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「ま、魔の森だ!あいつら『魔の森』に入って行ったぞ!」
村人か、はたまた新たな追っ手か。誰かは分からないが、そう叫んでいるのが聞こえた。
普通の人が、何の策もなしにこの森に立ち入るのは命知らずと言われても仕方がないほど危険な行為だ。ならなぜ、この森に向かおうと思ったのか。
この森には呪いの地が近いからか、魔物の目撃情報も絶えず、実際魔物もいる。そしてそれとは別にある種族も住んでいるのだ。その種族がいたずらをするせいで、この森は一度足を踏み入れてしまうと絶対出られないという曰く付きの森になってしまったのだ。
痛む右足を引き摺りながらなんとか森にたどり着く。
男はほとんど話さない。ちらりと視線を寄越すのみで、何もしようとはしないが、つかず離れずの距離を保ち、私の前を歩いていた。
(置いていくことも出来るはずなのに、わざと遅く歩いてくれている・・・。)
傷を負いいつも以上に遅い歩みに男はそれに合わせるようにゆっくりと歩いてくれているのだ。
(すごくわかりにくいけど、こっちを気遣ってくれてるのね。)
仏頂面、無口がデフォルトのような男の不器用な優しさに笑みがこぼれた。
森に少し入ったところで歩みを止め、後ろを振り返る。
幸い、まだ騎士達は追って来ていないようだった。けれど、いずれ追いかけてここまで来るだろう。
私はすぅっと息を吸い、語りかけるように言葉を口にする。
『この地に、森に住む精霊よ。どうか悪意のある人達から、私たちを隠し匿ってください。』
そう言うと、どこからともなくかわいらしい声でクスクスという笑い声が聞こえる。
《いいよ。それが君の願いなら。》
クスクスといろいろな方向から笑い声が響き一瞬森がざわめく。光が木々を伝うように中心から外側へ走って行ったかと思うと、先ほどまで聞こえなかった小鳥や小動物の鳴き声、葉が風に揺られてこすれる音がするようになる。
『ありがとうございます。』
これで少しは時間稼ぎが出来るだろうと、安心して気が抜けてしまったのか、かくりと膝から崩れ落ちた。先ほどまで気合いで堪えていた傷の痛みもひどくぶり返してくる。
ズキンズキンと痛みを自覚しながらも、手当するきにもなれずそのままごろりと地面に横たわる。
休憩もないまま、魔力を使った為か、体もいくらかだるい。
(少しぐらい休憩したってバチはあたらないでしょ。)
そう思い、心地よい風を感じながら目を閉じようとするが、誰かが近寄る気配がしてそちらを見た。
男はまた機嫌の悪そうな顔をして立ってこちらを見下ろしている。何も言わずにずっと見てくるため、こちらがしびれを切らして声を掛ける。
「なに?」
「・・・。」
「用があるなら手短にお願い。少し疲れたから休みたいの。」
「・・・今何をしたんだ?」
促すことで漸く男は一つの質問を口にした。
その質問に関し思い当たることは今のところ一つしかない。
「あぁ、今のは精霊術よ。」
「・・・精霊術士だったのか。」
「うん。」
「そうか。」
厳密にはきちんと師事した訳ではないため、精霊術士と言って良いのか分からないのだが、詳しく話すのも少し億劫でやや素っ気ない答えとなってしまった。
男もまた、自分からした質問であるにも関わらずさして、興味がないようにそう言った。そして特にそれ以上何も言おうとせず、どこかへ歩いて行った。
(私も大概人の事をいえる訳ではないけど、彼も、彼ね。)
男の行動が理解できない。男はあまり話そうとしない。自分の感情をまるで押し殺しているかのように。親しい人にはまた違うのかもしれないが、リリアに対しても、先ほど合った赤毛の男に対しても素っ気ない態度であった。
(まぁ、いいんだけど。)
再びリリアは目を閉じる。少しでも体力、気力を回復させたかった。
しばらく休んでいると、また人が近づいてくる気配がした。
「おい。起きろ。」
そう、男はリリアに声を掛けてくるが、リリアは首を振る。
なぜ戻ってきたのだろうか。てっきり置いて行ったと思っていたのだが。
あぁ、そういえば伝えるのを忘れていた。彼ひとりではここから出られないということ。出て行こうとして出て行けなかったから戻ってきたのだろうか?
