2
自身の家に向かう道、いつもと変わらないはずの景色にどこか違和感を覚える。
ふとした気づきに足を止めた私の数歩先に、ぽつり、ぽつりと不自然に突然現れた、地面の赤いシミ。ソレは私の家へと続いていて・・・。
ついて行くように、まるで導かれるかのように辿っていく。変な汗と、変な高揚感に包まれながら足を進めた。
「え・・・。」
思わず漏れ出た声は誰に聞かれることなく消える。心臓が先ほどよりもバクバクとしている。嫌な予感しかしない。買い物に行くために出たときにはなかった。
ソレは遠目からでも赤色に彩られていると気がつけるほど、赤い。早まる鼓動に押されるように足早に近づく。
・・・嫌な予感が的中してしまった。
急いで駆け寄り、血だらけでボロボロの人に声をかける。けれど返事が返ってくることはなかった。うつ伏せであったため、ゆっくりと上を向けるとその人は苦痛に表情を歪め「うぅ・・・。」と呻いた。うっすらと開いた焦点の合っていない目でこちらを見ると掠れた声で呟く。
「・・・ろせ・・・・ころせばいい。」
そう呟くと皮肉げに笑い、そのままその人は気を失った。
呟かれた言葉が聞こえたとおりにしかし意味をなさない言葉として頭に反響し、呆然とする。
(私は何を言われたの?コロセバイイ?)
無意識のうちに眉間にしわがより、険しい表情となる。
(なによそれ。どういうこと。)
ずぶずぶと思考の海に沈み始めたリリアを引き戻したのは、視界を掠めた赤色であった。
うつ伏せの状態では気がつかなかったが腹部に大きな傷があるようだ。血は止まってはいるようだが、顔や指先は色を失っている。
このまま放っておけばおそらくこの男性に待つのは死だけだ。
(誰か人・・・。)
そう考えぐるりと周りを見渡すが、いつの間にかあたりは暗くなり、歩いている人はいなかった。夜は出歩かず、家で過ごすのがここでは普通だ。休めるときに休み、いつ魔物に襲われても動けるよう備える。国を出ることも出来ず、魔物の脅威に晒され続ける人達の自分を、大切な人達を守るための習慣が今、あだとなっている。
思わず舌打ちしそうになったが、その人が苦しげに呻いたため慌ててその人を見る。
先ほどと同様、真っ青になっている顔には脂汗が浮いている。
彼女は自分に喝を、また、思考をリセットするために両頬を両手でバシリと手ひどく叩いた。
(しっかりしなさい、リリア!こんなこと、あのときは日常茶飯事だったじゃない!いや、日常茶飯事は言い過ぎた!)
とりあえず、休める場所に運ぼう。と考えたところで、この村に医者がいないことを思い出した。隣町には居ると聞いたことがあるが、今から走って呼びに行っても往復約2時間も掛かってしまえば間に合わないのではないか?かといって、今この村に自分を含め治癒魔法を扱える人が居るなんて聞いたことがない。というか、魔法事態を使える人が居ない。
(思ったよりも穏やかな所だけど、小さいって言うのは考え物ね。)
今度はもう少し大きな場所に住もうと思いながら、息を吸い、体の隅々に血を巡らせるイメージを持つ。すると、じんわりと体が温かくなるような感覚がする。
「よし!」
声を上げ気合いを入れる。リリアは160cmほど。目の前で倒れている人はおそらく180cmはあるだろう。体格差を考えても性差を考えても、気を失い脱力している成人男性を女性一人で運ぶのはなかなかに困難であるが、リリアはひょいっとその男性を抱えた。いわゆるお姫様抱っこで。
(身体強化の魔法、師匠に習っておいてよかった・・・。)
そう思い、今おそらくどこか遠くを旅しているだろう師匠に感謝をしつつ、その男性をほかに場所を思いつけなかった為自分の家へ運ぶ。残念ながら一人暮らしを想定していたため、部屋はあるが物置となっており、怪我を負った人をとてもではないが運び込める場所ではなかった。仕方なく自分の寝室へ連れて行きベッドへそっと寝かせる。
(とりあえず、今出来るのは、応急処置程度ね。)
リリアは家にあるありったけの薬や包帯、きれいな水、タオル等を用意する。
タオルを水で濡らし顔の汚れ、汗を拭う。
(あら、汚れで気がつかなかったけど、きれいな顔をしてたのね。)
泥や血液などに塗れていた為気づかなかったが、その汚れを落とすことにより本来の男性の容姿が分かるようになってくる。別に面食いという訳ではないけれど、思わずうっとりと眺めてしまいそうな程に整った顔立ちをしていた。
髪の汚れは落としきれないが、おそらく綺麗にすれば輝くような金色。閉じられているため目の色は分からないが、まつげも長く、鼻筋もすっと通っている。唇も厚くもなく薄くもないちょうど良い形をしていた。
(まさかだけど、痴情のもつれじゃないの?)
