四日目・2

 純と凛子に先導され、俺たちは二階の廊下にいた。早苗の部屋と遊戯室のドアを開け放ち、二人以外は階段を挟んだ反対側に立っている。各自コートを羽織っているが、これも純に言われたからだ。


 冴子と凛子の間では、階段を挟んで見えない火花が散っていた。


「いいわ。凛子ちゃん、アナタの意見を聞きましょう」


 冴子には相当な自信がある。絶対に自分が正しい、自分の方が優れている。そう思っているから受け入れた。


 今度は観客に回る姿勢を見せていた。それでも自分の推理が一番だと思っているに違いなかった。これは推理でも検証でもない、ショーなのだと言わんばかりに腕を組んでいた。


「どういうことなんだ凛子。なにを――」


 純が手を伸ばしてきた。待て、ということだろう。純は薄く笑っているが、瞳の奥には妙な自信が見えた。


「それでは第一の殺害、安城早苗の方から。疑問点はいくつかあるけど、ひとつずつ確認したい。まずは殺害現場の方から」

「純ちゃんも言っていたわね。殺害現場が遊戯室である可能性ね。でもそれはリスキーだと私が言ったはずよ」


 冴子が不遜な態度で言った。


「この世にはリスクを犯さない人間など存在しない。それに探偵という不安定な職業についていながらリスクを問うのは一貫性にかけるかと。でも私が主張するのはあくまで可能性であって確実性があるものではい。それだけは理解して欲しい」


 凛子は冴子しか見ていなかった。生徒が教師に教えを請うというようなやりとりではなさそうだ。どちらかというと、競合相手と対決しているような雰囲気だ。


「言い分はわかった、続けて」

「これは仮説として聞いてほしい。どうして遊戯室が殺害現場だと思ったのか。その理由は、足の爪に引きずったような跡があったからです。安城早苗は几帳面な性格。爪も綺麗に整っていたし、ペンションに泊まりにくるのに歯ブラシやタオルを持参していた。ペンションに備え付けられているものには手を付けていない。おそらく、ペディキュアが剥げていればすぐに塗り直すはず。気付かなかったということもない。私が見た限り、彼女は爪や髪をしきりに気にする。その証拠にテーブルの上にはブラシとマニキュアが綺麗に揃えられていた。安城早苗は遊戯室で殺され、運ばれた。そのときに足の爪を床に擦ったと考えられる」

「説得力に欠けるわ」

「仮説なので大丈夫」


 冴子がやや不機嫌そうに「そう」と言った。肩をすくめ、首を横に振っていた。


「部屋に安城早苗の遺体を運び、ベッドに寝かせた。犯人は洗面所の下にあるバケツを見つけ、あることを思いついた。ここまでは冴子さんと一緒。でも私は雪を運んだとは思えない」

「それはどうして?」

「ケイゴ。昨日話してくれたけど、安城早苗が殺害された夜に遊戯室の窓が開いていたというのは本当?」


 急に振られて心臓が飛び出そうになった。右を見ても左を見ても、全員が俺のことを注視していた。


「ああ、えっと、そうだ。窓は開いてた。俺が締めたんだ」

「床に水滴は落ちていた? 特に室内」

「窓際は確かに濡れてたよ、ちょっとだけ。でも室内にはなかったと思う。電気もついてたし、もし水滴が落ちてたら光の反射で気がつく」

「拭いたような跡もなかった?」

「たぶんなかったと思う。遊戯室の床って水に濡れると濃い茶色になるんだ。拭いてもすぐには元の色にはならないよ」

「暖房はかなり弱めに設定されてる。間違いない?」

「それも間違いない」


 凛子が一つ頷いた。


「わかった、ありがとう。これで判明したことがある。もしも雪をバケツで室内に運んだ場合、多少なりとも水滴、ないし雪が落ちる。暖房も弱いから乾くのも遅いはず」

「じゃあ室内の水はどうやって説明するの?」

「そもそもなぜ雪を持ってくる必要があるの? あそこにあったのは水。あれはそのまま、水だったと私は考えている。じゃあなぜ水を撒いたのか。理由は一つ、死亡推定時刻を誤魔化すため。私は冴子さんとは逆で水を撒くことで「死体を雪で覆った」と思わせることこそが本来の目的だったと思う。だとすれば死体は冷やされていなかったし、逆に温められていた。暖房で部屋を暖めれば死体の死後硬直は進む。リモコンの気温は最高まで設定されていたから、冴子さんが言う死亡推定時刻からだいたい二時間程度はズレる。なぜそんなことをしたのか。当然、浩二さんの犯行を印象づけるため」

