9
それは静かに歩み寄っていた。気配も音もしなかった。
縄を切り終え、彼にそれを伝えようと見上げた時、自分に振り下ろされる光を鈍く反射したものが映り込んだ。それがなにかを理解する前に、視界がぶれた。
ごろりと回転し背中に固い感触、体を包む温かいなにか、耳元で聞こえるうめき声と荒い息づかい。体を起こすと、ルドウェルが力なく、床へと転がった。
先ほどまで私が居た場所には剣が床に刺さっておりそれを持つ女の人は長い赤い髪を垂らせ、肩を震わせている。その剣には先ほど着いたのであろう血が滴っている。
近くに居るルドウェルをみると、肩付近に新しい傷が出来ていた。
そこでようやくなにが起きたのか、理解できた。
「ルドウェ・・・。」
「驚いた。まさかお前が人を庇うなんて思わなかったわ。」
赤い髪の女がゆっくりと、顔を上げながらこちらをみた。口元は笑っているが目は笑っていない。
「あなたもあなたね。魔法が効きづらかったから結構きつめに睡眠魔法掛けたのだけれど随分早く目が覚めたのね。そのままソレなんて放って逃げれば良かったのに。」
「そうすれば死ぬこともなかったのにね。」と言いながらこちらへ剣を構え突っ込んでくる。
近くに転がっていた棒でなんとか自分に襲いかかる剣を受け止めるが、それは女性が繰り出したとは思えないほど重たい一撃であった。痺れる腕を叱咤し、なんとか押し返す。
女が飛び退き距離を開けたため、こちらも立ち上がり応戦するため棒を構える。
女は楽しそうに笑う。そして再び攻攻め込んできた。鋭い剣戟を繰り返し休みなく打ち込んでくる割に相手方に疲れは見えない。あまりにも実力の差がありすぎて防戦一方となってしまう。そんな私の様子を見て馬鹿にしたように女は笑う。
「どうしたの?その程度なの?その程度でソレを私から奪おうとしたの?馬鹿ね、大馬鹿ね。」
「くっ。」
「やだ、本当に?何も言い返す余裕がなさそうね。ねぇ、無駄な抵抗はやめましょう?」
「うるさい!」
棒を一振り横に薙ぐが、それを軽くかわした女は、肩で息をする私をみてさらに愉快そうに笑う。
「・・・ねぇ、取引しない?」
そして、切っ先を下にむけ、甘い声でそう囁いてくる。
「このままソレを置いて逃げるのなら、あなたを殺さないであげる。えぇ、お母様にも頼んで、王都を出るまでの安全は保障してあげる。どう?いい提案でしょう?」
「・・・。」
「あらぁ、そんなに睨まないで、ゾクゾクしちゃう。・・・・ねぇどうする?」
つぅっと冷や汗が頬を伝う。心臓も今の攻防でバクバクと悲鳴をあげ、息も荒く苦しい。
思った以上に相手が悪すぎる。なんとか防いではいたけれど、相手はまだまだ本気ではないようだ。
あまりの分の悪さにさらに険しい表情となる。女の提案は一理あるのかもしれない。確かに自分ひとりであれば、ここから逃げられる確率は上がるのだろう。そう、ここに来るまで何度も彼を救う理由を考えた。成り行きでただ一緒に旅をしただけの関係。命がけで助ける理由はないのかもしれない。でも、見捨てることが出来なくてここへ来た。
救えたかもしれない人が自分の無力が原因で死ぬのなんて堪えられなかった。
瓦礫の山。上がる火の手。血だまりの中に倒れ伏す両親。泣き叫ぶ私。
一瞬で過去の出来事がフラッシュバックする。
ぎゅっと手に持っている棒を握り直した。
「私は諦めない。そんな提案くそ食らえよ!」
そう言い放つと、女は一瞬あっけにとられた様だったが、すぐに笑い始めた。
「ふふふ。とても威勢が良いのね!そういう人も大好きよ!あなたみたいな人がいたぶられ、絶望し、私に従順になる過程がとても楽しいの!」
「悪趣味。」
「褒めてくれてありがとう。・・・でも、ソレはもう諦めているみたいよ。」
「え?」
そう女に言われると同時に「リリア」と少し掠れた声で名前を呼ばれた。すっと隣に現れた人影に視線をやると、ルドウェルがそこに立っていた。
その緑の瞳は光を失い濃いものとなっていた。
再びカサカサの唇が開き「リリア」と呼びかけられる。応えたくなかった。
応えてしまえば、聞きたくない言葉を言われそうで。
「・・・リリア。」
「・・・嫌よ。それ以上しゃべるなら、怒る。」
ルドウェルから離れるように後退る。
「いいわ。別れの挨拶ぐらいの時間はあげるわ。」そう言い、女は楽しそうにこちらを見ながら近くの物に腰掛けている。
じりじりと下がっているとルドウェルはその距離を一気に詰め抱きしめてきた。
息苦しいほどきつく抱きしめられ暴れようにも暴れられずされるがままになった。そして彼は静かな声でまるで女に聞こえないようにするために囁く。
「逃げろ。俺ができる限り時間を稼ぐ。」
「・・・。」
「お前じゃ敵わないし、今の俺も出来て精々時間稼ぎ程度だ。」
「・・・でも。」
「俺は見ての通り・・・化け物だ。飽きない限りは殺されないだろう。」
すっと彼は体を離した。そして私が握っていた棒を奪い取ると床に放り投げた。からんと音をたて転がる棒を私は呆然と見つめる。
「・・・なんで。」
そう小さく呟く私に「ありがとう」と静かに言いまるで私を隠すように女の元へ歩いて行く。
女は相変わらず笑いながらその様子を見ていた。
「なんで・・・、どうして・・・。」