「なに?」
言葉の意図を聞きたくて、そう言った。男は何も言わず、内心首を傾げていると、深いため息が聞こえた。そして突然自分を襲った浮遊感にびっくりして目を開けた。
思った以上に近い顔にさらに驚く。
「え、な、な、なに!?」
「うるさい。耳元で騒ぐな。」
ぴしゃりと男に言われ黙る。いわゆるお姫様抱っこの様な状態でどこかへ運ばれていく。
どこへ行くのか、なぜこのようなことをするのか聞きたかったが、男は変わらず不機嫌なままで、答えてくれそうになかった。
言葉の代わりに小さく息を吐き、されるがまま男に体を預ける。それにピクリと男の体が動いた気がするが些細な変化だ。特段気にもとめなかった。
(不機嫌な顔をしてもきれいと思えるなんて、うらやましいにも程がある。)
そんなことを思いながら男の横顔を眺めていると、不意に男の足が止まりこちらを見た。
不覚にも一瞬細められた緑の瞳にドキリとしたがただ、それだけ。
男は何も言わず、そっとこちらの体を下ろした。
連れてこられたのは、開けた場所で、その中央付近にはとても澄んだ泉があった。その泉の近くに座らせられた意味が分からず、男を見る。
「傷を清める。」
そう男は言いこちらを見る。予想外すぎてはじめ何を言われたのか理解できずそのまま呆けた顔で見つめてしまう。反応のないこちらに呆れたのか、息を吐き、怪我をしている右足を持ち上げてくる。持ち上げられた際に痛みが走り、引っ込めそうになってしまうが、強いけれど跡がのこらない程度の強さで制されそのまま泉のに足の先をつけられる。
泉の水はひんやりと気持ちよかった。その水を男は掬い上げ、傷のある場所を丁寧に洗い始める。思いも寄らない行動にただただ驚くばかりであった。
男は洗い終わると、傷の具合をまじまじと見つめてくる。そして、その傷に手をかざし何かを呟く。するとふわりと心地の良い感覚が足を包んだ。
傷自体はなくならなかったが、血は完全に止まり、痛みも軽減した。
「治癒魔法はあまり得意じゃない・・・がもう少し治ると思っていたが、思った以上に魔法が通りにくい。」
男は足の傷をみて、こちらをちらりと見る。その視線がなぜ?と問うていたため、応える。
「多分、私の体質だと思う。」
「体質?」
そんなもの初耳だとでも言うかのような口調に、まぁそんな反応するよねとひとりで納得し答える。
「私、他人の魔法の影響を受けにくいみたいなの。」
「どういう事だ?」
「・・・説明が難しいんだけど、精霊の加護があるからっていったらいいのかな。」
「『精霊の加護』?」
「そう。精霊の加護。どこに居てもどんな場所でも精霊が力を貸してくれる引き換えに、他者からの魔法の影響を受けづらいの。治癒魔法も私には効きづらい。ちなみに、私の家で掛けてくれていた魔法が失敗したみたいだったのもこれの所為だと思う。」
「・・・。」
「んー、やっぱり理解しづらいよね?」
「いや、そういうわけじゃない。」
「少し驚いただけだ」そう短く男は言い大分距離はあるものの私の隣に腰を下ろした。
どうやら男も休憩するつもりらしい。その様子に甘えて、私はどさりと後ろに倒れ込んだ。
傷は回復しても、体力や魔力までは回復しない。体はだるいままだった。
倒れるとちょうど男の背中が見える。表情は見えづらいものの、険しさはなく、心なしか穏やかな感じがした。
(こんな綺麗な景色、穏やかな場所ならいつも仏頂面のひとも、緩むか。)
そんなことを考えつつ、上を見上げた。青い空が広がっている。
景色だけを見ればひどく穏やかなものだった。そう、私たちの置かれている状況を除けば。
これからの事を考えると少しキリリと胃が痛くなった。
精霊術は使えるものの、魔力量は少ない方で連発出来ない。知っている魔法も身体強化のみで汎用性はあるが、国が敵ともいえるこの状況を打破するにはかなり苦しい。
(さっき・・・、この人が助けてくれなかったら私はどうなっていたんだろう。)
殺されていた?殺されなくても犯されていた?拷問されていた?
