三日目・5

 いつもどおり一人でカウンターに座っていた。ようやくスマートフォンの電波が入った。ゲームもできるし動画も見られるようになった。交代までは二時間ある。今日は暇を持て余さずに済みそうだった。


 ゲームをしながら今日の出来事を思い出す。宿泊客四人は急速に仲良くなっていた。どちらかと言えば結束したという方が合っている。時間を示し合わせて風呂に入るくらいには距離が近くなっていた。自分の行動が間違ってなかったのだと、改めて実感した。


 ゆかりにはなにか支えが必要だと思った。あれだけ取り乱していたのだから、士郎を深く愛していたはずだ。それも演技でなければの話だ。演技でないのなら、少しでも気を紛らわせるための手段が必要だった。だからなのか、風呂から上がったゆかりの顔色は良かった。


 四人が一緒にいることで、宿泊客同士で監視しあえるというのも大きな利点だ。監視できれば行動を制限できる。行動を制限できれば次の殺人を行うのが難しくなる。冴子は間違いなくそれを理解している。だから純や凛子と共に行動していたのだろう。集団行動することによって、少なからず精神衛生は保たれていた。彼女たちだけではない、俺もその一人だった。


 誰もいないエントランスを見ていると、世界に一人だけ取り残された気分になった。そんなはずはないとわかってはいても、想像の広がりだけは俺にも止められなかった。勝手に、自然に、想像したくもないのにだ。


 カタカタと揺れるドアの音。僅かに聞こえるボイラーのうなり声。売店の冷蔵庫からも機械音が聞こえている。でもそれらは話し相手にはなってくれなかった。

誰かと一緒にいてお喋りをする時間が楽しかった。だから尚更、一人の時間が寂しく感じてしまうのかもしれない。


 そんなとき、足音が聞こえてきた。階段を降りてきたのは冴子だった。


「やあ若人」


 たぶん俺はホッとしていた。この世界には俺以外の人間がちゃんと残っていたんだと、冴子が証明してくれた。


「どうしたんですか、こんな時間に」

「ちょっとお酒でももらおうと思って」

「売店はこっちです。なにがいいですか?」


 カウンターの左側に移動した。


「ビールを五本。それと酢漬けイカ。ビールは長い方ね」


 透明な冷蔵庫から缶ビールを五本、売店の棚から酢漬けイカの袋を出した。


「合わせて千七百円です」

「さすがに高いわね。海の家とかもそうだけど。ああ、ビニール袋はいらないわ」


 料金はちょうどだった。しかし冴子は財布を仕舞っても立ち去ろうとせず、その場で缶を開けてしまった。


「ここで飲むんですか?」

「いいじゃない。はい、一本はキミのよ」

「いや、まだ仕事中だから無理ですよ」

「問題ないわ。ただ座ってるだけでしょ? 浩二さんになにか言われたら、私に押し付けられたって言えばいいわ。それともなにかしら、私の酒は飲めない?」

「それパワハラのやつじゃないですか」


 退いてくれそうにもない。悩みはしたが「コウちゃんには内緒ですよ」とプルタブを起こした。一口飲むとほどよい苦味と炭酸の刺激が喉を通過していく。胃が熱くなり、徐々に身体も温かくなってきた。


 冴子が食堂の方へと駆け出した。なにごとかと思ったがイスを持ってきたのだ。この人はなんて自由なんだろう。調査をしているときはカッコいいのに、それ以外の行動が非常に雑なのだ。


「で、なんでこんなところで飲んでるんですかね」

「純ちゃんたちとは毎晩酒盛りしてるじゃない。たまには付き合いなさいよ」

「たまにはって、出会って二日三日じゃないですか」

「三日に笑う者は三日に泣くのよ。それにたった数日でも最低限の信頼関係は築くことができる。深い仲にはなれなくてもね。だから純ちゃんたちの部屋にも行くんでしょ?」


 冴子がビール缶を傾けていく。美味しそうに喉を鳴らして飲んでいた。


「まあ、そうですね。たぶんですけど、純が犯人なら凛子も共犯者だと思います。その逆もあるし、俺を殺すつもりならとっくにやってる。一日目とかで殺されててもおかしくないかなって」

「それがある程度の信頼ってやつよ。そこにはキミなりの考察があったはず。キミなりの理論があって、それに則って信頼に足りると判断した。信頼とは主観的なものよ。もうちょっと気をつけなきゃ」

