エピローグ

 駅の構内に桜の花びらが吹き込んできた。まだ少し肌寒く薄手のコートでも身震いする。


 あれから四ヶ月ほど経過した。就職は決まっているので、残りの大学生活で単位さえ落とさなければいい。


 ペンションは今まで通りに営業している。ただし、百合の間に続いて芍薬の間も料金を安く設定した。コウちゃんいわく、少しくらい料金を安くしたって問題ないと言う。だがそれを聞いたカオちゃんは酷く怒っていた。身体は大きいが、やはりカオちゃんには敵わないみたいだ。


 コウちゃんも最初は落ち込んでいたが、ペンションのオーナーということもあってかすぐに立ち直った。いや違う。立ち直ったというスタンスをとったのだ。父さんの事件についての疑惑は払拭されたが、胸にあるしこりは大きくなったはずだ。例え虚栄であっても胸を張れているのは、きっとカオちゃんたちがいるからだ。


 俺の生活も、ある一点において以外は普通に戻った。イジメられていた過去が変わるわけでもないし、友人がほとんどいないのも変わらなかった。


 母さんにすべてを話すと「やっぱりね、あの人が浮気なんていう器用な真似できるわけない」なんて言いながら、目には涙を浮かべていた。真実が知られたということより、信じ続けた時間が無駄ではなかったことが嬉しかったんだ。俺の母さんはそういう人だ。


 冴子は警察に捕まりすべてを自供した。二十年前に俺の父さんを殺し、純の母親を殺した。数ヶ月前は安城早苗と柳原士郎を殺し、コウちゃんを犯人にしようとした。一回は怒鳴ってやろうかと思った。しかし、会いに行ったときに怒る気が失せた。一気に老け込み、腰が曲がった老婆のようになってしまった。「ええ」「そうね」「ごめんなさい」くらいしか言葉を発することができなくなっていた。彼女はたぶん、人として壊れてしまったのだと思う。


 冴子は父さんを許したわけではない。あのときのコウちゃんの言葉を飲み込んだのだ。誰かのためと思って自分の手を汚した。それは父さんも冴子も同じだから。


 冴子には余罪があった。一つや二つではない。あのペンションで殺した人間の他に、最低でも四人は殺していた。いずれも達夫の死に関係した人たちだと、純が教えてくれた。ゆっくりと時間をかけながらも、確実に全員を殺した。証拠はほとんどないに等しかったが冴子が自供したらしい。その方法も明確に供述した。探偵という職業を利用して何度も身辺調査を行った。対象の生活ルーティンを把握し、事故に見せかけて犯行に及んだ。


 冴子の自宅を家宅捜索すると、計画殺人の内容を記した書類が発見されたという。何ヶ月、何年という時間をかけた身辺調査の記録もあった。計画的かつ悪質な犯行。そういう背景もあったが、それでも死刑にはならなかった。終身刑、それが冴子に言い渡された刑罰だった。


 彼女が刑務所で自殺したという話を聞いたのは、二週間前のことだった。食事中にプラスチックのスプーンを折り、そのまま喉を掻っ切ったらしい。風の噂によれば大声を出しながら笑顔でスプーンを喉に突き立てたようだ。最後の言葉は「これで一緒になれる」だった。ちなみに噂を運んできた風とは今でも交流がある。忙しく走り回っているフリーライターの女性だ。そもそもこの人がいなければ冴子の余罪も、計画殺人犯であったことさえ知らないままだった。そんな物騒な話を聞かされて、感謝していいのかどうかは難しいところだ。


 腕時計に視線を落とす。そろそろ到着時間だ。


 一度トイレで鏡を確認した。普段髪の毛などいじらないのでやり方がよくわからない。だからフケがないことやクマがないことだけは確認した。せっかく遊びに来てくれるのだから、身なりは整えなければいけない。


 トイレから出て改札の方を見た。まだ到着してないことに安堵した。


 小さくため息をついた。連絡をするためにスマートフォンを取り出し、連絡先を表示させた。


「ケイゴ遅い」


 慌てて振り返ると一人の女性が立っていた。黒くて長い髪の毛。全体的に線が細く、窓辺に佇む文学少女のよう。白いワンピースがよく似合っていた。が、年齢的にはちょっと厳しそうだ。