「でも二時間ズレたところで浩二さんのアリバイが成立するわけではないでしょう? それに雪は確実に持ち出されていた。バルコニーの雪が凹んでいたもの」

「雪に関しては文字通りへこませればいいだけ。あとは雪が覆ってくれる」


 凛子が「ふう」とため息を一つ。その後で更に続けた。


「では次に密室、と言いたいところだけど第二の事件に移行したい。純、お願い」


 純は「おうとも」と言って、コウちゃんから借りた鍵で楓の間を開けた。


 楓の間は殺風景を絵に描いたような部屋だ。ベッドにはマットレスだけで毛布も布団もない。アメニティグッズも電気ポットもない。


「こちらも、殺害現場は遊戯室だと思う。理由は簡単で楓の間を開けられるのは浩二さんだけだったから」

「つまり浩二さんが犯人であれば犯行は可能ということじゃない。私に対しての反論にはなりえない」

「それがそうとは言えない。ゆかりさんに質問がある。士郎さんは寝る直前まで私服でいる人?」


 今度はゆかりだ。俺と同じく、戸惑いながら「そ、そうだけど」と小さい声で答えていた。


「実際、外にある士郎さんの遺体は赤いタートルネックのセーターを着てジーンズを穿いていた。そして大きなバックルのベルトをしている。このバックルが厄介で、もしも窓から落とそうと思ったら間違いなく窓にひっかかる。ジーンズは脱がされていたけれど、バックルは見えていた。士郎さんはペンションの建物の方に頭を向けているから、窓枠をバックルで傷つけずに落とすことはできない。それに警察が入ればわかることだけど、無理矢理落としたのならば窓枠からは士郎さんの皮膚片が検出されるはず。同時に士郎さんの腹部に傷がないとおかしい。腹部に傷がないのであれば仰向けのまま遺体を落としたと考えることもできる。でもそれも困難に思える」

「そんなもの、やりようはいくらでもある。毛布なんかを噛ませて落とすこともできるじゃない」

「楓の間には布団も毛布もない。浩二さんが一階から持ってきた、と言われればそれまでだけど。でももしも他の場所から落とすことで、今の士郎さんが落ちた様子を再現できば、楓の間で殺された、楓の間から落とされたという推理に穴を開けることができる」

「はいはい皆さんこちらへどうぞ。遊戯室に参りますよ」


 純が先頭となり、全員を遊戯室へ案内した。彼女たちが言うにはここが殺害現場だというが、ビリヤードの台が動いたりなにかが壊されているわけでもない。


 純と凛子は迷うことなく窓の方に歩いていった。遊戯室に入って左手の窓。安城早苗が殺された日に俺が締めた窓とは違う方だ。


 バルコニーに出て、他の部屋がある方を向いた。下には士郎の遺体がある。それは俺が第一発見者だからよく知っている。


「窓から顔を出して見ていてくれればいい」


 凛子が「ここに傷がある」と指さした。バルコニーの手すりの端、うっすらと筋のような傷があった。


「士郎さんのバックルが擦れた跡だと思う。建物側に頭を向けて落とした場合、ちょうどここにバックルが来る。脱ぎかけのズボンでも、バックルが正面を向いていれば傷もつく」

「なんでわざわざバックルを下にして落とす必要があるの? そんな証拠を残すようなことしなくても落とせるでしょう?」

「犯人は士郎さんの遺体をできるだけ仰向けにして落としたかった。それは楓の間から落とされたのだというのを強く印象づけたかったから。人の体を正面から持ち上げて楓の間から落とした場合、今の士郎さんのような格好になる。そう、ここから落としても楓の間から落としたように見せるには、バックルを下にして手すりの上に乗せるしかなかった。ではなぜか。それは力がないからです。落ちるときに身体が回転することを考慮すると、そうせざるを得なかった。セーターを腕の位置で固定したのも、ズボンをスネで固定したのも、横回転の際に身体の下敷きにならないため。もしも左腕が投げ出されていて右腕が身体の下に敷かれてしまったら、楓の部屋から落としたにしては不自然になってしまう。そして犯人は士郎さんの遺体を落とす前に、楓の間の窓の雪をビリヤードのキューで払った。こちらは証拠がないけど、そうすれば窓の下の雪がないことも証明できる」

