四日目・1

 朝起きると少しだけ頭が痛かった。にも関わらず気分がよかったのは凛子と二人で話をしたからだ。彼女が話してくれた内容が思い出された。少しだけ感情を表に出せないだけだ。普通の女性だということもわかった。


 結局凛子とは三時くらいまで話し込んでしまった。凛子が小学校の頃にどういう少女だったのかとか、中学校に上がってどれくらい勉強ができたかとか、高校に入って文芸部に入っただとか。そんなたわいない会話ばかりだった。その時間が有意義で、長く続いてくれたらどれだけ幸せだろうかとさえ考えた。


 話しぶりは淡々としていたが、それが彼女の良さでもあった。普段長話をしないからこそ、話してくれることに喜びを感じていた。


 全員で朝食を食べ、全員でコーヒーを飲んだ。ここ数日でだいぶ連帯感が出てきた。


 テーブルをくっつけ、オーナー夫妻以外が同じテーブルを囲んでいた。ゆかりにも僅かながらに笑顔が戻りつつあった。


 時間を空けてオーナー夫妻が食堂にやってきた。おそらく食事は厨房で食べたのだろう。その手にはコーヒーカップだけがあった。コウちゃんとカオちゃんも同じテーブルにつく。


 冴子が「よし」と言って立ち上がった。コツコツとヒールを鳴らし、彼女の定位置についた。胸ポケットから手帳を出す。けれどペンは出さなかった。


「申し訳ありませんが、まだ席は立たないでください」


 低めの声色が食堂に響いた。


「どうかしたんですか? またなにか問題が?」


 冴子が俺の顔を見て、口を弧に歪ませた。自信満々とはこういうことを言うのだろう。顔にも声にも仕草にも覇気が込められていた。


「問題が起きたんじゃないわ。問題を解決するのよ」


 腰に手を当て高らかに宣言した。その声は、この事件の幕引きを予感させた。


「最初の事件が起きたのは二日前の深夜二時から明け方の六時。死体を雪で覆い、その上で暖房を使ったので死亡推定時刻には多少のブレがあります。凶器は電話線で殺害方法は絞殺。殺害現場は安城早苗の部屋となります。ここまでは説明しましたね」


 冴子が全員の顔を見渡し、一つ頷いた。


「ではひとつずつ整理していきましょう。死体を雪で覆ったのは死亡推定時刻を誤魔化すためです。これは成功とも言えますね。現段階では特定には至りません。雪を持ち運んだ方法はバケツと予想できる。使っていないはずのバケツが濡れていたところからも間違いないでしょう。では次に凶器。これは楓の間で発見されました。おそらく二つの事件に共通した凶器だと思われます。ほかに外傷が見当たらないので絞殺であることは間違いない。殺害現場が安城早苗の部屋、というのは他の部屋である必要性がないからです。現場が変われば移動させるのが大変になる。逆を言えば、安城早苗の部屋以外で殺害したのならばそこに放置すればいいのです」

「ちょっといいですか」

「はい、純ちゃん」


 やはり手を上げるのは純の役目だった。

「もしも殺害現場が違った場合、早苗さんの部屋に運ぶ理由はいくつか思いつきます。部屋が密室であったことが一番大きいんじゃないでしょうか。アリバイが確定できない状況だと、密室を作れるかどうか、その密室を作るための道具を有しているかどうかというのは判断材料になるんじゃないですか? 密室が作れれば、遺体を早苗さんの部屋に運ぶ意味は出てきます」

