燃える本

 宮野木が図書クラブに入ったと聞いた時は、長沼原も穴川も気が狂ったかと思った。ところが冷やかしに図書室に行ってみると、これほど本に囲まれて暮らすのがしっくりくる人間はいないように思われた。クラブ活動時のエプロンも高い身長で様になっており、いつもの乱暴な態度は本棚にぶつからないように潜んでいる。それでいて踏み台も使わずにハタキをかけ、周りの手の届かない本を取ってやる姿が頼もしい。図書の先生以外に唯一の男性であることも作用して、他の部員からの信頼も日に日に高まっているようであった。

 あえて言うなら、口を開いた時の態度がまだまだ司書らしくない。(長沼原に言わせれば「動物的」かつ「機械的」)

 しかし、読書カードを新しくしたり、入り口を広めにレイアウトして、新刊紹介コーナーをもっと大きく作ったり、アイデアも出していることまでは知らなかった。

 長沼原は「ただ感想書くんじゃなくて、一言を抜き出すってのがいいんだよね。どうせ本なんか読んだら忘れちゃうからさ。あの時、なに感動したっけーって言うの、振り返るのがいいの」と読書カードを褒めた。ただ穴川は、宮野木と同じく、彼が本を読んでるところをさっぱり見たことがない。

「ミヤがこういうの思いつくなんてなあ」

「テキザイテキショだね」

 二人で適当に駄弁りながら、自習する生徒を横目に本を弄る。

 そこへ宮野木が寄ってきた。

「お前ら、しゃべってるだけなら帰れよ」

「今日はお客さんだから」

「見学に来たんだよ」

 何か言いたげに宮野木は離れる。二人はそれを見て立ち上がった。かつての仲間が頑張っているのは快いし、別に心から邪魔したいわけでもない。

 その学校の図書室の活動は、図書委員会ではなく、クラブが担っている。生徒の自主性を促す伝統というのがあるらしい。元は戦前、生徒会の一部門がクラブになったというから大したものだ。

 だが、二人はこういうところは本好き、読書狂が行くクラブであって、宮野木のように絵本か教科書以外の文字をじっくり見たことがない人間が行くところではないと思っていた。それが思ったより馴染んで、しかも結構活躍していることに、ちょっとした嫉妬や寂しさを感じた。



 だから、宮野木が旧倉庫の書庫を放火したという話が流れてきた時は、呆然とした。

 その日は彼も学校を休んでいたし、なんの連絡も寄越さなかったので、二人はクラスでいくつか聞かれたがわからないと答えるしかなかった。

 それにこちらから連絡するのも癪だった。なにか言いたいことがあれば向こうから言うべきだし、言いたくないならスマホで連絡なんかしない。というかSNSでも周りがガンガン倉庫が燃えた話をしてるから、それでこっちから便乗して聞くのは二人とも嫌だった。打ち合わせたわけでもないのに、二人は宮野木が学校に来るまでなんにも問い合わせなかった。

 二日経って、宮野木は登校した。

 不機嫌そうな顔をして、彼は昼になってから二人を連れて教室を出た。

 そこで話したのは、自分が放火したというのではなくて、本が勝手に燃える方法はあるか、という問いかけだったのである。



 そもそも、旧倉庫は新倉庫の反対、プール側のグラウンド脇に位置する。年内に建て壊して、手狭になったグラウンドを広げる計画がある。それでこの際、倉庫にあるものを片付けてしまおうという計画があった。

 図書クラブがそこへ参加したのは、旧倉庫内には戦前からの文集や記念誌、過去に寄贈を受けた本が転がっているからだ。それを一旦回収して、整理し、貴重な本があれば近くの図書館に引き渡すなどして処分する予定だった。

「なんか知らねーけど、なんとかさんって人の本がいっぱいあんだよ」

「なんとかさんじゃ分からないよ」

「知らんけど、ショウ取ったらしい」

 宮野木はあやふやなことを言った。

 あやふやな話が続く。

 その日は部員総出で旧倉庫に向かった。ところが倉庫にたどり着いたところで、先輩がカギを取り忘れたと言って職員室に帰った。そこで待っていると、なにやら倉庫の中が明るい。とっさに宮野木は頭に血が昇って、大声で叫んで扉を蹴り上げた。その時、何かが動くような音がした。