「でも普通に考えれば、布団や毛布を使って傷が付かないようにするでしょう? この傷は別の要因によってできた物よ」

「そうしなかった理由にも見当がついてる。毛布や布団で傷が付かないようにしようとすれば、使った布団や毛布を落とす可能性があった。紐やロープでくくりつければそんな心配はなかったかもしれないけど、きっと犯人は持ち合わせがなかったから、直接落とす方法を選んだんだと思う。それに荷物も増えてしまうし、誰かと鉢合わせしたときに濡れた毛布を持っていれば不審に思われてしまう」


 凛子が手を挙げた。中に入れ、ということだ。


 窓を締めて鍵をかけた。純も凛子も相当寒かったはずだ。深く息を吐きながら身体を震わせていた。


「士郎さんが殺されたと思われる時間に、私たちは物音を聞いた。それは純もケイゴも聞いている。雪が落ちたときと同じような音だった。音がしたのは一時前。おそらく士郎さんがおとされたのはそのとき」

「それも全部仮説?」


 冴子が腕を組んだ。


「仮説として受け取っておいてもらいたい。ただし、今の意見から冴子さんの推理も完璧ではないと証明した。浩二さんのようにマスターキーを持っていなくても犯行が可能だったと」

「いいえ、まだよ。密室はどうやって説明するつもり? それが解明できなければ浩二さんの容疑は晴れないはずよ」


 凛子が身体の前で手を合わせた。淑やかな動作で落ち着き払っている。けれど神経が図太いわけではない。彼女は「普通」に怖がっていた。僅かに震えている手がそれを物語っている。