「でもそうなると、俺が冴子さんを信頼しているのも見直さないとダメってことじゃないですか」

「そうなるわね。でもたまには自分を見つめることも必要でしょ? いい経験じゃない」

「周りに不信感しか持てませんよそんなの」

「用心深いくらいでちょうどいいのよ。例えば友人の連帯保証人になって借金を背負わされる、みたいなのあるじゃない? あれはその友人を信じているから保証人になるのよ。この人ならば大丈夫、この人とは長い付き合いだから、恩があるから、知り合いに信頼されてるからってね。それがその人の理論なのよ。いい人っていうのはその理論を幅広く持っているから騙されやすい。言ってしまえば、心の中に扉があるようなもの。その扉がたくさんあれば抜け道もたくさんできる。信頼に足る条件の扉ね」

「妙な納得感がありますね」

「本当のことよ。でも用心深い人も扉は多いのよ。入り口が少ないだけで、一枚目の扉が開いても二枚目、三枚目ってたくさんの扉を開かないと信頼してもらえない。そういう人だからこそ、一層気をつけないといけないんだけど」

「そこまで人のこと信じないのに気をつける必要があるんですかね」

「世の中にはいるのよ、パーソナルスペースに入り込むのが上手い人っていうのが。扉を開けることなく心の中に入ってくる。まるで扉がないみたいにすり抜けてくる。空気や水みたいにスーッとね」


 純の顔が浮かんできた。パーソナルスペースに関係なく人と仲良くなる素質がある。三日間見てきてよくわかった。しかしその顔もすぐに消えた。


「誰かの顔が浮かんでるわね。当ててあげるわ。そうね、純ちゃんかしら」

「そうなりますよね。あの性格ですし」

「話も上手いし明るいし。惹かれない男はいないでしょうね」

「相当根暗でもない限りは、大体の男は好きになるでしょうね」

「彼女、隙がありそうだものね」


 冴子はしたり顔だった。俺も純に気があると思っているのだろう。


 確かに純は魅力的な女性だとは思う。顔も可愛らしく体つきは女性らしい。話していても楽しいし、グイグイ引っ張ってくれる。にも関わらず薄着を見せびらかしたり、酒を飲んで腕を絡ませてきたりする。隙がある、というのも間違ってはいない。男は隙がある女に惹かれるというのも理解できた。だが理解できるだけで、俺が該当するかはまた別の話だった。


「俺は純のことはなんとも思ってませんよ。魅力的だというのは認めますけどね」

「怪しいわね。キミは年上とか好きそうに見えるし、年上に可愛がられるタイプだわ。純ちゃんもそういうキミだから仲良くなったんじゃないかしら」

「自分ではそうは思いませんけどね」

「もっと客観的な視点を持った方がいいわね。キミがキミの魅力を引き出すためには必要なことよ。それに視野を広げないと本当の敵は見つからない。世の中はね、信用している相手に後ろから刺されることもあるんだから」

「胸にとどめておきます」


 冴子が言っていることの意味はよくわかる。自分の価値観に疑問を持たないと真実は見えないっていうことなんだろう。人生の先輩からの助言だ。ここは聞いておいた方がいい。


 酢漬けイカを食べ、ビールを飲んだ。


「キミ、犯人の目星とかはついてるの?」


 急に話題が変わった。まさか今その話をされるとは思わなかった。


「殺人事件のですか? いや、全然わかりませんよ。大した証拠も出てこないし、みんなにもアリバイがないし」

「証拠品や現場の様子をそのまま足し算してもダメよ? 犯人がわざと残した証拠かもしれないし、本当に知られたくない物は見えないように、それこそごく自然に隠してあるかもしれないんだから」

「もしかしてなにか掴んでるんですか?」


 冴子は俺よりも明らかにペースが早かった。二本目の缶を飲み干し、カウンターの上に置いた。


「大詰めって感じね。そのうちわかるわ」

「教えてくれないんですか」

「言い忘れてたけど、隙がある女もモテるけど、秘密がある女もモテるのよ」


 彼女は「さてと」と立ち上がり、イスを持って食堂へと歩いていった。戻ってくるやいなや「空き缶の方お願い。おつまみは好きにして」と、残りの缶を持って二階へと消えていった。


 俺にしてみれば、純も冴子も変わらずに扱いに困る女性だ。顔を合わせればもてあそんで、俺が驚いたり困ったりするのを見て楽しんでいる。自分の方が年上だからと行動も言動もエスカレートする一方だ。


 そんな彼女たちだからこそお喋りも長く続く。会話も楽しいし飽きることはない。その代りといってはなんだが休憩さえも与えてくれない。個人的には会話が楽しむよりも、会話をして落ち着けるような人の方が気楽でいい。二十年という短い人生経験だが、学んだことだってたくさんあった。


 一昨日、昨日に次いでコウちゃんと交代した。


 ドアにはポストイットが貼られていなかった。メモ帳がドアに挟まっているということもない。


 心なしかがっかりしっていることに気づき、思わず頭を掻いた。


 寂しい気持ちを抑えて部屋に入った。今日は事前に暖めておいたのですぐに布団に潜れる。ビールを一本しか飲んでいないせいか頭が冴えていた。純や凛子と飲んでいたときは酎ハイを三本は空けていた。