 それで部員に扉を見張るように言って、倉庫の裏手に回り込み、窓を見つけて石を投げた。割れもしないし、反応も無かったが、何かまずいと感じて宮野木は辺りを見回した。近くに立て札が置いてある。(これはグラウンドが狭いので、部活同士でネットと一緒に仕切り用に使うもの)それを手に取り、槍に見立てると、明かりに動きがあったところで突き刺そうと狙いを定めた。

 だが、窓に動きはない。それに立て札には重りがついている。ずっと持ってはいられない。そのうちに、倉庫の入り口に動きがあったので、宮野木は走って戻る。すると「燃えてる……」という部員の声を聞いた。カギを持ってきた部長が、異変に気付き、慌てて職員室へと引き返す。宮野木は指示を受けて、電話をかける。そこから先は……先生たちが来て、取り仕切ることになったというわけだ。

 整然とまとめられたわけではないが、宮野木の話を聞いて、穴川が言った。

「……本が勝手に燃える要素ある?」

「そーじゃねぇ」

「アナ。ミヤはさぁ、こう言いたいんじゃね。入り口も窓も見てたけど、出てくるやつなんかいなかったんだと。もちろん中にもいなかっただろうね。だったらそれはもう密室放火事件なわけよ」

「ああ、そういう」

「先生とか、警察はなんて言ってたの?」

「知らんけど、火のフシマツとか」

 しかし誰もいなかった。その前に侵入している人物がいるとして、なにか「フシマツ」を残す要素はあるだろうか。

 穴川は言った。

「ま、燃えることもあるんじゃね。先生が隠れてタバコ吸って、火が残ったとかさ」

「俺らが来たタイミングで燃えたのか」

「知らないけど」

 宮野木は納得してない様子だった。

 それもそのはずである。燃えていたのは、どうやら運び出すことになっていたその本だったのだ。もちろん気づくのが早かったので、大きく燃え広がることもなかったし、被害は最小限で食い止められた。しかし、何冊燃えたのか、というかそもそも何があったのかがいまだに分からない。

 まるで最初から本を狙い撃ちにしたような「犯行」に、宮野木は御立腹なのだ。

「ながぬーはどう? なんかある?」

「先生はどうしてたの」

「その日は図書の先生は来ない日だった。普段は先生が旧倉庫のカギを持ってるけど、いないから。それで部長が忘れてな。俺らは一旦運び出して、後から選り分ける話になってて」

「ああ……」

 長沼原が頷いた。たしかに図書室の先生は、来る日と来ない日があるのだ。

「じゃあ、多分、本が目的なわけじゃないね」



「なんでわかんだよ」

「本を燃やすやつって、大体自分が正しいと思ってるからね。フンショコウジュってあっただろ。教会とかナチスとかも燃やしてる」

 長沼原はこうやって、いちいち自分の知識をひけらかすのが好きなタイプなのだ。少しうんざりした様子で「だから?」と宮野木が促すと、嬉しそうに応えた。

「そいつらは堂々と燃やしてるってこと。自分が正しいわけだから、こそこそ燃やす必要はないんだよねぇ。そしたら今回の場合はどうなる? 先生たちや生徒なら自分たちで運び出せる。そこからじっくり燃やす本を選べばいい」