「お聞きましますが、安城早苗の部屋が密室であったという根拠はなに?」

「鍵がかかっていたし、鍵が室内の床に落ちていた。密室が壊れたのは浩二さんが鍵を持ってきてあけたからよ。これが密室でなくてなんだと言うの?」

「それだけ聞けば密室かもしれない。ではケイゴにもう一度訊きたい。楓の間で電話線はどこにあった?」


 矛先がこちらに向いた。ここで返答を失敗すれば凛子の勇気も無駄になる。


 酷く手汗をかいていた。特別なことをしているのは凛子のはずなのになぜ俺だが緊張している。逆を言えば凛子は俺以上に緊張しているのではないだろうか。


「えっと、マットレスの下だと思ったけど」

「見つけたのは誰?」

「冴子さんだった」

「自信は持てる?」

「間違いない。そばで見てたし」

「では安城早苗の部屋の鍵は誰が見つけた?」

「それは冴子さん――」


 青天の霹靂だった。鈍器で頭を殴られたような、そんな気分を味わった。実際の経験はないが、衝撃が大きかったのは間違いない。


「純、鍵ちょうだい」


 凛子が手を出すと、純が手の上に鍵を乗せた。セーターの袖の中に鍵を隠し、遊戯室を出ていった。全員で後を追う。凛子は早苗の部屋の中、ベッドの横に立っていた。

「ケイゴはもうちょっとだけ手伝って。冴子さんが鍵を見つけたときどんな感じだ

ったか教えて欲しい」

「どんな感じって言われても……。こっちに頭を向けるような体勢でベッドの下を覗き込んで、それから手を伸ばしてた」


 凛子が同じようにしてしゃがみ込み、ベッドの下に腕を伸ばす。


「それから鍵の音がして、手を抜いたら鍵を持ってた」


 チャリンと、金属音がした。腕を引き抜くと、そこには鍵が握られたいた。


「これで密室ではなくなった。でも密室でない部屋を密室にできた人間がいる」


 細くて白い指先が一点を指さした。


「それでは主張する。安城早苗と柳原士郎を殺した犯人。それは白沢木冴子さん、アナタです」


 声量は小さいのに凛としていてよく通る声だった。


「私? そんなことする必要がないわ」

「必要とは動機のこと? それならアナタが最初に言ったでしょ。警察が詳しく調べてくれるって」

「だとしても私はそんな幼稚な手は使わない。もっと綿密な計画を立てて、しっかり下調べをしてから行動に移す。事務所の所員に訊いてもらえば私の性格はわかるわ」

「つまり突発的な反抗だったと自供しているのと同じでは?」

「突発的にしてももうちょっと上手くやるわ。私を誰だと思ってるの? 警察にも協力したことがあるのよ? たくさんの事件を解決してきた」

「それなら余計にわかるんじゃない? トリックっていうのは思い付くものではあるかもしれないけど、その場で練り上げられるほど簡単なものじゃない。それにドラマや小説のように、咄嗟の思いつきでトリックを使えるかと言われたら私はノーと答える。どれだけ頭の回転が早かろうとも机上の空論。物理的に、身体的に不可能な場合だってある。例えば完璧に見える密室トリックがあっても、その密室を完成させるためには試行錯誤が必要になる。でも、アナタにはそんな時間はない。イコール、トリックが稚拙で大雑把だったとしてもおかしくはない」


 ここまで言われても冴子は顔色を変えなかった。


「いいわ。じゃあ私が犯人という過程で話を進めるわ。浩二さんが最後に電話をしたのが夜九時。それから朝まで電話は使わなかった。でも私は食堂とお風呂にしか行っていないのよ? どうやって電話線を盗んで凶器にするの?」

「電話線が凶器、というのがそもそも思い込み。他にも細い紐状のものはたくさんある」

「私が見る限り、取り外せて元に戻しても違和感がないものなんてないわ。テレビのケーブルくらい? でももし壊れたらすぐにバレるわ」

「なぜこのペンションにあるものを使おうとするのかわからないけど、一つ証拠品を提出してもらいたいの。断らないよね?」

「証拠品?」

「ええ、これから全員で冴子さんの部屋に行ってスマートフォンの充電ケーブルを証拠品として扱う。昨日全員の部屋を回ったときにはあったはず。提出、願いします」


 やや間を置いて、冴子がため息をついた。「いいわ」と言って自分の部屋に入った。


 凛子は充電ケーブルを受け取り、ポケットから出した食料品用のビニール袋に入れた。


 早苗の部屋に戻り金庫の前に立った。出かけるときなどにつかう小さな金庫で、最初に暗証番号を設定するタイプのものだった。


 金庫のランプは赤く光っていた。赤く光っているときは施錠されている証拠だ。


「香織さん、この金庫って無理矢理開けられます?」

「開けられるわ。ちょっと待ってて」


 カオちゃんが急ぎ足で一階に降りていった。しばらくして金庫のランプが緑色に変わった。


 カオちゃんが戻って来るのを待ってから金庫を開けた。そして早苗の部屋の金庫に冴子のケーブルを入れた。そして金庫の中からなにかを取り出していた。


「ゆかりさん、好きな数字を押してくれる? ゆかりさん以外の人は後ろを向いて」


 戸惑いながらもゆかりが前に出てきた。言われたとおりに後ろを向くと、しばらくしてゆかりが戻ってきた。


 凛子が次々に指名していった。カオちゃん、純、冴子の順番で数字を入力し、金庫のランプが赤く光った。これで四桁の暗証番号がなければ金庫は開けられない。


「浩二さんは食事のあとに寝てしまうし、深夜に自分から電話をかけることってまずないと思う。ここはペンションだから電話がかかってくることはあるかもしれない。でも深夜にかけてくる人はそうそういないはず。かかってこなかったら、こっちから電話をかけない限りは電話線が切られてるかどうかなんてわからない。つまりいつ電話線が切られたのかは、正直なところわからないということ。それならスマートフォンのケーブルで殺害し、時間を置いてから電話線を切って盗めば電話線に対するアリバイは意味がなくなる。逆に、もしかしたらもっと前に盗まれていたのかもしれない。そんなリスクを犯してまで電話線を凶器に見せかけたのは、浩二さんの犯行をより印象づけるため」

「なるほど、私の充電ケーブルを回収した理由はわかったわ」

「警察が来て金庫の中にあるケーブルを調べれば、きっと冴子さん以外のDNAが検出されるはず。消去法でいけば凶器として可能性が高いのはケーブルだから。それに早苗さんの死体を検死にかければ、ちゃんとした死亡推定時刻が割り出せる。早苗さんが食事を終えたのは八時前。炭水化物が消化されるまでの時間は通常八時間から十二時間と言われている。冴子さんが言うとおりの死亡推定時刻だとすれば、かなり消化が進んでいることになる」