「確かにそうですね。では殺害現場が他にあるとすればどこだと思う?」


 純は腕を組み、右手で顎を押さえた。


「遊戯室、とかですかね」

「それは面白い。でもその証拠はないのよね? 仮に遊戯室で殺した場合、かなりのリスクを背負うことになると思うのだけれど」

「それもそうですね。忘れてください」

「他に質問がある人はいますか?」


 他の面々は意見がないようだ。食い入るように冴子の方を見ていた。


「第二の事件にいきましょう。死亡推定時刻は十二時から二時頃だと考えられます。安城早苗と同じく殺害方法は絞殺、凶器も同じかと。殺害現場は楓の間」


 先ほどと同じように、ぐるっと全員の顔を見て視線を合わせた。一つ一つ理解できているかを確認しているのだ。


「死亡推定時刻に関してですが、雪に死体が埋まっていたので誤差を修正してあります。常温であれば二時間ほど遅い時間になったでしょう。殺害現場の楓の間ですが鍵穴にピッキングをしたような傷があり、凶器も隠されていたので殺害現場としての信憑性が高い。窓際の雪が落ちていたことから、死体は楓の間から落とされたものと推測します。なぜそんなことをしたのか、というのが少し引っかかります。考えられる理由として発見を遅らせたり、楓の間に置いておきたくなかったなどが考えられます。それではここからアリバイを整理していきましょう」


 冴子が手帳からから一枚の紙を抜き取り、テーブルの上に置いた。客室に常備されているメモ用紙だった。


 上からコウちゃん、カオちゃん、俺、冴子、ゆかり、純、凛子の順番でアリバイが整理されていた。


「ほぼ全員にアリバイがありません。アリバイがあるとすれば二人でペンションに泊まった方々のみ。当然私にもアリバイはない。しかし、ここでもう一つの要素を追加していきましょう」


 もう一枚、新しい紙をテーブルに置いた。同じようなアリバイ表にも見えるが、赤と青のインクで印がついていた。


「赤い印をした人は一階、青い印をした人が二階にいた人です。一日目も二日目もオーナー夫妻だけが一階、客室に宿泊している人が二階にいます。そこからさらに行動範囲を絞っていきます」


 三枚目の紙は緑色のインクで印が入っていた。入っていたというよりは、緑色で丸が追記されているだけだ。一人の名前にだけ、緑色の丸がついていた。


 目を疑った。身震いした。そんなことがあってたまるかと冴子の顔を見た。冴子は少し悲しそうに眉根を寄せてこちらを見たが、すぐに元の「探偵白沢木」に戻っていた。


「その上で安城早苗の部屋と楓の間に入れた人間は一人しかいないんですよ。二階にいる人間が一階に降りれば浩二さんと顔を合わせることになる。でも逆はありえないんです」


 冴子が身体を起こした。


「犯人はアナタです。幡辺浩二さん」


 視線が集まった。コウちゃんだけ時間が止まったようだった。口を半開きにして、瞼は限界まで開かれていた。


 十秒くらい間があっただろうか、ようやくその唇が動き出した。


「な、なに言ってるんですか冴子さん! 俺がそんなことするわけないでしょう! できるわけがない!」

「そうですよ! 主人はそんなことできません!」



 カオちゃんが勢いよく立ち上がると、イスが音を立てて倒れた。顔を真赤にして怒っているというわけではない。むしろ青ざめている。微かに唇が震えていた。


「身体は大きいけど臆病な人なんです! そんなこと、そんな……」


 徐々に語調が弱くなっていった。こんなカオちゃんは見たことがなかった。打ちひしがれているのが手に取るようにわかった。


「お気持ちはわかります。ですが事実なんです。先程も言いましたが、施錠されている楓の間に入ることは、マスターキーを持っている浩二さんにしかできないのです。あのピッキングの跡はブラフです。外側には傷がありましたが鍵の奥には傷がありませんでした。そしてマスターキーを使えば安城早苗の部屋も簡単に密室にできる。純ちゃんが言いましたが、他の部屋で殺害したという可能性でも浩二さんほど筋肉質であれば運ぶのも苦労しないでしょう。当然、窓の外に人を放り投げるのも。反論があるのならば、逆に浩二さんが犯人でない証拠、もしくは他の人が犯人である証拠を提示できなければ覆せないのです」


 冴子はカオちゃんに向かって手を差し出した。


「決定的な証拠を見つけ、犯行を立証できるのでしたらどうぞ。この場をお譲りします。どうですか?」


 見ていて可哀想になった。ほんの数分の間の出来事だったはずなのに、カオちゃんの顔からはどんどんと血の気が引いていた。コウちゃんは返す言葉が見つからないのか、冴子のことを見ているだけだった。


