二日目・4

 食堂では新しくわかったことなどが発表された。死体が冷やされていたこと、バケツに指紋がないこと、部屋の室温が廊下よりも暖かかったのも、氷を溶かすために暖房をつけたからだと説明された。


 冴子がここまでの状況からの推理を披露した。犯人は早苗の部屋で被害者を殺害。人がいないのを見計らい、バケツで雪を運んで死体に被せた。暖房をタイマー設定にして部屋を出た。服や髪が生乾きだったのも頷けた。確かに筋は通っている。


 凛子が手を挙げた。


「なにか疑問があるっていう顔ね。どうぞ」

「殺害方法はわかったけど、密室の謎が解けていない」


 一瞬だが、彼女たちの間に火花が散っているように見えた。当然、実際に見えたわけではない。しかし凛子が敵愾心を燃やしているように見えたのだ。なぜそう思ったのかはわからなかった。凛子の表情は変わらないのだから、そう思う理由がない。


「正直そこは私も悩んでる。どうにかして密室を崩さないとアリバイを洗うのも難しい。方法によってはアリバイが無効になることもあり得る」

「その方法はまだ解明できていない」

「一緒に考えてもらえる?」


 凛子は即答しなかった。視線はそのままに、身体の前で手を組んだ。小さな口が動き、長めに息を吸っていた。


「私も考えてみる」

「ええ、お願いするわ。ほかに疑問がある人はいる?」


 冴子が一同を見渡す。すると「ねえ」という声が上がった。ゆかりだ。この後の展開はなんとなく予想できる。ここにいる人間の中で一番感情的で、考える前に口や手が先に出るタイプ。そういう女性がすることはなんとなくわかる。


「はい、なんでしょうか」

「この中に、犯人がいるかもしれないんだよね?」

「言いたくはないけど、そういうことになるわね」

「私、そんな人と一緒にいたくないんだけど」


 これもテンプレートのようなやり取りだ。小説やドラマなんかでもよく見る光景の一つ。


「気持ちはわかります。ですが極力固まっていた方がいい。内部の人間であれ外部の人間であれ、集団に対しては行動を起こせない」

「わからないじゃない。犯人が一人ってわけじゃないし、犯人が外にいたとしてもその人数もわからない。目標が一人だからって、全員を殺さないとは限らないでしょ? 集団で行動して、その中の一人が全員殺す可能性が消えない限り、私には無理」

「外部犯が複数いた場合、凝った仕組みをする必要がありませんよ。もっと簡単に殺せるし、もっと簡単に隠蔽できる。だから外部犯であるなら一人だと推測できます。ただし内部犯である場合は二人以上の可能性がある。でも可能性はかなり低いかな、というのが私見ですね」

「なんでそんなに自信満々なの?」

「ペンション内の人数が少ないからですよ。例えば二人組で予約した方々が犯人であったら、疑われやすくなるのは当たり前なんです。アリバイも作りやすい。もし私が犯人であった場合は一人でやると思いますよ。アリバイだってしっかり作る。クローズドサークルにおいての殺人はアリバイがなにより大事なんです。物的証拠はもちろん大事ですが、追い詰められないためには、計画を練ってアリバイを捏造するのが大事なんですよ」

「それでも、やっぱヤダな」


 ゆかりがテーブルに視線を落とした。強く士郎の腕を抱き寄せる姿は、怖い話を聞いて眠れなくなった少女のようだった。


 この状況で背筋を伸ばして立っていられる方が変わっているのかもしれない。恐れおののき、縮こまっている方が人間らしい。


「あの、ちょっといいかな」


 士郎が右手を挙げた。左手はゆかりによって自由を奪われている。


「はい、どうぞ」と冴子が向き直った。

「ゆかりは非常に繊細でね、手綱は握るから部屋に帰してはもらえないかな。ゆかりは意見を曲げず、平行線になるのは目に見えている。不躾なお願いで悪いとは思うが折れてはくれないか」


 冴子は士郎をじっと見た。そしてゆかりを一瞥し、ため息をついた。


「わかりました。それじゃあ行動に制限をつけるのはやめます。代わりと言ってはなんですが、いくつか約束をしてください」

「できることなら従うよ」

「では、そうですね。誰が来てもドアは開けないこと。なにかがあったらすぐ大声を上げこと。部屋を出るときは慎重に、自分の身は自分で守ることを誓ってください。いいですね?」


 ゆかりは小さい声で「わかった」と頷いていた。士郎に優しく頭を撫でられると目尻がだんだんと下がっているように見えた。


 約束事が決まったところで解散という運びになった。


 食堂を出ていこうという面々だったが、コウちゃんが「ちょっと待ってくれ」と呼び止めた。皆なにごとかと眉を潜めた。


「もう昼過ぎだ。お腹は減ってないかい?」


 こういうことがあっても腹は減る。何人かは戸惑いながらも、もう一度座り直した。座らなかったのはカオちゃんと俺だ。従業員なので、こうなってしまうと働くしかなくなる。


 コウちゃんとカオちゃんが顔を見合わせ、微笑み合って厨房へ消えていった。


 オーナー夫妻の料理が美味いのは、単に才能があったりレシピがあったりするからじゃない。料理を作るのが好きだった。そして食べた人間が喜ぶ姿が好きなのだ。


「いかなくていいの?」


 びっくりして横を見ると、凛子が首を傾げていた。


「いくよ。注文取らなきゃ」

「料理できる?」


 その問の意味がよくわからなかった。よくよく彼女の顔を見るが、真意を顔に書きなぐるような女性じゃないことを思い出した。


「簡単なやつならできるけど」

「じゃあキッチンの方手伝って。注文は私がとるから」

「いやでも客にやってもらうわけにもいかないって」

「こういう状況だから協力しあわないと。それに今日は安く泊めてもらえるみたいだから。働かざるもの、眠るべからず」

「なんでそこで睡眠の話が出ちゃうんだよ」

「働かないと食べられない。食べられないとよく眠れない。よく眠れないと結局働けない。悪循環は断ち切るべし」

「もうなにが話したいのかわからなくなってきた」


 凛子専用のアンテナでも立てなければ、彼女の会話をちゃんと受信できそうになかった。距離を縮めようとしても、これ以上近づくことができなさそうだ。


 ふと、疑問に思った。俺は彼女に近づきたいのか、という疑問だった。今まで他人にはあまり近寄ろうとしなかった。そんな俺が近づきたいと思った。本当にそうなのか。


 そんな考えを、凛子の声が洗い流していく。


「全部わかる必要はないの。誰だってそうでしょ? 理解できたつもりでいても、他人同士なんだから完璧にはわかり合うことはできない。だったら深く考えるのは無意味よ」

「ほら」という凛子の声が俺の背中を押した。会話をする度に凛子という女性のことが少しずつわかっていく。それが嬉しかった。

俺は「ありがと」と言ってから厨房へと向かった。


 振り返ると、凛子に寄りかかった純が笑っていた。ニヤニヤと、心底楽しそうだった。


 彼女の口が動いた。声は聞こえないが「やるじゃん」と言っているように見えた。

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