二日目・6
吹雪は収まっていた。曇り空ではあるが、止んだだけでもありがたかった。駐車場は人力で雪かきができる状態ではなかった。小型の除雪機はあるが、まずそこまで行かれない。幸いと言っていいのか、入り口を開けることはできた。豪雪を想定してあり、屋根が広くとられているためだ。
一応程度だが、数時間かけて除雪機が置いてある倉庫までの道を確保した。それ以外にも極力除雪はしたが、駐車場全体を雪かきできるほど甘くはなかった。
雪かきだけで一日分の体力を使い切ってしまった。身体はへとへとに疲れ、風呂に入って眠ってしまいたい気分だ。
バサッという大きな音に急いで振り向く。厚く積もった屋根の上の雪が塊になって落ちてきたのだ。毎年のことではあるがいつも驚かされる。
外の雪かきを終えて二階へ。バルコニーの雪を払っておいて欲しいとコウちゃんに言われたからだ。こちらも苦労した。面積は狭いが、バルコニー内の雪を持ち上げて落とさなければいけない。間違いなく明日は筋肉痛だ。
雪かきを終えて一階に降りた。時計を見れば、時刻は十七時を過ぎていた。
「ねえ、俺ちょっと外出てきてもいいかな」
床掃除をしているカオちゃんにそう言った。カオちゃんが「本気?」と眉間にシワを寄せていた。
「どこまで行かれるかわからないけど、近くのホテルまで行けば救助も呼べるかなと思ったんだけど。人も死んでるし警察も呼ばないと」
「言いたいことはわかるんだけどさ、やめといた方がいいって。どこに道があるかもわからないじゃない。道を踏み外したら大変よ? 警察に連絡したところですぐには来られないし」
「まあ、そうなるよね」
「わかってるなら無駄口叩くんじゃないの。ほら、掃除代わって」
「承知した」
「上下関係がちゃんとわかってるようね。偉い偉い」
モップを手渡されたが、掃除はほぼ終わっているように見えた。
カオちゃんは食堂の方に向かっていった。コウちゃんと一緒に食事の準備をするはずだ。
モップがけを済ませてからトイレ掃除をした。小さなペンションのトイレなので時間はさほどかからない。慣れたものだと、自分でも感心するくらいに手際がよかった。
食堂には誰もいなかった。ちょうどよかったので先に風呂に入った。脱衣所には一人分の服がカゴに入っていた。赤いセーターとジーンズだった。
風呂場のドアを開けると士郎が手を挙げてきた。俺は一礼し「こんばんは」と声をかけた。さすがに手を挙げて挨拶代わりにできるような仲ではない。
シャワーで軽く身体を流し、頭、顔、身体と順々に洗った。ここのシャンプーは肌に優しく、ボディソープは顔を洗ってもつっぱらない。カオちゃんがこだわっているので、宿泊客の中で詳細を聞いてくる人も多い。
「今日は早いんですね」
浴槽の脇にタオルを置き、ゆっくりと湯船に入った。
「あんなことがあったせいかな、暑くもないのに汗だくでね」
「すごく落ち着いてるように見えましたけど」
「職業柄というかなんというか、ポーカーフェイスとハッタリには自信があるんだ」
「不動産ってそういうの必要なんですか? なんかちょっと思ってたのと違いますね」
「今の仕事というよりは過去の仕事で必要だったんだ。今まで三度転職したが基本的に営業でね。他人と接する機会を無理矢理作らなきゃいけなかった。カーディーラーでは、新型が出れば客と連絡を取るし、休みであっても客が電話をかけてくる。ショールームでも客が来れば対応しなきゃいけない。でも相手するのは客だけじゃない。整備士や上司とも面倒なやり取りをするんだ」
不思議と、士郎の顔は晴れやかだった。
「他にはどんな仕事を?」
「なんだ、営業に興味があるのかい? やめといた方がいいよ。精神すり減らしてやめてくヤツは多い」
「営業というか、人と接する仕事に興味があるんですよね。だからここでもアルバイトさせてもらってるくらいで」
客として接していれば本当の自分を見せなくても済むから、なんて言えなかった。