 幡辺浩二という男はそういう人間だ。決して頭の回転が早いとはいえないし、上手い切り返しができるような人間じゃない。それに怨みを買うことも、誰かを恨むこともしない。おおらかで頼られる、そういう人だ。


「待ってくれよ冴子さん。そんなのあんまりだよ」


 口を出さないわけにはいかなかった。


「恵悟くん。こればっかりはどうすることもできないのよ。言ったでしょう。浩二さんにしかできないの」

「動機はなんですか? 人には行動原理っていうのはつきまとうはずだ。コウちゃんがとんでもないサイコパスでもない限り動機は存在します」


 引っかかっていた部分。もうこれしか手段がないと思った。


「それは警察が調べてくれるわ。でもあえて言うならば、浩二さんは早苗さんと仲が良さそうだったわね。後ろめたい関係でないといいけど、もしも背徳的な関係であって、早苗に断られたとしたら。そしてそれを士郎さんに見つかったとしたら。動機も完全に成立しうるとは思わない?」

「うちの主人はそんなことはしません!」


 カオちゃんは涙を流していた。コウちゃんのことを信じている。信じているからこそこの場をなんとかしたい。しかし、その手段が見つからないのだ。


 涙の理由はが疑われたからではない。冴子の意見をひっくり返せない自分が情けないからだ。


「絶対ですか?」


「絶対です」と、震えた声でカオちゃんが言った。

「信じているんですね。それじゃあ恵悟くん、昨日私がした話を覚えてる?」


 急にこちらを向いたので「ええ」としか答えられなかった。


「二十年、三十年友人として付き合ってきた相手の連帯保証人になり、借金を押し付けられるというのを聞いたことがあると思います。何十年も一緒にいて信じてきたから保証人になった。でも現実はどうですか。自分が一方的に信頼を押し付けていただけにすぎないんです。そういうスタンスなのは本人だけ。信頼というのは脆いものですよ。調べれば誰だって後ろ暗い部分が顔を出す。恵悟くんも香織さんも知らないだけでね」

「ちがう。俺じゃないんだ。俺はやってない」


 コウちゃんの声は小さかった。


「殺人犯を野放しにしておくことはできません。どこかに隔離しておくのがいいでしょう。隔離に対して賛成、という人は手を挙げて」


 まっさきに手を上げたのは、鬼のような形相でコウちゃんを見ていたゆかりだ。次いで純、そして凛子だ。


「恵悟くん。よく考えなさい。信頼というものがどういうものであるのか。価値観を変えなければ騙されるのはキミなのよ。最終的に選び取るのもキミだけど、私はキミを間違った方向へ導きたくないの」


 そんなに優しい眼差しで俺を見ないでくれ。俺に手を挙げろというのか。父さんが死んで、コウちゃんにもカオちゃんにもたくさん世話になったんだ。コウちゃんだって実の兄が死んで悲しかったはずなのに、俺のことを考えてくれたんだ。そんな人たちを裏切れっていうのかよ。


「違う……」


 それしか言葉が出てこない。頭の中では今までの出来事が糸くずになってぐちゃぐちゃに絡まっていた。その糸を解いている時間はない。


「さあ、選んで」と、冴子が急かす。

「コウちゃんじゃない……」


 なんでなにも言葉が出てこないんだ。ちゃんと弁解しなければと、そう思えば思うほどに糸くずがどんどんとい色あせていく。そしてついに頭の中が真っ白になってしまった。


 誰でもいい。この際凶悪犯でもなんでもいい。だから、誰か俺を助けてくれ。俺が大切にしている人を助けてくれ。


「誰でもいいから、なんとかしてくれよ」


 思わず、口にだしていた。


「あの」


 そのときだった。細く、凛とした声がなにもかもを切り裂いた。その声は小さかったはずなのに、全員の視線を釘付けにするほどの力があった。


「私は賛成したんじゃない。意見を言うために手を上げたの」


 声の主は神楽凛子、その人だった。

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