と私の話を聴いた。
私は、私が意識していなかったであろう部屋の様子についてまで事細かに、しかもストレスなく窓井の質問に答えていく。言葉が詰まると、窓井はまるでその時部屋にいたかのように、私が迷った表現を見つけ、適切な部分を補っていく。
まるで心を読まれている、記憶を読まれているような言葉の選び方は、気味の悪さよりも感嘆を覚えるものだった。
また、聴き取りの結果、意外にも私は私のことを知っていることがわかった。名前、生年月日、出身地。私は彼女たちに聞かれるまで、自分が通信会社のプログラマーである事実を知らなかった。私によれば、あの部屋に越してきたのは3年前。今の会社への転職が引っ越しの契機だという。
ロジェ微睡床を選んだのは、職場までバス一本、20分で着けること、それとマンション裏手の商店街が気に入ったことが理由だった。真裏にあるリサイクルショップは柄が悪そうな店員がやっていて少し怖いけれど、路地にならぶ喫茶店は休日のひと時を静かに過ごすのに向いているし、レストランでは今時500円のランチを提供している。スーパーや文具屋などもあって、生活に不便がない。
室内に件の袋、あるいは似たような寝袋を持ち込んだ記憶はないし、職場でも物を見たことはない。休日の私は、家に籠っているか、商店街を歩くくらいしかすることがなく、どこか遠出をする習慣もなかった。
私の口は私のことをよく話した。けれども、どの話も、口にするまで意識したことのない私だ。窓井の尋ね方が上手いからなのか、本当は知らないことを話しているのかはわからなかった。
自分の声を聴くと、私はそういう人間だと腑に落ちる。それが居心地が悪い。
聴き取りが終わると、窓井ではなく後藤田が私の記憶について少し話をしてくれた。曰く、部屋に現れた袋はゑびすとよばれるものである。ゑびすに遭遇すると、パニックになる人も多く、遭遇前後の記憶が曖昧になったり思い出せなくなるケースは比較的多いという。もっともいずれも時間の経過とともに記憶は戻る。
私の症状は解離性健忘と呼ばれる症状に近いのだという。
気に病むなというのは難しいが、なるべく早く日常に戻れるようにサポートする。後藤田と窓井はそう言って私に頭を下げた。
「これで聴き取りは終わりです。検査結果がでるまではまだ少しあるので、食堂で何か食べますか? うちの食堂はメニューも豊富だし、味もそこそこいけますよ」
窓井の提案に、後藤田がそこそことは何だと渋い顔をする。思っていた以上にゆったりとした雰囲気に、私はすっかり肩の力が抜けていて、二人に袋のことについて尋ねる勇気が湧いていた。
「すみません。あの袋、ゑびすのことをもう少し知りたいんです」
*****
蛭子。言葉で聴くだけだったものが、漢字を与えられて雰囲気が変わった。何かに寄生する。気味が悪い。
窓井は、私の感じた印象を聞いて目を丸くした。「ゑびす」とは一般に福の神を呼び表す語なのだという。だから、蛭子という文字をみてもなお、多くの人は益なる存在だと考えるのだと窓井は語った。回遊会が使っている蛭子という文字は、ヒルコとも読むのだという。古く、国産みの神が産み落とした不具の子、神とみなされない神のことを指す。
ならば、蛭子というのは神なのか。あの袋のような何かが?
窓井は、ほんの少し微笑むと私の意見を否定した。蛭子は神のような万能なものではない。
「蛭子はただの漂流物です」
「漂流物……流木とかそういう?」
「ええ。戌亥坂さんは察しが良いですね。但し、蛭子は流木のように川から流れてくるわけじゃない。あれは、私たちがいるこことは別のところから流れてくる」
現実とは異なる場所から現れた。袋のことを想うと窓井の発言は嘘とは思えない。
「その、蛭子というのはみな、ああいう形をしているのですか?」
「どちらかといえば似たような形をしている蛭子が見つかることは稀です。漂着時における蛭子の形については、わかっていないことが多い」
「漂着時における……あの蛭子というのは形を変えるんですか」
「鋭いですね。ええ。蛭子は漂着後、姿を変えることが多いと言われています。漂着時にどのような形をとるか、どうしてその形をとるかについて、私たちは説明できる論理をまだ持っていません。
ですが、漂着後の変形については多少話すことができます。回遊会の観測では蛭子は漂着した地点の様子や、そこにいる人間の影響を受けて形を変えて順応する」
漂着地点の様子やそこにいる人間の影響。それはつまり、あの袋は。
「現時点ではわかりません。私たちが観測したのは、ロジェ微睡床908号室付近に異界からの波が発生した事実、室内に蛭子が発生していた事実だけです。件の袋が908号室に発生した後、変形したものかどうかは識別できません」
窓井は本当のことを言っているのだろうと思う。だが、その言葉は私にはとても重たい発言だった。
蛭子とよばれる異界の漂流物、私の部屋にそれが現れた理由も、それがあのような形をしていた理由も、すべてが私と関係ないのであれば、今日の出来事は単なる事故、悪夢だったと割り切ることができただろう。
窓井の説明が本当だとすれば、蛭子が現れたことは偶然でも、部屋の中央に吊り下がっていたのは、私、あるいはあの部屋の何かを感じ取った必然かもしれない。
窓井は、蛭子が周囲の環境に影響を受けて変形するといっても、蛭子が自分たちと同じように考えているわけではないと言う。だが、それでも私は考えることをやめられない。
私が仮にあの袋と同じ立場だったとして、室内の何を見ればあのような袋の形状に変化しようと考えるだろうか。思い当る要素はどこにもない。けれども、今朝、あの部屋には私が知らない要素が確かにあった。
戌亥坂大海、私自身の何かが蛭子に影響を与えて、あの形を導いたという可能性を、今の私は消すことができない。
私の抜け落ちた記憶のどこかに、あの袋の原風景がある。
一度考えてしまうと、振り払うことが難しい。口に出した私のことが腑に落ちるように、考えてしまったことは、以前から私の中にあった考えとして収まってしまう。
私は、あの袋のことを知っている。袋の中身が何であったかを知っている。
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