インターバル 二十年前~久坂瑠璃子~

 食事を終えたあと、瑠璃子はすぐさま部屋に戻った。人見知りというわけではないが、今はお喋りなどをする気になれなかった。


 今でも若いが、もっと若い頃はたくさん無茶をした。過ちも何度かおかした。そのせいで身ごもることになった。相手は独身だったが、それなりの地位を築いていた。そのため慰謝料という名の手切れ金がたくさん入ってきた。相手の男性には対して愛情はなかった。


 父の病気が大病に発展した。母は働き詰めであったが給金は高くない。生活費と医療費を工面しなければならなかった。


 誇れるような生き方をしてきたとは思っていない。父にも母にも負い目を感じていた。最後の親孝行だと思って、医療費は全額瑠璃子が払った。慰謝料は父の医療費で消えた。


 それからの生活は非常に辛かった。母はパートなので給金は低い。父の看病もあるので多くは働けない。生活費は自分で稼ぐしかなかった。


 子供ができたことが幸いした。妊娠する心配がない。制服で話しかけるだけで、男たちはいやらしい顔で財布を出す。真面目に働く道も当然あったが、瑠璃子は楽な道を選んだ。


 ホテル代は相手が払ってくれるし、コンドームを使わなければ七万から十万は稼げた。自分の美貌がこんなところで使えるとは思わなかった。


 学生時代は何人もの男子に告白されたことがある。そのほとんどの男子と付き合ってきた。たくさんの男と付き合い、関係を持つことがステータスだと思っていたからだ。それが間違いだと気付いたのは二十才になってからだった。


 結局、父は家に戻ることなく帰らぬ人となった。生活費のことや治療費のことなどは、親類から借りたと嘘をついたままだった。事実は母にしか話していない。母は「ごめんね」とだけ言っていた。それから、母はずっと暗い顔で、伏目がちで生活していたのをよく覚えている。


 身体を売って生計を建てられたのは腹が大きくなるまでの間だ。少しずつ大きくなる腹を見ていると、どんどんと気がとがめられた。若く、細く、美しいという美貌が失われつつあるというのもあったが、それ以上に考えさせられた。


『こんなことをしていて、私は母としてやっていかれるのだろうか』


 子供が大きくなってもこんなことをしていていいか、という疑問が徐々に恐怖に変わっていく。死んだ父も、疲れ果てた母も、生まれてくる子供も、冷ややかな目で見つめているのではないか。まだ見ぬ子供に軽蔑されることを一番恐れていた。


 恐怖は四肢をめぐり、身体を売ることはやめた。それまでに稼いだ金があったのでしばらくはなんとかなった。その間も母は下を向いて、ひと目を避けるように生活していた。


 しかし子供が生まれると、母の顔色もどんどんとよくなっていった。夫を失った母にとって、娘と孫が生きがいになった。同時に、瑠璃子も娘のために頑張ろうという気持ちになった。今までの人生が精算されるとは思わない。それでも子供に苦労をかけさせたくない。自分のせいで子供が虐げられるのだけはごめんだと、少しずつ自分を変えて行くことを誓った。


 恋人を作るような余裕はなかった。幸い頭はよかったので、友人の紹介で仕事を得ることができた。レストランやリゾート施設のレポート書いたりする記者にならないかと言われた。いきなりやれと言われても無理だったので、たくさんの本を読みながらいろんな店に足を伸ばした。飲み込みが早かったのもあるが、読書感想文や論文などは好きだった。


 瑠璃子が仕事を取るのに時間はかからなかった。能力の高さもあったが、娘のことを考えれば徹夜も乗り切れた。上手く行かず罵られようとも踏ん張れた。


 娘は今年で六歳になった。母として上手くやれているかはわからないが、娘の顔を思い出すとどうでもよくなってきた。昔の自分を捨てられたのはこの子のおかげだ。他人から良い母親だと言われる必要はない、この子が母親として認めてくれればそれでいいと思っていた。


 瑠璃子の仕事は雑誌に乗せるための記事を書くこと。取材の前に一人の客としてレストランやホテル、ペンションなどに訪れる。その後、改めて取材を申し込むのだ。今回もその一環だった。当然ペンションのオーナーはそれを知らない。


 しかし今このペンションは陸の孤島だ。積雪のせいでペンションから外に出られない。仕事のために戻ることもできない。娘のために帰ることもできない。

手帳から一年前に撮った写真を取り出す。瑠璃子が記事を書いたホテルに泊まったときのものだ。右から自分、娘、母の順で映っている写真だった。三人共笑顔で、瞼を閉じなくても楽しかった記憶が蘇った。


 大きくため息をつき、部屋の外に出た。


 ときどき、ナーバスになってしまうことがある。なにもかも投げ捨ててしまいたくなる。なぜあんなことをしてしまったのだろう。もっと真面目に生きていれば普通の人生を送れたかもしれないのに、と。


 過去を変えることはできない。だから前を向いて歩くしかないのだ。その原動力が娘であり、仕事だった。


 寒いのは嫌いだが、このペンションの匂いは好きだった。材質はわからないが、木の匂いが深く香る。胸いっぱい吸い込むと頭がすっきりする。


 足は遊戯室に向いていた。外の空気を吸うには、バルコニーが一番だった。


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