これだけ整っていれば女性も放っては置かないだろう。
なんて事を考えながらもテキパキと手を動かしていく。傷の具合をみるため、ぼろぼろの服を脱がせていった。元々は白色のシャツだったのだろう。ボロボロではあるもののさわり心地などからお高い物であると想像できた。
服を脱がせると鍛えているのであろう、きちんと筋肉のついた胸が覗いた。視線を下へずらすと腹にはびっしりと血がついていた。
先ほどまでより強く香った鉄の臭いに思わず口元を押さえる。
(うっ・・・何度臭っても慣れるものじゃないなぁ。)
込み上げる気持ち悪さをなんとか気力で押し込め、新しいタオルを用意し、固まりどす黒くなった血を拭き始める。傷がありそうな部分を避けながら少しずつ血液を拭っていくが、綺麗になるにつれて、リリアの顔は険しくなっていく。血液を拭き終わった後、彼女の表情は険しくなる。
(・・・初めは血の量が多くってただ見えにくいだけだと思ってたけど。)
拭き終わった男の傷一つない腹筋の割れた腹を見ながら彼女は思わず後ずさった。
そうこの男のお腹には傷がないのだ。出血量をみるに、かなり大きな、もしくは深い、それこそ致命傷になりかねない程の傷があるのではと思っていた。血も見つけた段階ですでに止まっていた。たとえ止血は早かったとしても、傷までなくなる事はないだろう。
返り血という線も考えるが、主に血がついていたのは服の中であるため、その線は薄いとすぐに捨てた。
「・・・なんなのこの人。」
先ほどまで苦しんでいたはずの男はどこか気持ちよさげに、ただ寝ているだけであった。
彼女はなんだかとんでもない拾いものをしてしまったのではないかと不安になりつつ、バクバクという心臓の音を聞きながら、男に布団を掛けその場を後にした。
*
窓から、空が白み始めたのが見えた。男の傷口の謎を考えたりする内にほとんど眠れないまま朝を迎えてしまったようである。
(考えても仕方ないか・・・、込み入った事情もありそうだし、深入りするのも良くないよね。)
はぁっと眠たい目をこすり、椅子に座りっぱなしであったため固まった体をほぐす。
そして朝の日課の水汲みのために木製のバケツを持ち、いつもの井戸へ向かった。早朝すぎる為かいつもの奥様方はおらず、その場は静寂に包まれていた。
その静けさを堪能しながら水を汲み、いつものように水瓶に水を入れ家に入ろうと扉を開けた。その瞬間にゅっと何かが出てきた。それを手だと認識する前に中に引き摺りこまれていた。
すこしの衝撃と背中に感じる固い感触。視界いっぱいに広がる天井。突然のことに混乱する中で自分が床に転がっていることはわかった。
ずしりと下半身に重みが加わったと感じた次の瞬間には視界に昨日助けた男がいた。
さらに状況が理解できなくなり、冷静になりかけた思考が霧散する。
(なに、なに?どういう状況?え?いつ目が覚めたの?え、何これ、押し倒されてる!?)
男の表情は逆光となっているためか、影に沈み上手く見えない。ただ、なんとなく楽観できる様子ではないと思った。
「・・・お前の望みはなんだ?」
男は低く、低く絞り出すようにそう呟いた。
リリアは上手く理解できなかった。それがどういう意図から発せられた質問なのか、この状況は一体どういうことなのか。聞きたいことはたくさんあったけれど、それが言葉になることはなかった。男はなにも言わないリリアに何を思ったのか、もしくは、こちらの様子など見るつもりはないのか。あざ笑うかのように鼻で笑うと先ほどの固い声とは打って変わり、甘いようなそれでいて馬鹿にする口調で言う。
「あぁ、なるほど。お前も体目当てに近づいてきたのか。・・・でないと、化け物を助けるはずがない。」
耳元で睦言を囁くようにそう言った男はこちらがびっくりして体を揺らしてしまうほど笑い始める。どこか狂っているかのように聞こえる笑い声は状況も相まってリリアを恐怖させた。そして肩を揺らしながら笑っているのに、目の前の男の目は全く笑っていない。緑の目は光を失ったかのような濁った色をしている。
血の気の引く思いでどうすれば良いか分からず、男を見ていると、そんなリリアの様子に気がついたのかピタリと動きを止めすっと目を細める。そして顔を顰めこちらを睨みつける。
「・・・そう、その目、その表情。あぁなんて忌まわしい・・・!」
そう言った瞬間男の目に炎が燃え上がった。憎悪の炎が。
男の手が自分の胸元にいき、思わず息をのむ。その様子を見て目を眇めた男は彼女の服に手をかけ一気に引き裂いた。下着が露わになるが彼女の顔は羞恥に赤らむこともなく逆に青かった。
「お前達はいつもそうだ。こちらが嫌がってもやめることなどない。俺が何をしたと言うんだ?なぜ、あのような扱いを受けなければならない?」
「俺を見て、そのように頬を青白くし、恐怖するくせに、閉じ込め死ぬことすら良しとしない。」
「忌々しい。」
矢継ぎ早に男は独りごちる。男の常人とは思えない様子に殺されるのではないかという恐怖に体は動かず声も出ない。男はこちらを見ているがその濁った瞳にリリアは映っていない。まるで、誰かを重ねているかのように男は話している。
つぅっと胸元を男の指が辿りちょうど心臓の上あたりで止まる。
知らない親しくも情もない男に触られてぞわりと肌が粟立つ。
気持ちが悪い。ただただそれだけ。
(こういう時、師匠はどうしろと言っていた?・・・あぁだめ、焦ると上手く考えられない、落ち着いて、息を吐くの。)
師匠の顔を思い浮かべ、落ち着くために知らず知らずのうちに乱れていた呼吸をまず整える。恐怖の名残で涙が目尻からこぼれ落ちる。
肌に触れていた男の指がピクリと動き、離れていく。
「・・・泣くほどなら、はじめから俺なんて放っておけばいいものを。」
心底理解できないと言うように男はそう言い、目を閉じた。
そのまま男はなにもせず黙ってしまった。
しばらくの沈黙のあと男が何かを唱えると、布のような物がぱさりと突然空間から現れ落ちた。男はそれを上手く掴むと、リリアに掛け、上から退いた。
突然の変化にリリアはついて行けずぱちくりと瞬きをし、布で隠しながら体を起こした。そして床に座りため息をついている男を見た。
再びの沈黙。どこかいたたまれなくなってしまい、口を開こうとするがやっぱり思考がまとまらない。
(なんだろうこの状況。私、怒ったら良いのかな?怒っても良いよね?)