そんな想像にぞっと身をすくめる。
(きちんとお礼を言わなきゃ。)
ゆっくりと体を起こし、男に声を掛ける。
「・・・さっきは助けてくれてありがとう。それから今も、治癒魔法まで掛けてくれてありがとう。」
「・・・助けたのは、借りを返すためだ。」
「それでも、ありがとう。」
「・・・お前は、お人好しだとか言われないか?」
「いや、別に言われたことないけど。」
「そうか。」
そのままお互いに黙ってしまう。
(会話が続かないなぁ)
そんなことを思いながらもさして気にせず、再び寝転がった。そよそよと前髪をさらう穏やかな風が心地良い。目を閉じて、それを堪能していると、男が話しかけてくる。
「お前は俺が怖くはないのか?」
唐突すぎる内容の質問に思わず男を見るが、男は変わらずこちらに背を向けている。
ただ、その質問で私がどう答えるのかを気にしている気配はあった。
「なんで?」
「・・・・。」
なぜその質問に至ったのかを答えてくれる気はないらしい。そのまま、再び男は黙ってしまうが、私は思ったことをそのまま伝える。
「なんでその質問するのか分からないんだけど。」
「・・・。」
「確かにそのにこりともしない、あまり話さない所は人によっては怖いって感じるんじゃない?」
「・・・・?」
「だって美人の不機嫌の時の顔って普通の人のよりも迫力ありすぎて怖いもの。」
「・・・。」
「あ、また眉間に。そんなに寄せると将来そこに縦皺が入るんだからね。」
「・・・。」
「ほら、悪い癖よそれ。そんな険しい顔するより笑った方がお得よ。多分。」
私からのよく分からないダメ出しに思わずこちらを向いてしまった男は変わらず眉間にしわを寄せている。
「まぁ、私の顔じゃないし?縦皺入ろうが構わないんだけど。」
「・・・善処する。」
「そう。」
「それより、全然さっきの質問の答えになってないんだが。」
「ん?私は別に怖いと感じてないわよ。今はね。そりゃ、押し倒されたときは命の危険、貞操の危機を感じたから怖かったけど。」
「それは・・・すまない。」
「もう、いいよ。本当に危ないとき助けてもらったし。」
「・・・・。」
「ねぇ、これからどうするの?」
「特に決めてない。」
「あの人が言っていた、キーネアには行かないの?」
そういうと、男は嫌そうにまた顔を歪めた。あの人はこの男のことを好きだ!って言ってたけど、この人はあの人のことを嫌いなのか?