 コンコンと、ノックの音がした。


 慌ててドアへと駆け寄る。ドアノブに手を添えたが、思いとどまった。純や凛子が来て欲しいという気持ちはあるが、犯人である可能性も十分あった。


「私よ」


 ボソボソとした声で女性であるということくらいしかわからない。ただし声のトーンからして凛子のような気がした。昨日ドア越しに聞いた声と同じだったというのもある。


 長めに息を吐き「開けるよ」と言ってからドアノブをひねった。


「こんばんは。まだ寝てなかったのね」


 凛子だった。嬉しい気持ちもあるが、不安な気持ちもあった。


「危ないだろ、こんな時間に出歩いたら」

「大丈夫、だと思う。中に入れてもらえる?」

「いいけど」


 凛子の手にはビニール袋がぶら下がっていた。中身がなにかはすぐにわかった。


 部屋に招き、イスに座らせた。一人用の部屋にはイスが一つしかないため、俺はベッドに座った。


「純はどうしたの?」


 凛子はテーブルの上に手を乗せて、左手を右手の上に乗せた。


「寝ちゃった」

「酒のんでその勢いで眠ったとか?」

「そういうこと。暇になったから、ケイゴなら起きてるかなと思って」

「起きてるけど、俺が殺人犯だったらどうするのさ」


 凛子がプルタブを起こして缶に口を付けた。純とは打って変わって隙がない。水が入り込むような、風が吹き込んでくるような、そんな隙間さえ彼女にはないように見えた。


「ケイゴは違うと思うから」

「どうしてそう思ったの?」

「さあ、なんとなく」


 仕方なく、俺も酎ハイを飲むことにした。


 凛子は手を膝の上に乗せ、視線をこちらに向けた。言いたいことがあるということでもないらしい。微動だにせず彫刻のように動かない。相変わらずだな、と思いながらも缶に口をつけた。


「今日は飲みにきただけ?」

「ええ、まあ。純が相手してくれないから」

「普段も夜更かしなの?」

「休日の前くらい。ケイゴは?」

「俺も似たようなもんだよ。ああでも、面白い本とか読み始めると朝まで読んじゃったりするかも」

「自制心が弱いのね」

「返す言葉がない……」

「人間らしくていいと思う」

「いやいや、ちゃんと自制心を持って行動した方が絶対いいでしょ。そっちの方が真人間らしい」

「価値観は人それぞれね」


 彼女は缶を一気に飲み干し、新しい缶を開けた。


「さっきまで純と酒盛りしてたんでしょ? まだ飲むの?」

「今日は付き合ってもらう」

「なんていうか、今日はキミらしくないな」

「私らしさなんて元からないのと一緒だから。両親にも言われてきた。お前は人形みたいだなって。笑わない、泣かない、驚かない。だから人形みたいだって。学校でもよく言われた。別に楽しくないわけじゃないし、悲しくないわけでもないし、当然驚くことだってある。それを上手く表情や行動にできないだけで、私にだってちゃんと感情がある」


 言葉に詰まる。俺も最初はそう思ったから。


 どんな言葉をかけるべきか。たぶん答えなんてない。ここは素直に自分の気持ちを打ち明けた方がいいと思った。


「そんなことないでしょ。確かに表情は堅いけどたまに笑ってくれる。それに驚いた時に目を大きく開くだろ? まあ、よく見てないと気付かないかもしれないけど。それに早苗さんと士郎さんの遺体を見て目を伏せてただろ。悲しいって、思ったからじゃないのか?」


 そう、その目だ。瞼を大きく開いていた。大きくというほどの変化はないけど、普段の表情から考えると大きな変化だ。


「そんなところまで見てたの、知らなかった」

「待て待て、勘違いしないでくれ。見てたわけじゃないんだって。ちょうど変化するところを目撃しただけだから。決してずっと監視してたわけじゃないから」

「大丈夫、わかってるから」


 僅かに頬が弛緩した。そうだ、彼女だってちゃんと笑える。感情がない人形だなんて思っていない。人形のようではあるが、ちゃんと感情はあるし表情だって変わる。


「アナタは面白い人」


 クスクスと凛子が笑っていた。口に手を添えて、上品に笑ったのだ。


 こんなふうに笑う彼女を見るのは初めてだった。新鮮だったが、それ以上に嬉しく思っていた。俺と話をして笑ってくれた。ペンションには閉じ込められたし殺人事件も起きたけど、彼女の笑顔を見ていると心が解されていくようだった。

彼女が髪の毛を耳にかけた。動作は滑らかであざとさは感じられなかった。

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