 なにも本当に燃やさなくていいわけだけど、と長沼原は付け加えた。

「だから本が理由じゃないって?」

「少なくとも、目的じゃないかな」

「じゃあなんだよ」

「倉庫を燃やしたかったんでしょ。倉庫が燃えると、ほら、グラウンドの整備が遅れたり、みんな近づかなくなるし……」

「はあ?」

「あー、俺わかったかも」

 穴川が言った。

「こないだ陸上部と野球部が、投げるやつ(おそらく投擲種目の円盤のこと)でケンカしてたからさ、それじゃね?」

 そこまで話すと、三人に声がかけられた。正確には宮野木を、図書クラブの先輩が呼びに来たのだ。宮野木は二人に断って、その場を離れた。

 その時、「陸上部と野球部だな」と彼は振り返って念押しした。



「……ながぬー、ミヤは暴走しないよな?」

「したら、おまえのせいだと思うよ」

「ええ?」

「グラウンド整備が遅れたら困る連中じゃん、さっき言ったやつら……」

「あ」

 そうこうしているうちに、昼休みを使ってバスケで遊ぼうとクラスの連中が渡り廊下を走り抜けていった。さすがに、黄色いロープの張った方へは近づかないだろう。

 穴川が聞いた。

「それじゃあ、誰が悪そうなんだ?」

「まあ、図書の先生じゃない?」

困惑したように、穴川が聞き返した。

「だって、さっき本を燃やす理由がないって言っただろ」

「本を燃やす理由はないけど、本を燃料にしそうなやつは図書の先生しかおらんでしょ。倉庫を燃やしたいなら、外で燃料くべたらいい。先生なら旧倉庫に先に入って、「フシマツ」に見せかけた仕掛けができる。だってカギを自由にできるわけだからさ」

「でも、当日いなかったじゃん」

「だからさ、部長が実行犯だったわけ」

「はあ?」

「いや、ミヤの話はおかしいなって思ってたんだよ。部長がカギを忘れて、取りに戻って、先生たちを呼びに行って……早く扉開けろや! って思ってたんだけど、考えてみれば扉を開けるタイミングをコントロールできたんだよね。その日は図書クラブが入る日だから、事前にカギ持って火種を作っておけばいい。みんなを集めてこれってタイミングで扉を開ける。本は目的じゃなくて、手段だったんだね」

「いやいや、そんなこと、する必要が……」

「あるよ。ミヤが図書クラブ入ったから、二人でエッチなことしにくくなったんだろう。図書室付近で」

 今度こそ、穴川は完全に呆れてしまった。

「いやいやいや……そんな理由?」

「女子の集団にデカい男が一人混じったら、部長にせよ先生にせよなんか命令しにくくない? そしたらなかなか、二人きりにはなれない。ミヤは、結構遅くまで残って部活動してたし。いつもだったら簡単に二人きりになれたのが、旧倉庫の整理でも理由にしなかったら逢引きできなくなったんでしょうねえ」

「……けど、年内に建て壊しになった」

「そうそう。で、ちょっとしたボヤを起こして、本人たちは現場から離れていたといえば、疑われない。まして司書が本を燃やすなんて考えられない。倉庫が燃え広がらない程度で済めば、卒業までは使えるだろうってのが目算だったわけ。まあ、証拠はないけど、ミヤが放火したなんていうバカみたいな噂に比べれば俺はこっちを推すね。これで実は事前に貴重本は選んで抜いておきました~だから大丈夫です〜とか先生が言い出したら、100%黒でしょ」

 しばらく穴川は口をきけなかった。

 おそらくその目算は大外れになったのではないか。少なくとも軽率で、不見識だった。SNSで大騒ぎになり、消防どころか警察も張り出してきて、宮野木が真相を明かそうと息巻いている。宮野木については当然だ、自分自身の居所にもなった図書クラブにあって、犯人扱いされているのだから。

 二人は、この推測をすべて宮野木にぶちまけることも想像してみた。が、中学以来の友人であり、かつての恐ろしい結果を彼らは知っているので、最後の防衛線になることをとりあえず誓い合うことにした。彼は思い出を大事にして、だから執念深い人間だということを、周りの大人はよく知らない。クラブの内部の連中がやらかしたとしたら、絶対に許さないだろう。

 差し当たり、二人は担任に告げ口する内容を相談した。証拠はないのだから、慎重に動かねばならない。

 穴川がつぶやく。

「……でもさ、本だぜ。本を燃やすか? 図書室の人間が」

「だからさ」

 長沼原は笑った。

「ミヤも言ってたじゃん。選り分けるんだって。分けたら捨てられるんだよ」

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