 冴子はいまだに動揺を見せていなかった。凛子が正しいのか、これではわからない。


「そこまで言っておいて私が犯人じゃなかったら?」


 凛子は間髪入れず「謝る」と言った。


「それで済むと思ってるの?」

「じゃあ聞き返すけど、浩二さんが犯人じゃなかったら? つまりそういうこと」


 初めて冴子の目尻が吊り上がった。凛子はわざと挑発しているのだろうか。挑発でなかったとしたらとんでもない大物だ。


「警察が来ればケーブルを調べる。でも早苗さんと士郎さんの皮膚片でも検出されたら当然疑われる。それに、アナタが犯人に追いやるための証言もいくつかある。浩二さんに訊きたい。早苗さんが死んだ日、ケイゴに雪かきをさせた?」

質問先が自分だと思わなかったのか「あ、ああ」と言葉が漏れた。

「二階のバルコニーを雪かきさせた。でもそれは浩二さんの意見じゃない。では誰に言われたの?」

「冴子さんに言われた。次に殺人があったときに雪を使われないようにって」

「ありがとうございます」


 淑やかな動作でコウちゃんに礼をした。


「アナタの推理は私が覆した。なにか反論は?」

「まだ決定的な証拠にはならないわ」

「今は、だけど。時間が来れば立証できる。例えばアナタのカバンに入っていた風邪薬と睡眠薬。あれに早苗さんの指紋がついていたら? 士郎さんの部屋のゴミ箱から、その睡眠薬の包装が見つかったら?」

「風邪薬にどうして早苗さんの指紋が? それに睡眠薬なんて使ったら検死ですぐにわかってしまうわ」

「これだけは言えるけど、風邪薬はアナタのものではない。早苗さんはこのペンションに来たときから具合が悪そうだった。でもアナタはそうじゃない。早苗さんの物だと考えるのが自然。睡眠薬を使ったのは早苗さんにでもなければ士郎さんにでもない。アナタは睡眠薬をゆかりさんに使った。方法は士郎さんにでも渡した、かな。安定剤だとかなんとか言って、士郎さんを介してゆかりさんに飲ませた。同時にビタミン剤だと言って、士郎さんが飲むようにと風邪薬を渡した。そうすれば辻褄は合う。ゆかりさんは先に眠るし、士郎さんと二人になるチャンスができるんだから」

「具合が悪そうという理由だけで、あの風邪薬が早苗さんのものだって? 子供じゃないんだから――」

「さっきも言ったけど安城早苗という人間は几帳面」


 凛子が食い気味に入ってきた。これ以上言わせるつもりがない、という意思表示に見える。そして続けた。


「カバンの中は綺麗に整頓されていた。それに几帳面だからこそ、風邪薬だったり睡眠薬だったり頭痛薬だったりを持ち歩いてた。几帳面と言うよりも神経質に近いけど」

「風邪薬を持ち去る理由は?」

「抗ヒスタミン剤。お酒と一緒に飲むと眠気を誘発する。睡眠薬を飲ませると不審な点として調べられるかもしれないけど、風邪薬なら下手に疑われることはない。作戦は見事ハマった、とも言える」


 冴子が顔を伏せて髪の毛を掻き乱した。腰に手を当てて大きなため息をつく。


「アナタみたいな小娘にしてやられるとは思わなかったわ」

「認めるのね」

「証拠が金庫の中だからね。いくら拭いたり洗ったりしたところで、完全にDNAを拭ききれるわけじゃない。それに風邪薬や睡眠薬の件もそう。お見事、正解よ。ここじゃなんだし下に行きましょうよ」


 冴子が自分の犯行を認めた。俺のことを助手と言い、探偵として腕を振るっていた。ペンションの中では探偵役だったし、一番現場を探っていた。いや違う。彼女は自分に都合がいいように現場をかき乱していただけだ。


 彼女が背を向けた。優雅に腰を揺らしながら階段を降りていく。「ここじゃ寒いわ」と言う彼女は、俺が知っている白沢木冴子という探偵とは違って見えた。

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