「行かないの?」
「・・・あいつは、何を考えているのか分からない。表ではヘラヘラしてるが、腹の内は絶対明かそうとしない。」
「そうなんだ。何を考えてるのか分からない点に関してはあなたも変わらないけど。・・・あの人が言ってた好きだ!!って気持ちは嘘じゃなさそうだけど。」
「好かれる理由が分からないから余計気持ちが悪いんだ。」
「仲良くないの?」
「良くない。」
「つまり片思いと。」
「・・・その言い方は寒気がする。」
心底嫌そうにしているためそれ以上は機嫌を損ねてしまうと判断した。
「まぁ、冗談はほどほどにして。それで結局どうするの?」
「・・・お前はどうするんだ?」
「私は、キーネアに行こうかなって思うけど。」
「なぜ。」
「いや、まぁこの国のトップに睨まれる事になってしまったし、どこかに身を寄せた方が安全かなと。」
「・・・。」
「王都からも離れてるから一時的に身を隠すにはいいかなって。」
「そうか。」
そういう答えると男はすっと立ち上がる。そしてこちらを見て、「行くなら早いほうが良い。」と言う。
「・・・結局行くの?」
「いや、俺はキーネアには留まらない。ただ、この状況は俺が原因だ。お前が行くと言うのなら、キーネアであの男に会うまで護衛をしよう。」
「その申し出はありがたいけど・・・いいの?女王様の狙いはあなたなんでしょう?行く必要もない場所に寄っている時間も逃げる時間に充てた方がいいんじゃない?」
「俺ひとりなら、逃げ切れる。」
「そっか。ならお願いしようかな。正直、行く手段にあてはあったけど、あの人・・・名前も知らない人に会う手段なんてなかったから。」
立ち上がりすっと男に向かって手を差し出すと、男はそれを見て首を傾げる。
「握手よ、握手。少しの間だけど一緒に居ることになるからね。あ、そういえばきちんと名前言ってなかったね。私はリリアよ。よろしく。」
「ルドウェルだ。」
男は少し遠慮がちに手を出してくる。私はその手をやや強引に勢いよく握った。
それに驚き瞠目するが、目を細め口角が上がるのが見えた。
ただ微笑んだだけだ。けれど彼の容姿も相まってあまりに美しく思わず見とれてしまった。
「どうかしたか?」
「やっぱり美形はお得だわ。」
「は?」
「何でもないよ~羨ましいだなんて思ってもないわよ~。」
「そ、そうか?」
ルドウェルは少し困惑しているようだ。一見して変化の乏しい表情もよくよく見れば色んな表情があった。その発見に少しだけ嬉しくなって、笑う。私の笑いはすぐに男を再び不機嫌顔にさせてしまったのだが、まぁいいだろう。
「なら、さくっといこう!」
「あぁ。」
「じゃ、少し離れててくれる?」
「・・・わかった。」
泉の方にゆっくりと近づき両手を少し広げながら彼らに語りかける。おそらくずっとこちらを見ている気配がするからすぐに応えてくれるだろう。
『どうか私の声が聞こえるのなら応えてください。キーネアへと通じる道を使わせてほしいのです。』
そう言うときれいな光が舞い始めソレが一点に集まりはじける。すると植物が絡みついた白い扉が目の前に現れた。
ルドウェルはその光景に思わず呆けている。
「この森を普通に抜けて行くには危険が多いからね。精霊の抜け道を使わせてもらおう。」
「精霊の、抜け道・・・。物語上のものかと思った。」
「この道は精霊と対話できる者にしか開けないから、実際見たことの人なんて多分ほとんどいないと思うよ。・・・ただ。」
「ただ・・・?」
「いや、抜け道の扉ってもっと地味だったような気がするんだけど・・・。」
「そうなのか?」
「うん。でも、最後に使ったの師匠と旅をしてた時だから大分前・・・その間に変えたのかな?」
「・・・大丈夫なのか?」
「多分。まぁ違ってもなんとかなるでしょ。」
「随分楽観的だな。」
「精霊っていたずらは好きだけど基本人間の事好きだから、人間が死ぬような事はしないと思うのよ。」
「そういう物なのか。」
「そういうものよ。」
「まぁ、精霊術士が言うならそうなんだろう。」
はぁっとルドウェルはため息をつき、呆れたように肩をすくめる。
曖昧でごめんなさいね、と言いつつ扉に手をかざす。すると扉がゆっくりと開きその中から光があふれ出す。
「行こう。」
「あぁ。」
二人は扉の中へ向かい歩き出した。
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