 見とれていた。最初に出会った頃と同じだ。俺は今でも彼女に会うとしばらく息ができなくなってしまう。

立っていたのは神楽凛子。あのペンションで出会った、見ね麗しい女性だ。


「今良からぬことを考えてた」


 表情はあまり変わらないが、少しだけ口を尖らせているようだった。こういう感情の機微もわかるようになった。彼女は前に言っていた。「私も普通の女だ」と。彼女と接すれば接するほど、その言葉の意味がよくわかるようになっていた。


「そんなこと思ってないさ」


 手を差し出すと、彼女が迷いなく握ってきた。指に少しだけ力を込めると、呼応するように細くて長い指先に力を込められた。ほんの僅かの変化だったが、叫び出したいくらいに嬉しかった。俺はお前のことがわかっているぞ。他の人にはわからなくてもお前のことを理解しているぞ、と。


「純はどうしてる?」


 俺が足を踏み出せば彼女も隣で足を出した。


「二十年前の事件と四ヶ月前の事件について記事を出したから、あっちにこっちに引っ張り回されてる。ヘッドハンティングにあってるみたいで、このままいけば数年以内にはちゃんとした企業でとってもらえるかもって」

「フリーライターやめちゃうのか」

「純がフリーだったのは久坂瑠璃子のことを調べるためで、ペンションの事件を追いかけるためでもあった。その必要がなくなったからちゃんと就職したいって。これからは地に足つけて働きたいって言ってた」

「純もいろいろ大変なんだな」

「それも自分で選んだ道だから。険しくても私は応援することしかできない」

「まあ、忙しいことはいいことだ。なにかあれが俺も手伝うよ」


 あの後、凛子と純とはだいぶ仲良くなった。純のおかげで凛子とは急接近し、二週間ほど前から付き合っている。決して気難しい女性ではないが、よくわからない女性ではあった。そんなところに惹かれたのだから、ミステリアスであり続ける限り彼女を離すつもりはない。


 車の後部席に凛子の荷物を放り込む。彼女が助手席に、俺が運転席に乗り込んだ。


「私、上手くできてるかな」

「上手くってなにが?」

「ケイゴの彼女、上手くできてるかがわからない」

「上手く付き合う必要はないって。そのままのキミでいて」


 凛子は男と付き合った経験がなかった。だから付き合うとうことも、恋人とはどういうことかもよくわからなかった。だからガンガン押した。頻繁に連絡をやり取りして、食事なんかにも誘った。純の手伝いもあって、なんとか凛子にオーケーをもらったのだ。あのときの感動は一生忘れない。


「ケイゴがそう言うなら」


 目が合うと彼女が微笑んだ。彼女は確かに美人だが、俺はそこだけに惹かれたわけではない。無表情で無感情に見えるけど、その辺の人よりもずっと思いやりがある。自分よりも力がある相手には尻込みするし、可愛いものを見れば可愛いと言う。他の人にはどう見えるかは不明だが、俺にとっては自慢の彼女で「普通」の女性だ。


 考え事をするときには手を前で組む。相手を観察しているときは腿を叩く。髪の毛を耳にかけるときは、自分に注目して欲しいときだ。


 キーを回してエンジンをかけた。カーオディオからはビリー・ジョエルのジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アーが流れてきた。アクセルを踏み込むとゆっくりと車体が動き出した。運転中は凛子の顔を見られない。非常に残念だ。


 俺が見ていようが見ていまいが彼女はきっと無表情だ。それが彼女の普通で、日常だからだ。


 信号で止まったときに横を向いた。思った通り、彼女は無表情だった。そんな彼女の横顔はいつもと変わらず輝いて見えた。


 彼女が、そっと髪の毛を耳にかけた。大丈夫、俺はもうキミに釘付けだ。









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探偵は二度死ぬ 絢野悠 @harukaayano

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