二日目・2
安城早苗以外が食堂に集められた。早苗は死に、今もベッドの上で寝ている。
「私は白沢木冴子です。一応、白沢木探偵事務所の所長をしています。従業員も十人以上いるので信頼してもらっていいかと。それでは、わかっていることから順番に説明していきましょう」
冴子は全員をイスに座らせ、自分は厨房側の壁際に立っていた。その眼光は鋭く、ただ見られただけで縮み上がりそうだ。本人にはそのつもりがなくとも、どうしてか睨まれているような気分にさせられた。
神妙な面持ちなのはオーナー夫妻、士郎、純。恐怖に顔を歪ませ、士郎にしがみついているのがゆかり。凛子は相変わらずなにを考えているのかわからなかった。
殺されたのは安城早苗、三十六歳。持ち物から独身で生命保険会社勤務ということがわかっている。バッグの中身は異様なほどに整頓されていた。衣服だけでなく、化粧品なども収まる場所をしっかりと決めているかのように仕切られていた。ウエットティッシュや除菌スプレーなども持参していた。
なぜ知っているかと言えば、冴子がキャリーバッグの中身をテーブルの上に広げたからだ。
「電話線がごっそりなくなっています。浩二さんが最後に電話をしたのが二十一時なので、電話線が切られたのはその後になります。それにスマートフォンや携帯電話の電波も入りません。外は豪雪。私たちは自分で身を守らなければいけない。そのためには犯人を探し出す必要があります」
「失礼、ちょっといいかな」
手を上げたのは士郎だった。
「では士郎さん。なにか疑問が?」
「これは殺人事件なのですか?」
「明らかに他殺ですね。首には索条痕がありました。細いものでの絞殺だということがわかります。おそらくですが、奪われた電話線が使われたのではないかと思います。まだ凶器は見つかっていませんが、見つけたら教えてください」
「つまりその犯人が近くにいると」
「近くにいるというよりは、この中にいると考えるのが自然ですね。可能性がないわけではありませんが、外の様子からすると屋外に逃げ道はありません。隠れ家が近くあったとしても探し出すのは困難です。今は屋内にいる人間に焦点を絞り、自衛に徹してもらうのが一番です」
「倉橋純です。こっちもいいですか? 」
次に手を挙げたのは純だった。
「はい純さん。なんでしょう」
「部屋の様子を教えてもらってもいいですか?」
「わかりました。ちょっと待っててください」
冴子はコウちゃんを呼び、耳打ちした。コウちゃんは駆け足で厨房に入っていった。一、二分程度で戻ってきたかと思えば、その手にはA4のノートを持っていた。
「ありがとうございます」
冴子は胸ポケットからボールペンを取り出し、そのノートになにかを書き込んでいく。一同が覗き込むようにして身を乗り出した。殺害現場の見取り図だった。俺が泊まっている百合、冴子が泊まっている牡丹、早苗が泊まっている芍薬の間は同じ間取りだ。入って右にクローゼット、正面にはベッド、ベッドの右の壁に引違い窓、窓の横には壁に固定されているテーブルがある。イスは一脚、テーブルにはテレビが置かれている。テーブルは長く、テレビを置いても勉強机ほどの幅が残る。バッグと靴はクローゼットの中、部屋の鍵はベッドの下、壁際に落ちていた。備え付けの電気ポットや加湿器が動かされた様子はない。
早苗の死体はベッドに仰向けで寝かされていた。死亡推定時刻は深夜二時から明け方と推測された。
ベッドも床もびしょ濡れで、なにをしたらこんなふうになるのかが疑問だった。部屋には洗面所やトイレや風呂はついていない。洗面所すらもついていないので、水は部屋の外から持って来るしかない。
「こんな感じでしょうか。窓は閉まっており、部屋の鍵はベッドの下にありました。つまりこれは密室殺人と言ってもいいでしょう。どうやって密室を作ったのかはわかりませんが、とりあえず二時から九時くらいまでのアリバイを整理しましょう。犯行時間もそうですが、殺したあとで死体を動かしたりしたかもしれないので。よろしいですか?」
伏し目がちに戸惑う者はいても、反発する者は一人もいなかった。最初に「自分は探偵だ」と言って牽制したのが大きかったのだ。閉ざされた空間、殺人事件、探偵。こんな状況で信じられるものといったら限られてくる。
誰もが冴子に信頼を置いていた。彼女を信じ、託すのが犯人を探すための近道だと皆理解していた。
ひとりずつアリバイを述べていくが、基本的にアリバイがあるのは二人部屋である柳原夫妻と純、凛子の四人だ。コウちゃんは0時から五時までカウンター、カオちゃんは就寝中。五時になってカオちゃんが起きてきて、そこでようやく顔を合わせる。つまり五時まではアリバイがないことになる。だが、逆を言えばカオちゃんにはアリバイができる。このペンションは階段が一つしかないからだ。カオちゃんが二階に上がるとなれば、どうやってもカウンターにいるコウちゃんに見られてしまう。
二階にいた俺と冴子は眠っていたためアリバイが一切ない。むしろその時間にアリバイがある方がおかしい。二人部屋にいる人たちでさえ、起きて顔を会わせていたわけではないのだ。
「犯行が可能という意味では全員容疑者になります。アリバイが近親者にしかないという部分を考慮しても容疑者です。共犯の可能性も十分ありえますので」
「ちょっと! 私やシロちゃんがその人を殺したって言いたいの!」
一番最初に声を荒げたのはゆかりだった。はじめに噛み付く人物として、この中では妥当なところだ。ゆかりは身体の一部と言わんばかりに士郎の腕にしがみついていた。ここにきてから、士郎の腕を離している時間の方が少ないんじゃないだろうか。
「まだわかりません。これから調べますので、できれば協力してもらえると助かります」
「荷物検査でもするつもりですか!」
「私は警察でもないのでなんとも言えません。もしかしたら荷物検査をするかもしれませんが、そのときは協力してください」
ゆかりが唇を震わせながら「なんでそんなこと!」とテーブルを叩く。だが士郎が彼女の手をそっと握った。
「このまま犯人が見つからないのは問題だよ。見られて困るものもない。ね、大丈夫だから」
「シロちゃんがそう言うなら……」
士郎の手を握り返し、熱っぽい目でそれを見ていた。ゆかりは感情的になりやすいが、士郎が手綱を握っていてくれるようだ。
「とりあえず今は現場を調べたいので、一度全員で現場に向かいましょう。私一人が現場検証をしてしまうと、私が犯人で証拠を消したと言われかねない。それでは私もやりづらくなりますからね」
「死体とか見たくないんだけど」
またゆかりだ。しかし冴子はため息をつくことも、呆れることもなかった。
「それならば廊下にいてもらっても構いません。重要なのは各自が気を遣い、周囲を観察するということです。現場検証に際して不正がない、ということを証言できるのであれば構いません」
「わかった。じゃあ、廊下にいる」
依然として不機嫌ではあるのだが、なんとか納得はしたらしい。
それにしてもゆかりという女性は俺が苦手とするタイプの人間だ。若くはないはずだが、甘えたような声を出すのが生理的に受け付けない。すり寄っては媚を売る姿は見ていて気持ちがいいものではなかった
「それでは行きましょうか。今日もここに泊まるんです。現場が劣化する前に証拠を確保しておきたい」
顔を見合わせ、全員が同時に頷いた。
始終、冴子が主導権を握ったまま現場に戻ることになった。これからも彼女が指揮をとっていくことになるだろうと、誰もが理解していた。キビキビとしていてなにものにも動じないその姿は、老若男女関係なく惹き付ける魅力があった。
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