彼の背中が、いつか見た私の両親の姿に重なる。
私は誰かにいつも守られてきた。あのときも、何もできない私に「逃げなさい。」「生きなさい」と笑いかけ、魔物に立ち向かっていった両親。ふたりの体が崩れ落ち、流れる血を私はただただ見ていることしかできなかった。
「・・・私は・・・。」
ふわりと赤と緑の小さな球体のような光が近寄ってくる。手を伸ばすと甘えるようにすり寄ってくる。
その様子に微笑み。キッと前を見据える。
『火の精霊よ。敵の前に炎の壁を!』
そう呼びかけると赤い球体がぴよんと跳ね、楽しそうに飛んでいった。そしてルドウェルと女の間に突然火の手が上がる。突然のことに驚く二人がお互いに後ろに下がったことにより自然と距離があく。
それを見て、さらに精霊に呼びかける。
『風の精霊よ。炎をさらに激しく燃え上がらせて。』
それを聞き届けた緑の球体はくるりと回ると、炎の中へ突っ込んでいく。すると天井に届かんばかりに、高くひどく激しく燃え上がった。
ごそっと、自分の中から魔力が失われていく感覚を感じる。体が重たい。
でも、まだだ。
ダッと走る。身体強化の魔法を使おうとするが発動せず、舌打ちをすると、私の意図を理解したかのようにふわりと風が私を包みそのスピードを上げてくれる。
その勢いのまま火の壁を無理矢理通り抜け、戸惑う女の顔面にありったけの力を込めた拳をめり込ませた。
「なん、で、まほぅ・・・使えないは、ず」
「だって魔法じゃないもの。」
「お、まえ、も、ばけ・・・も・・・。」
そう言い、女はがくりと気を失った。精霊達に頼み、炎を消し、伸びている女をそこら辺に転がっていた縄でルドウェルがそうされていたように椅子にぐるぐると巻き付けていく。
この部屋はおそらく魔法を封じる仕掛けがあるのだろう。今となって気がつくが、キーネアの時に魔法を使っていた女がここでは魔法を一切使わず、剣で攻撃してきたのもそういう理由であればうなずける。だが念には念をいれて、布を噛ませ頭の後ろでくくる。
(よし。)
くるりと振り返り、ルドウェルを見る。彼は壁にもたれ座り込み、こちらをばつが悪そうな顔で見ていた。
ずんずんと近づき、目の前に立つ。
彼が座っているため見下ろすような状態となる。ルドウェルが何かを言う前に、拳を振り上げ「歯を食いしばりなさい」と言いながら振り下ろす。
けれど、殴ることができなくて、拳が彼の顔にあたる前に止めパチリと軽く頬を叩いた。
あまりの衝撃のなさに驚いたのであろう、ぱちくりと少しあどけない顔で彼は私をみていた。
「何で、諦めたの。」
「・・・あの状況ではあれが最善だと思った。」
「自分を犠牲にすることが?」
「あの女の実力は本物だ。その上性根が腐っている。口ではお前を殺さないと言ったが、王都を出た時点で殺されていただろう。」
「それが、自分を犠牲にすることにどう繋がるのよ。」
「・・・刺し違える覚悟だった。」
「・・・何も武器持ってないじゃない。魔力も私が譲渡しないといけないほど欠乏してたじゃない。それに、この部屋は魔法が使えないのよ。」
「命を引き換えにすれば使えないわけじゃなかった。」
その言葉にカッと頭に血が上るのが分かった。
「ふざけないで!!そうやって助けられたって嬉しく無いわよ!!」
「・・・。」
ルドウェルはこちらから視線を逸らす。
一旦怒りを静めるため大きく息を吸い吐き出した。
「・・・とりあえず、早くここを出よう。」
そういい、手を差し出すがルドウェルは顔を横に振る。
「俺を置いていけ。足手まといになる。」
「だから!そういうの!いやだって言ってるのよ!!」
「さっきも言っただろう。俺は化け物だ。お前と違って死ににくい。それにお前が助ける義理はない。」
「また!また!また言った!化け物って何よ!馬鹿じゃないの!?化け物だから死なない?笑わせないで!」
ルドウェルの隣に座り込み、腕を自分の肩に掛け、立ち上がらせようとする。
「なんで・・・。」
「せっかく助けに来たのに!置いていったら意味ないじゃない!無駄骨よ無駄骨!どうしてくれるの!」
「・・・。」
「そ・れ・に!護衛してくれるんでしょ!?まだ会えてないわよ!あの赤毛の人に!!私嘘つきは大っ嫌い!」
「いや、でもお前がここで死ねば約束もなにも・・・。」
「だまらっしゃい!嘘つきも大っ嫌いだけど、自分を大事にできない人はもっと嫌い!!」
ぼたぼたと、目から涙がでて止まらない。どうしてこう、自分の周りに居る人はこうも命をなげうてるのか。わからない。わからない。守られた、残されてしまった方の気持ちも考えてほしい。私を庇い救おうとし、命を散らした両親が脳裏をよぎる。なんで、一緒に生きる道を探してくれないのだろう。
・・・あぁ、弱い私はもっと嫌い。
ふっと肩が軽くなるのを感じる。驚いて隣を見やると、複雑な表情をしたルドウェルがこちらを見ていた。「すまなかった。」そういいながら、親指の腹で優しく涙を拭った。そして微笑むと、扉へ向かい歩き始めるが、覚束ない足取りだ。涙を拭い、急いで彼に寄り添い、その体を支える。ルドウェルは驚きながらも振り払おうとはしなかった。
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