インターバル 二十年前~金城恭一~
このペンションには一応従業員としてやってきた。しかし半分は宿泊客のようなもので、恭一には緊張感のかけらもない。
「もう寝る? だとしたらちょっと早くない?」
浩二が起きてきたのを見て、缶ビールを開けた。
「すぐ寝るように見えるか? 一杯だけひっかけるよ」
時刻は十一時。見張り番の交代時間だ。人数が少ないときは十二時や一時が交代時間になるが、従業員が四人いる状態ならば交代までの時間は短縮できる。
「ちゃんと起きてくれよ? 明日も忙しくなりそうだ」
「お前外見てから言えよ。めちゃくちゃ吹雪いてるぞ。このままだと、明日の客は当日キャンセル続出だろうな」
「やめてくれよ、そんなことになったら商売上がったりだ」
「その代わり今日の客をもう一泊させたらいい」
「それで満額取るのは気が引けるじゃないか」
「お前なあ、客商売すんならそれくらいやんなきゃダメだぞ? いつか続けられなくなっちまう」
「少し割引して泊めるよ」
「タダで泊めるって言い出さないだけいいな。ほれ、お前も飲めよ」
浩二の前にビールを差し出す。渋い顔をされるが「一本なら残らないだろ」と言ってプルタブを起こした。
「仕事中なんだけどなあ」
そう言いながらもビールを受け取った。
「そうそう、それでいいんだよ。それに誰も降りてきやしない」
「次は香織なんだよ。飲んでるなんてバレたらなに言われるかわからないよ」
「俺のせいにしとけ。兄さんから無理矢理渡されたんだって」
「そしたらまた怒られるじゃないか」
「怒られる理由がないだろ」
「お義兄さんのせいにするんじゃない、って怒られるの。香織は怖いんだ」
「基本的に嫁さんは怖いんだよ。結婚一年目でだいたいの男は察するのさ」
缶に口をつけてぐいっと飲んだ。つられるように、浩二もビールを飲んでいた。
「でも、こういうの久しぶりだよね。俺が結婚して、このペンションで働き始めてからは全然なかった」
「つっても一年やそこらだ。人生はまだまだ長いぞ。機会はいくらでもある」
「それもそうだ。お互いまだ二十代だしな」
「兄さんがギャンブラーになって借金でもこさえない限りは、たぶんこのままだよ」
「そりゃこっちのセリフだ。せいぜい香織ちゃんに捨てられないようにしろよ」
「香織はそんな女じゃない」
「香織ちゃんがダメになる、っていうかお前が捨てられるようなことをする可能性の方が高い」
「俺のことなんだと思ってるんだよ……」
「ははっ、落ち込むなよ。冗談だよ、冗談」
恭一は下を向き、長く細い息を吐いた。
「なんだよ、いきなりため息なんかついて」
浩二に顔を覗き込まれるが、嫌がるような素振りは見せなかった。
缶をベコベコと二回ほど凹ませて、急に顔を上げた。
「嫁と子供がいないと、いろいろ考えちまうんだよ」
恭一の意味深なセリフに浩二はピンときた。眉を潜め、深く息を吐いていた。
「まだ後悔してるの?」
「当たり前だろ。あんなことになって、ずっと後悔してる。アイツらの言うことなんて聞かなきゃよかったよ」
「兄さんのせいじゃない。あれは、アイツらが悪いんだ」
「同罪だよ、俺も。すぐに警察に行くべきだったんだ。それか自分で助けるべきだった」
「助けになんていったら、兄さんもどうなってたかわからない。もう何年も前のことだ。忘れよう。俺と兄さんの秘密だ」
「ああ、そうだな」
恭一は口を開き、なにかを続けようとしてやめた。
「なんだよ、言いたいことがあれば言ってくれよ」
「お前が弟で良かった、と思ってさ」
「なんだよ、改まって言われると恥ずかしいじゃないか」
「っていう冗談」
浩二は目を丸くしたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「そういう兄貴でいてくれよ。こっちもやりやすい」
「ああ、ありがとよ」
缶の中身を飲み干した。「缶は置いてっていいよ」という浩二に甘え、ビールの缶はカウンターに置きっぱなしにした。
部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。吐き出した息は熱く、じょじょに眠気がやってきた。
バッグから息子と妻の写真を取り出した。土日だけの手伝いではあるが、一歳になる息子と一緒にいられないのはやはり寂しい。
平日は休日ほど忙しくはないので、土日だけ来て欲しいと頼まれた。弟の義父が体調を崩したため、仕方なくアルバイトのようなことをしている。しかし今の会社はダブルワークを認めていないので正式なアルバイトではない。
ペンションについてすぐに弟の浩二には「金はいい、貸しだからな」と胸を拳で小突いた。浩二は「恩に着る」と笑っていた。
仲がいい兄弟という自覚がある。だからこそ休日にも関わらず手伝いに来た。
妻の六海は行きつけの食堂で出会った。六海は実家の食堂を手伝い、恭一はずっと話しかけるチャンスを狙っていた。
六海が食堂を手伝いはじめてから二年経った。恭一が大学一年、六海が高校三年のときに初めて注文以外で声をかけた。六海は「いつ声をかけてくれるかと思ってた」と言われ、思い出す度に赤面してしまう。六海には思い出話の度に「やっぱりアンタを選んで正解だった」などと言われていた。
妻のことも息子のことも愛している。帰ったら妻にキスをして、息子を高く抱き上げてやりたい。妻は気丈に笑い、息子は大声を出してはしゃぐことだろう。想像に難しくないと、写真を見つめながら微笑んだ。
ノックの音が四回聞こえた。写真をテーブルに起いて立ち上がる。
「はい、ちょっと待ってください」
浩二か香織のどちらかだろう。そう思いながらドアノブを握った。。
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