とりあえず殴ったらいいかな、なんて考えていると、男はくしゃりと自身の髪を掴みながら呟く。
「・・・なんで助けたんだ。」
「・・・なんでって言われても・・・。目の前で倒れている人が居たら助けるでしょ。」
「・・・・・・・。」
「な、なによ。その沈黙。」
「理解が出来なかった。」
「私はただ人として当たり前の事をしただけ!」
「見返りも求めず?」
恐怖が少しずつ溶け、感情が露わになっていく私と反対に男は先ほどの様子もなりを潜めただ、淡々と言葉を発する。
「見返り?そんなの考えながら人助けしても仕方ないでしょ。」
「・・・・・・。」
そう言うと男はじっと、こちらの顔を見てきた。緑の目はこちらを探るような目つきではあったが、もう濁ってはおらず、むしろ綺麗だと感じるものであった。
真っ直ぐその目を見つめ返していると、男がすっと視線を逸らした。
「・・・すまなかった。」
「え?」
「服。」
「あぁ。まぁ、服は着替えがあるからいいけど・・・。」
「あと、助けてくれたこと感謝している。」
謝罪には気持ちが籠もっていたのに、感謝には、籠もっていない気がした。
なぜだろう。言い方なのだろうか?男をはじめ助けたとき言っていた言葉、先ほど様子が可笑しかったときに言っていた言葉が脳裏をよぎる。
「・・・あまり助かったことうれしそうじゃないのね。」
「・・・。」
「迷惑だった?」
まるで苦虫を噛みつぶしたかの様な表情をし、下を向く男。その様子にどこか悲しい物を感じ、目を細めた。
「私は助けたことを後悔してないし、生きててよかったなって思うよ。」
なぜかそう言いたくなった。なぜかは分からないけど。
男は瞳を大きく見開き、そしてゆっくり目をつむった。
しかし、ハッと何かに気がついた様に再び目を開き険しい顔であたりを見回し始めた。
「どうしたの?」と聞こうと口を開こうとするが、男に手で制された。まるで静かにするようにと言わんばかりの視線に頷く。それを見た男が開きっぱなしになっていた家の扉を静かに素早く閉める。
男の様子にただならぬものを感じ、静かに耳を澄ませると今まで気がつかなかったのが不思議なほどの怒号。
何が起こっているのか確認しようと動く前に突然体が宙に浮いた。いつの間にか私は男に抱えられていた。
何をと言おうとしたが口が開かない。驚きで言葉が発せないのではない。まさしく言葉通りに口が開かないのだ。口を開こうともごもごしても無理だった。
男は私を抱えたまま窓に近づき外の様子を伺いだした。
下ろしてほしいと言うにもいえず、仕方なくそのまま一緒に外をみる。
ガシャガシャとなにか金属が擦れるような音が怒号に混じり聞こえる。それと共に地響きに似た足音であろう音がだんだんと近づいてくる。
家の前を銀色の鎧を着込んだ者たちが怒号をあげながら過ぎ去っていく。まるで何かを探しているかのように。
(一体何が起こっているの。)
眉間にしわを寄せながら見ていると体が揺れ、視界がぶれた。鼻が何か固い物にあたり、痛みに顔を顰める。痛いところを撫でたいのに、何かに阻まれそうすることが出来ない。思い当たる節は一つだけ。上を向き抗議の意味を込めて睨み付けると、不機嫌そうな緑の瞳にぶつかる。
「大きく息を吸え、そして止めろ。」
それだけ言うと男は自分の胸に押しつけるようにしてリリアを抱え込む。
その瞬間、後ろでものすごい音が響いた。
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