「なるほどね。カーディーラーは十年くらいで辞めたな。そのあとは不動産。実は今の会社は元々父の物でね、転職先が見つかるまで働かせてもらった。宅地検定なんかを取りながら仕事をした。次に就いたのがバックフォーの営業だったな。ちょうど経験者を探してててさ。でもそこの上司と折り合いが悪くて、苦労しながら仕事したよ」
「パワハラですか?」
「そんなところだね。ボクが働いてた頃はパワハラなんて言葉なかったから耐えるしかなかったのさ。それが正しいというか、美徳のように思われていた時代なんだ。売上は横取りされるわ、関係ないことで怒られるわ、ミスは押し付けられるわ。上司が変わっても体制は簡単に変わらない。そのうち父の具合が悪くなって、父の跡を継ぐために辞めたんだ」
「それで今の会社に収まったんですね」
「父が会社を持っていて、一番喜ばしい出来事だったとも言えるね。子供の頃は良く思ってなかったけど」
「社長の息子って裕福に暮らせそうな気がするんですけど、違うんですか?」
「そうだね、裕福であることは間違いなかったと思うよ。ただ、父があまり家に帰って来ない。それに忙しいからどこかに連れて行ってもらった記憶がない。だからかな、結局ボクはこの歳まで未婚なんだ」
思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。
「その反応が普通だよ」
士郎から視線を外し、お湯を見て、天井を見て、でも上手い言葉はどこにも見つからなかった。風呂場の床を見たが落ちているはずもなかった。
少し間を置いて口から出たのは「ゆかりさんは?」だった。
「あれは恋人だよ。道徳的にはあまり好ましくない恋人さ」
士郎は唇に人差し指を当てていた。黙っていてくれ、という意味だ。
チクリと胸が傷んだ。士郎とゆかりの関係は、俺にとって心の傷を抉るような関係だ。でもそれは彼らには関係なくて、感情を顕にするのは見当違いも甚だしい。
一度深呼吸をして、長めのまばたきをした。
「わかりました。これ以上は聞かない方が良さそうですね」
「助かるよ。ゆかりも一緒になる準備をしているらしいけどね。家庭の事情は人それぞれで、そこから抜け出したいとずっと考えていたんだろう」
士郎は水面をじっと見つめていた。なにかを慈しむような、憐れむような目だった。どこか儚く、どんな言葉をかけるのが正しいのだろうとそんなことを考えていた。
「少々喋りすぎたかな。ボクはもう上がるよ。ご飯はもう食べられるのかな?」
「もうちょっとかかると思います。六時からなんで」
「ありがとう」と言いながら、士郎は湯船から出た。思っていたよりも壮健な体つきをしていた。営業というくらいだからもうちょっと細いイメージだったが、おそらく平均よりも肉付きがいい。贅肉ではなく筋肉という意味でだ。
ここの温泉は少しぬるめだが、頭がぼーっとしてきたので風呂から上がることにした。喋りながら入っていたせいか時間が経っていたらしい。夕食の時間が迫っている、というのもあった。
ドライヤーで髪を乾かし、時計を見ると十八時五分前だった。
急いで脱衣所を出ると、食堂にはすでに人が集まり始めていた。どうやら一日でリピーターを増やしたようだ。皆メニューを見ながら楽しそうに料理を選んでいる。遠目からでもそれがわかるほどだった。開いたメニュー表を指差し、あれやこれやと言い合っているのだから、誰が見てもそう思うだろう。
着替えやタオルを自室に置いてから急いで食堂に向かった。宿泊客が全員揃っている。こんな状況だからこそ食事くらいは楽しんで欲しい。少しでもこの状況を忘れ、食事を堪能してくれれば喜びもひとしおだ。
時計の針が十八時を示す。頑張るぞと自分を鼓舞し、腕まくりをした。
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